大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。それでも、愛することを諦めきれないあなたへ。

やさしい心理学

「結びつきこそ本当の現実」

私たちは、この世にたった一つの個として、生を受けます。そして、周りと断絶する経験をしていますが、実は意識の深いところでは、すべてつながっているようです。それは、大海に浮かぶ島々が、海の底ではひとつながりであることと、似ているのかもしれませ…

「支配したいという欲求は、怖れから生まれる」

心理学を学ぶ最も大きな恩恵の一つは、自分と向き合うことで、周りの人をより深く理解し、よりよいコミュニケーションが取れるようになることです。そのためには、まずは自分事として自分と向き合うことが求められます。

「自分がほしいものをだれかに与えたとき、はじめてそれが手に入る」

自分がほしくてほしくてたまらないものは、不思議なことにそれを手に入れたと思っても、またすぐに喉の渇きのような渇望を感じることがあります。ほんとうにほしいものとは、それを自分が得ようとするのではなく、誰かに与えたときに、はじめてそれが手に入…

「望みどおりの人間関係を築くには、まずイメージすること」

人の持つ最も偉大な能力の一つである「想像力」は、現実をつくりだす「創造力」でもあります。目に映る情景がどうであれ、自分が望むものや関係性をイメージし続けることが大切です。けれど、なかなかそう思えないときもありますよね。

「すべての防衛のかげには、古い痛みが隠れている」

痛みから自分を守ろうとする行為のかげには、過去の古い痛みが隠れています。それを知っていると、必要以上に守ろうとしなくてもよくなったり、周りの人のそうした行為にも対処できるようになります。

名著「傷つくならば、それは愛ではない」を学び直す。

今年は私の心理学の学びの原点でもあるこの名著を、また一日ずつ読み返して写経などしながら、いまの私が感じることなどを、また少しずつシェアしていければと思っております。

才能の在りか、逆・裸の王様、そして問題について。

誰しもが、「当たり前」を持っている。だとするなら、みな裸の王様の逆であり、誰にも真似できない才能を持っている。それは、一人では気づけない。だからこそ。人は言葉を持ち、誰かと話し。ときにカウンセリングを受けたりするのだろう。

離れて見守る、という愛の表現の仕方。

自分の中にはない、愛の表現の仕方を知ること。それは、自分の世界を確実に広げてくれる。そうして世界の見方を変えていくことを、癒し、とも呼ぶのだろう。

「自己肯定感」という忘れ物。

「自己肯定感」とは、いつかどこで忘れてしまっただけのもの。それは、ただ、思い出すだけのもの。それは、雲の上には青空がいつもあることを、ただ思い出すように。

「自己肯定感」と「自己有用感」の違いについて。

自己肯定感とは、どんな自分も肯定する、という感情。自己有用感とは、自分が誰かの役に立っている、という感情。似ているようで、大きな違いがあるこの二つの感情について、考えてみたい。

対立とは、私たちが癒すべき内面の何かを見せてくれる

2018年最後のエントリーをどうするか迷ったが、ここはやはりチャック・スペザーノ博士の名著「傷つくならば、それは愛でない」に締めて頂こうと思う。

「自己犠牲とは、優越感と劣等感をいったりきたり」

チャック・スペザーノ博士の名著、「傷つくならば、それは「愛」ではない」のなかの一節が響いたので、それについて書いてみようと思う。

「愛は時をとめる」 ~5層の心のミルフィーユ

チャック・スペザーノ博士の名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」の一節から。

才能とは贈りもの(gift)であり、与える(give)もの

心理学では「才能」のことを「ギフト(gift)」と表現します。それは、才能と呼ばれるものは天から与えられたものであり、誰かに与えるものだからです。

自分自身とのパートナーシップ 〜その対立や葛藤は、自らの才能の大きさゆえに

チャック・スペザーノ博士の著書、「傷つくならば、それは『愛』ではない」から、コミットメントについてのお話を。

諦めると委ねるの違いは、心の奥底にあるのが絶望なのか希望なのか

「諦めること」と「委ねること」。傍目にはよく似た反応に見えるのですが、その違いは心の底にあるのが絶望か希望かによります。今日は人のココロの天邪鬼な側面から、そんなお話を。

