やさしい心理学
自己否定からくる自分への過剰な「期待」は、完璧主義と結びつきます。それをゆるめるためには、やはり深呼吸と休息、そして自分自身への生の信頼が必要なようです。
「絶望」とは、過去の喪失や失敗、恥辱や挫折が、「絶望」を引き起こすのではありません。そのできごとで傷ついたゆえに、誰かを信頼できない、大切な人を愛せないから、人は「絶望」します。けれどもそれは、信頼したい、愛したいという想いがあるがゆえに…
自分で何でもやろうとする「自立」が過ぎると、「デッドゾーン」におちいったりします。しかしそこは、「誕生」と最も近い場所であったりするようです。
「役割」を演じることは、自分の無価値観を隠してくれますが、そのかわりに生のみずみずしさを奪ってしまいます。そんな「役割」の心理にある、根っこの部分を考えてみます。
私たちが強い痛みを感じるできごとには、大きな意味があります。なぜ、そこに痛みを感じるのかを考えていくと、そこにはどうしても自分が叶えたかったヴィジョンと、才能が見えてきます。
「不満」を溜め込んでいると、その相手との関係が悪化していきます。なぜ、溜め込んでしまうのかという心理についてと、その「不満」を解消する方法について、考えてみます。
他人との関係は、自分自身との関係の反映。そんなテーマを、「投影」の心理からお伝えします。
「依存」の苦しさは、満たされなかった過去を裁き、責めることから抱く「罪悪感」が原因の一つです。「こうあるべきだった」という過去への判断を手放すことは、その「罪悪感」から自分自身を解放してくれるようです。
人は、不幸になるよりも、幸せになることを怖れます。それは、幸せになったら、もっと大きな犠牲を払わなくてはならない、という観念と密接に絡んでいるようです。しかし、自分が楽しむこと、そして愛を受けとることが、その怖れをゆるめてくれます。
「選ぶことができる」という意識は、私たちの生に主体性を与えてくれます。しかし、何かを選ぶためには、何かを選ばないことが大切になります。そんな「選択」の心理について、お伝えします。
「信頼」とは、その対象や相手の価値や魅力、可能性を見る、愛する行為の一つです。「信頼」を持っていると、起こっている結果に一喜一憂することなく、それをプロセスの一部として受け入れることができるようになります。
「依存」の時代に特徴的な心理として、「被害者」の心理があります。それは自分の幸せを遠ざけてしまうものですが、自分の人生を生き始めるスタート地点と見ることもできます。
過去を悔い、未来を憂うとき、私たちの意識は怖れと痛みにとらわれます。けれども、「いま、この瞬間」だけは、何も起こっていません。私は息を吸い、そして吐いている。そのことは、私たちに絶対的な安心感を与えてくれるようです。
何かを失くしたと感じるとき、人は悲しみや痛み、苦しみを覚えます。しかしそうした「喪失」と、新しい誕生やはじまりは、同じ場所にあるようです。
何らかの期待が裏切られたときに、私たちは「失望」します。しかし「失望」とは、その「期待」したものが、自分自身の真実のビジョンではない、ということを教えてくる、人生の羅針盤です。
自分のなかに「罪悪感」があると、自分を責めたりするばかりで、意識が過去に縛りつけられます。そうすると、身動きができなくなり、いまを生きることができなくなります。それを緩めるためには、「そのできごとから、何を学ぶのか」という視点が大切なよう…
傷は、やさしさに変えることができる。懐かしい海援隊の「贈る言葉」にも同じようなフレーズが出てきますが、私の大好きな言葉です。
自分がどれだけすばらしい人間かを証明するために、ハードワークに陥ることがあります。ハードワーク自体が悪いことではありませんが、それがしんどいのであれば、そうした「役割」をもたらす感情と向き合ってみることをおすすめします。
怖れを感じると、私たちの身体は「きゅっ」と固くなります。それは心も同じようですが、固くなるほどに、かえって大きなケガをしてしまうこともあります。そういったときは、実は何かを癒すタイミングを教えてくれるようです。
何かに「執着」していると苦しいものですが、ある意味ではラクだったりもします。「執着」を手放していくと、別の苦しさが出てきたりもします。そんな「執着」のもたらす心の動きについて、お伝えします。
自立的な人ほど、実は過去の誰かにずっとしがみついています。それは、失恋などの痛みや悲しみもそうですし、その反対に喜びに執着することもあります。
「青い鳥」の物語でいわれるように、「幸せ」とは自分の外側ではなく、内側にあるものです。それは、「自信」の構造とよく似ているようです。
だれかの言動に「抵抗」を感じるときの、心の動きについてお伝えします。「抵抗」を感じるのは「ほんとうは、そうしたい」という、自分自身からのヘルプサインのようです。
なにかに「痛み」を感じるとき。それは、何がしかの自己否定が、そこにあることのサインです。自分を肯定することは、そうした「痛み」から自分を解放することでもあります。
さまざまな問題の原因にもなる「自立」ですが、ポジティブな面もあります。自分の足で立ち、その手に何ができるのかを考えられる恩恵であり、それを通じて人は周りの人に「与える」ということができるようになります。
人は自分の無力さを知ったとき、はじめて「謙虚さ」というギフトを受け取ります。それは、自らの心に平安を与えてくれる、偉大なギフトです。
パートナーに感じる不満やイヤなところは、両親に感じていたことかもしれません。しかし、それは自分を癒し、統合していくためには、とても大切な「宿題」でもあるようです。
「誰かに言いたいことは、自分に言いたいこと」といわれるように、外側の世界を見ることは、自分の内面と向き合うことでもあります。突きつめていくと、私に会いにきてくださるクライアントさまは、私を救いにきてくれた人だと思うのです。
人間関係のなかで痛みを感じたり、問題を抱えたとき。それは、自分の愛を深めるためのチャンスでもあります。まずは自分に寄り添いながら、その問題の恩恵を考える視点について、お伝えします。
自立のプロセスでよく出てくる「権威との葛藤」について、お伝えします。父親、先生、上司、先輩といった「目上の人」と、衝突を重ねてしまう現象です。その心理的な原因と、そのゆるめ方、そしてその先にある恩恵について、お伝えします。