やさしい心理学
これまで書いて参りました「やさしい心理学」のカテゴリーの記事で、よく読まれている記事をピックアップしてみたいと思います。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」を学び直そうと思ったのは、1年前のことでした。こうして1年間続けることができたのは、これを読んでくださっているあなたのおかげです。ありがとうございました。
「傷つくならば、それは愛ではない」。1年間、このタイトルと向き合い、愛ではないのだとしたら、それはなんだろうと考えてきました。いまの私の考えは、それも愛なのだろうと思うのです。
周りの人が見せてくれる問題は、自分が内面に抱えている問題でもあります。周りの人を分析しようとするのではなく、自分自身と向き合うために心理学を使うと、それはこの上なく素晴らしい恩恵を与えてくれるようです。
「許し」とは、起こったできごとや、いま目の前の世界を、主体的に受け入れることで、自分自身を自由にしてくれます。しかし、その一歩目は、自分で踏みだす必要があります。
「復讐」とは、自分が失敗しすることで、自分にとって大切な人に仕返しをしようとする心理のことです。しかし、逆から見れば、失敗を失敗と思わなければ、その心理は手放せます。
「どんなときに愛されていると感じるか」について、リストアップしてみると、自分自身の愛の形が見えてきます。そして、そこに書かれなかったことにも、大きな意味があるようです。
相手を「束縛」してしまうと、相手からの愛を受けとることが難しくなり、幸せをかんじづらくなります。けれども、自分で縛った鎖は、自分で解きほどくことができます。
心が痛みや悲しみを感じるとき、無理にそこから抜けようとしなくてもいいんです。悲しみに明け暮れることの大切さと、人の心の強さについて、お伝えします。
「疑い」の心理に陥ると、私たちは探偵にでもなったかのように、その証拠探しに明け暮れて、それで消耗しきってしまいます。「疑い」とは自分自身を信じられないことの投影なのですが、それを手放していくためには「与える」ことを意識することが大切なよう…
自立的な人ほど、期待や取引、犠牲といった行動で、こっそりと相手から「奪おう」としがちです。けれども、「奪う」という行為は、結局その分失うことになります。素直に「ください」と伝えた方が、よほどうまくいくことが多いものです。
「寂しさ」とは、私たちにとって最も古い感情の一つであり、また最も嫌う感情でもあります。そうした「寂しさ」がもたらす問題と、その癒し方のヒントについてお伝えします。
「投影」とは、自分の心の内を、外の世界に映し出すという心理です。簡単に見えるその心理は、実にさまざまなことを私たちに教えてくれます。そうした「投影」を使ったものの見方について、お伝えします。
何かを楽しむことは、リーダーシップの資質のひとつです。幸せと同じように、まず自分が楽しむことで、周りも楽しませることができます。そして自分なりの「楽しさ」と、それを満たす方法を知っておくことは、周りの人をも笑顔にするようです。
誰かと「競争」してしまう裏には、家庭のなかで「競争」の原初体験があるのかもしれません。そんな「競争」の心理と、そのゆるめ方についてお伝えします。
「犠牲」をしてしまう裏には、大切な何かを失った悲しみがあります。その悲しみと向き合うことができると、自分を「犠牲」にしたりする行動をやめることができるようになっていきます。
「エゴ」とは傷ついた心のことを指し、それゆえに私たちの歩みを止め、身動きを取れなくしてしまいます。だからといって、「エゴ」を否定するのではなく、それを理解し、許し、愛することができると、その声は徐々に小さくなっていきます。
「不満」を抱くのは、自分の劣等感の裏返しです。だからこそ、「不満」を抱くことは自分の可能性に気づかせてくれることといえます。
「信頼」とは、その人の価値や才能、可能性を見続ける、愛する行為のひとつです。けれども、そうした「信頼」ができないときもあります。そんなときは、「信頼しないことのメリットは何だろう?」と考えることは、私たちの心を大きく広げてくれます。
パートナーシップにおいて、「わたしたち」という視点を持つことは、いろんなことを教えてくれます。 まずは「わたし」を満たす、つぎに「あなた」に与える、そして「わたしたち」について考える、という視点をお伝えします。 名著「傷つくならば、それは「…
何度も繰り返される、「慢性的な問題」。そうした「慢性的な問題」との付き合い方と、そこから見える才能という視点について、考えてみます。
「自分いじめ」をしてしまう心理と、なぜそれをしてはいけないのかについて、考えてみます。それを止めるためには、「自分をいじめるほどに誰かを愛したかった」という視点を持つことが有効です。
私たちは、親に対する申し訳なさから、何かを達成しなければとか、何かを成し遂げなければ、と感じたりします。けれども私たちがするべきことは、「愛された場所」を思い出す以外には、何もありません。
「罪悪感」を持っていると、「攻撃する」か「引きこもる」かという、自分を幸せから遠ざける言動を取ってしまうものです。「罪」の語源は単に「ミス」を指すように、「そこから何を学ぶのか?」という視点を持つと、「罪悪感」の泥沼から抜け出しやすくなり…
ネガティブに感じるできごとの裏側には、「怖れ」があります。しかし、「怖れ」を感じることに、私たちは同時に魅力を感じています。そんな「怖れ」の心理と、それを和らげるための考え方についてお伝えします。
「エゴ」とは、傷ついた自分の心であり、自分を幸せから遠ざける自己否定の象徴ともいえます。けれども、なぜそれが生まれたことを考えることを通じて、自分を深く愛することを学ぶことができます。
「無邪気さ」とは、最も厄介な感情である「罪悪感」をも癒す、至高の在り方といえます。そんな「無邪気さ」の偉大な力と、そしてそれを取り戻すヒントについて、お伝えします。
いま、自分の手に無いものは、自分が欲していないものと見ることができます。それを手に入れないことのメリットは何だろう?と考えることは、私たちの心の枠を広げてくれるようです。
「理解されていない」と感じるとき、それは自分が相手を理解していないことを投影しています。そんな「投影」の心理を知ることと、その恩恵についてお伝えします。
「ごめんなさい」を言うタイミングで、「ありがとう」を伝えられると、とても心が満たされます。「感謝」には、私たちの心を癒す、実に偉大な力が宿っているようです。