大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

やさしい心理学

慢性的な問題と向き合うには、まずは「私が大切なもの」を受け入れるところから。

慢性的な問題は、それだけ自分のコアな価値や才能を教えてくれます。それだけに向き合うことが大変なものですが、まずは「自分が何を大切なのか?」を受け入れることをおすすめします。

「道ゆく人に祝福を贈る」という習慣。

「道ゆく人に祝福を贈る」という習慣のご紹介です。その祝福はめぐりめぐって、自分自身に還ってくるものです。

なかなか解決しない「問題」ほど、自分自身の才能のありかを教えてくれる。

何をもって「問題」とするのかは、その人の価値観、人生観、センス、パーソナリティに依るものです。それゆえ、なかなか解決しない「問題」ほど、自分自身の才能のありかを教えてくれるといえます。

自己受容と癒しは、車の両輪のようなもの。

自己受容と癒しは、車の両輪のようなものです。自分を受け入れよう、自分を愛そうとしても難しいときは、自分を癒すことに目を向けてみることをおすすめします。

「根拠のない自信」は、愛された記憶から生まれる。

自分を肯定する上で大切な「根拠のない自信」は、愛された記憶から生まれます。もし「そんふうに思えない」と感じても、だいじょうぶです。生きるとは、愛を思い出す旅なのでしょうから。

自分に軸を置くポイントは、「根拠のない自信」。

自分を肯定する基本は、「いま、ここ」にいる自分を受け入れることであり、他人ではなく、自分に軸を置くことです。そのポイントとなるのは、「根拠のない自信」です。

あなたはどこにでも行けるし、どこにも行かなくてもいい。

本来、人はどこにでも行けるし、どこにも行かなくてもいいんです。自分を受け入れることで、その自由な場所に立つことができます。

自己受容をベースとした行動のすすめ。

「いまの自分を受け入れる」ことは、必ずしも「そのままでいい」「何もしなくてもいい」ということではありません。自分を受け入れることの先に何を描くのかが、とても大切なことです。

「いまの自分を受け入れること」と「自分を甘やかすこと」の違いは、どこにあるのか?

自己肯定の第一歩は、いまある自分を受け入れること。しかし、それを「自分を甘やかしている」と感じてしまうことがあるものです。「自分を受け入れる」と「甘やかす」の違いについて、考えてみます。

いまあるものを「指差し確認」するだけでも、心は落ち着きを取り戻す。

いまここにあるものに目を向けることは、心を落ち着かせるための有効な方法の一つです。自分の心が揺れて不安なときに、私がしていた「指差し確認」とあわせて、お伝えします。

いまここにあるものを認めることが、自己肯定の第一歩。

自分を肯定する理由を、他人との比較や成果に置いてしまうと、苦しいものです。 そうではなくて、「いまここにあるものを認める」ことが、自己肯定の第一歩です。 1.形になっても、ならなくても 2.トーナメント方式の自己肯定には無理がある 3.あるも…

「才能」の認め方と、パートナーシップの受け入れ方の相似。

「才能」と聞くと、それを何か形にしたり、結果を出したりしないといけない、と感じてしまうものです。けれども、そうではありません。それは、パートナーシップのすばらしさとよく似ているようです。

「才能」の表れ方 ~クレーマーの才能、嘘をついてしまう人の才能

自分にとって当たり前のようにしてしまうことこそ、「才能」といえます。そうした「才能」のあらわれ方を、具体例を含めてご紹介します。

選んでいないものを受け入れる覚悟と、想像以上の恩恵を受けとることは、表裏一体。

自分でなんでもしようとするのは、「自立」の心理です。しかし、自分で選んでいないものも受け入れようとすると、それ以上に素晴らしい恩恵が与えられたりするものです。

自ら選んでいないものを受け入れることで、私たちは自立を手放していくことができる。

自分で選んだことに責任を持つのは、「自立」です。それはとても素晴らしいことですが、自分で選んでいないことを受け入れていくことは、私たちをさらに成熟させてくれます。