自分が欲しかったものは、誰かがあなたに与えて欲しかったものだったのかもしれない

今日は、「自分が欲しかったもの」とは、実は「誰かが本当にあなたから貰いたかったもの」だったのかもしれない、というパラドックスのようなお話を。

自分をいたわる、世界をいたわる 〜自己の内面と世界の不思議な関係

今日は自分をいたわる、ということについて。結局、自分のことを自分がどう扱っているか。それが、世界から自分がどう扱われるのかを形づくります。

傷つくならば、それは愛ではない 〜痛みは愛を知るとき

心が痛いとき、それは心の器が広がっているときなのかもしれません。そして、それは傷つくことのない愛に気づくプロセスと言えるのかもしれません。

「あなたに助けを求めてくる人は、あなたを救いにきた人」

今日はチャック・スペザーノ博士の名著「傷つくならば、それは愛ではない」の一節から。「あなたに助けを求めてくる人は、あなたを救いにきた人」。

問題とは「才能」と同義語であり、自らの人生の「設定」である

頭を悩ませ、心を痛める「問題」。人はそれぞれ違う種類のものを抱えます。それは、その人の抱える「問題」が、その人の「才能」を表しているからです。

もしも、どちらを選んでも正解だとしたら 〜だって今までどちらを選んでも大丈夫だったのだから

人は誰しも「自由」でありたいと願います。 けれども、「自由」につきものの「選択」はときに「怖れ」を呼びます。自分にとって大事な選択だと思えば思うほど、その「選択」を間違えてはいけないというプレッシャーや怖れが大きくなります。 そんなときには…

「手放す」とは、「許可を出す」ということ

「手放す」と「入る」とよく言われます。執着を「手放した」途端に、思いもよらぬ方向から「入る」というのは、よく聞く話です。さりとて、意図してすることが難しいのがこの「手放し」。どうしたら「手放せる」のか、ということについて綴ってみます。

誰かに与えて欲しかった感情は、その人が欲しかった感情かもしれない

「自分が」誰かから与えて欲しいと思っていた感情は、実は「その人自身が」欲しがっていた感情かもしれません。そんな心の世界における感情についての不思議なパラドックスを綴ってみたいと思います。

将来を見据えるよりも、今好きなことを重ねた方が結果的に豊かになるというお話し

将来の恩恵を期待して行動すると我慢と犠牲がともなうので、どこかで燃え尽きてしまいます。それよりもいま好きなことを重ねた方が、結果的に将来的に恩恵を受け取れる可能性が高くなるように思うのです。

罪悪感の功罪 〜罪と罰は等価交換ではなくて

今日は、一昨日お話しした「無価値感」の正反対の双子ともいうべき「罪悪感」について。この厄介な感情については私も絶賛勉強中ではありますので、書きながら整理していければと思っております。

無価値感の罠 〜私が本当にエネルギーを使いたい人は、誰なんだろう

「無価値感」とは、自分には何の価値もないと感じてしまう感情のこと。それが強くなると、自分が本当に大切にしたい人を大切にできなくなってしまうようです。けれど、「無価値感」は愛情ゆえに形成されるものであり、それを癒すのもまた愛情なのです。

「理解してもらおう」よりも「知ってもらおう」とすると、コミュニケーションが楽になる

「理解してもらおう」とすると、どうしても相手に対しての「期待」が生まれて苦しくなります。それよりも相手に自分のことを「知ってもらおう」とすると、コミュニケーションが楽になるように思うのです。

コミュニケーションでは「何を言ったか」よりも「何を感じているか」の方が大切だ

今日は「言葉」と「コミュニケーション」の関係について。他人とのコミュニケーションにおいては、何を言ったかを気にするよりも、自分の感情を正直に表現する方が円滑なコミュニケーションが取れると、最近つとに思うのです。

短所は見方を変えるだけで、長所になる ~「手紙」を例に考えてみる

人の性格や資質において、完全に「短所」だと言えるものはありません。一つ一つの性格や資質は「個性」であり、「短所」も見方を変えれば必ず「長所」となります。私が好きな「手紙」を例にとって、短所は長所に変えられる例を考えてみます。