自分が選んでも望んでもいないのに与えられた資質や才能を、受け入れるためのヒントについて。

「才能」があるがゆえに思い悩んだり、自分を責めたりすると、「そんな才能なんて要らなかったのに」と感じることもあるのでしょう。そんなときに、考えてみたい視点をお伝えします。

「才能」が生まれる場所 ~「平和の天使」の深い葛藤とは

「才能」があるがゆえに、私たちは葛藤もするし、悩みもします。しかし、いつかはそれを受けとり、感謝できるようになるものです。

そこに才能が「ある」がゆえに、悩みもするし、自分を責めたりもしてしまうもの。

自分の価値や才能と聞くと、「好きなこと」や「興味があること」をイメージされるかもしれません。しかし、本質的な部分での才能とは、それが「ある」がゆえに悩みもするし、自分を責めてしまったりもするものです。そうした才能の持つ性質について、お伝え…

自分の価値や才能は、北極星のようにいつもそこに「ある」もの。

受けとろうが、受けとるまいが、自分の価値や才能は、そこに「ある」ものです。それは北極星のように、いつも私たちの歩く道を照らしてくれます。

自分の価値を知ったら、あとは受けとれるように「お祈り」してしまおう。

自分の価値や魅力、才能といったものは、それを受けとろうとすればするほど、抵抗が出てきたりします。それらを知ることができたら、あとは受けとれるようにお祈りしてしまいましょう。

「問題」とは、それを解決するためにあるのではなく、自分の価値に気づくためにあるもの。

私たちは「問題」に出逢うと、それを解決する方法だけに意識が向いてしまうものです。しかし「問題」とは、それを解決するためにあるのではなく、自分自身の価値に気づくためにあるものです。

周りの人が持っていると感じる長所は、そもそもあなた自身が持っているもの。

私たちは、自分のなかにないものを、外の世界に見ることはできません。周りの人が持っていると感じる長所や価値、才能は、自分自身が持っているものといえます。

自分の価値や才能を知るための2つの方法。

自分のことは、一番自分が分かっていないものです。そんな自分の価値や才能を知るための2つの方法と、それを受けとるためのヒントについてお伝えします。

自分の才能に無自覚でいると、自分は消耗し、周りとの葛藤を生んでしまうから。

自分の価値や才能に無自覚でいると、周りとの葛藤を生んだり、必要以上に消耗してしまったりします。その才能を受けとるには、「誰に分け与えていきたいか」を考えることが大切です。

「助けられなかった」という罪悪感があるのなら、「助けたい想い」を求めている人に向けてみませんか。

「助けられなかった」という罪悪感の裏側には、「助けたい」という才能レベルともいえる強い想いがあるものです。それを無自覚に使うのではなく、それを求めている人に向けてみてはいかがでしょうか。

ほんの小さな過ちをしたら、愛を受けとってはいけないという大きな誤解。

私たちは、ほんの小さな過ちをしたら、もう愛や幸せを受けとってはいけない、と思ってしまっていることがあります。それは、正せばいいだけの小さな過ちを、大きな罪として捉えているからかもしれません。その誤解を抜けだすカギは、無邪気さです。

「誰かを傷つけてしまった」という罪悪感との向き合い方。

「誰かを傷つけてしまった」という罪悪感は分かりやすく、それだけに強烈なものです。そうした罪悪感を癒していくための視点について、考えてみます。

「正しさ」の裏側にある傷と、大切にしたかったもの。

正しくあろうとするほどに、私たちは生きづらくなります。「正しさ」は手放していくべきものですが、その裏側にある才能や愛を見つめていくことが大切です。

自分が信頼できないときは、いまできることを積み重ねていくしかない。

自分を信頼できていないとき、私たちの意識はいまここにはありません。その意識を引き戻すためには、いまできることを積み重ねていくしかないようです。

「いい自分」と「悪い自分」を判断している基準から、見えてくるもの。

私たちは、自分自身を「いい自分」と「悪い自分」に仕分けをしているようです。そのいい・悪いの判断をしている基準の裏側には、傷ついた経験があり、そしてその底には大切にしたかったものが見えてきます。