大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

2023-10-01から1ヶ月間の記事一覧

どうしても目に付く他人の短所は、自分の「才能」を指し示してくれる。

私たちは、自分が当たり前のようにできることは、周りの人も同じようにできると思い込んでしまうものです。それゆえ、どうしても目に付く周りの人の短所は、自分にとっての「才能」を教えてくれます。

悩みの種は、「才能」の在りかである。

「才能」があるがゆえに、それが悩みの種にすらなってしまうことがあります。しかし、それは見方を変えると、悩みや問題のそばに、その人のかけがえのない「才能」が眠っているといえます。

穏やかな陽光のなかに、厳かな冬の気配も感じる霜降のころ。

静かで、それでいてどこか厳かな、秋の深まりを感じます。時候は、霜が降りるという「霜降」。北国や山地では、霜が見られるようになる時期ですから、肌寒いのも当たり前なのかもしれません。

「才能」とは「自分が自分で在ること」だから、それは誰かと比較することも、誰かよりも優れている必要もない。

「自分が自分で在ること」こそが、「才能」の源泉です。それゆえ、「才能」とは」誰かと比較することも、誰かより優れている必要もありません。

自己否定をしてしまうときは、自分なりの「愛し方」に気づくチャンス。

自分の「才能」や「愛し方」は、自分が一番疎かったりするものです。自分にダメ出しをしたり、自己否定をしてしまうときは、そうした自分の「才能」や「愛し方」に気づくチャンスです。

自己否定をせざるを得なかった自分自身を、許すということ。

自己否定に気づいたら、なぜそうしてしまうのかという理由や事情に目を向けてみることをおすすめします。それは、自分自身を許すというプロセスの一部になるからです。

【受付終了】11月度個人カウンセリングを募集いたします。

文筆家・心理カウンセラーの大嵜直人のブログにお越しいただき、誠にありがとうございます。11月度の個人カウンセリングを募集いたします。あなたさまのお話をお伺いできますことを、心より楽しみにしております!

自己否定をいけないこととして扱うよりも、そうせざるをえなかった事情に目を向けてみる。

自己否定はしんどいものですが、それをいけないこととして扱うよりも、そうせざるをえなかった事情に目を向けてみる視点をご紹介します。たとえ自己否定であっても、それを愛の視点からとらえることはできるのです。

秋陽に満ちた淀で、記憶と情感にふける日。

リニューアルした京都競馬場を訪れました。以前に訪れたときの記憶と情感にふけりながら、癒されてきました。

自己否定から、自分を変えようとしない。

自分を変えようとするとき、自己否定からはじめてしまうと、その先に待っているものも同じになります。いまの自分を肯定することからはじめることが、おすすめです。

いまの自分を受け入れることで、望む姿に自分を変えていくことができる。

自己肯定の大原則は、いまそのままの自分を否定せず、受け入れることです。しかしそれは、自分からは何もしなくてもいい、というわけではありません。

動けないとき、一歩踏み出せないときは、まずはその状態を肯定的に受け入れることから。

新しいことを始められないとき、動けないとき、一歩踏み出せないときは、誰にでもあります。そんなときは、まずはその状態を肯定的に受け入れることから始めることがおすすめです。

「怖れ」は無理矢理に乗り越えようとするよりも、そのはたらきに感謝しつつ手放すのがおすすめ。

「怖れ」があると、なかなか新しい一歩が踏み出せなかったりします。しかし、それを無理矢理に乗り越えようとするのではなく、その恩恵に感謝しつつ手放すのがおすすめです。

自分のなかの愛を認め、その価値を見ることは執着を緩めてくれる。

何かに執着するとき、私たちは過去に対して執着しています。それゆえ、その過去の自分を愛し、認めてあげることは、執着をゆるめてくれます。

「手放し」とは、その相手との関係性に「句点」を打つイメージ。

「手放し」とは、その相手との関係性を過去のものにして、新しい関係性を築いていくものです。それは、相手との関係性に「句点」を打つイメージが近いようです。

その澄んだ色に、はかなさを感じさせるコスモスを眺めながら。

その澄んだ色と、どこかにはかなさを感じさせる、コスモスの花。その情感は、秋に感じるそれとよく似ている気がします。

書評:根本裕幸さん著「戦闘力が上がりすぎてひとりで頑張っているあなへ 1日5分、スキマ時間にととのう本」に寄せて

私がカウンセラーとして師事しております、根本裕幸師匠の新著「戦闘力が上がりすぎてひとりで頑張っているあなたへ 1日5分、スキマ時間にととのう本」(ハーパーコリンズ・ジャパン出版、以下「本書」と記します)の書評を。

あなたは、どんな愛し方をする人でしょうか? ~自分の歩いてきた道を、愛の視点から振り返る

その人の愛の伝え方を知ることは、その相手を深く理解することです。それと同じように、自分自身の歩いてきた道を愛の視点から見ることは、とても大切なことです。

「手放し」のプロセスでは、もの寂しさを感じるもの。

「手放し」が進んでいくと、もの寂しさを感じることがあります。そうしたプロセスについて、少し詳しく見てみたいと思います。

「手放し」とは、自分に自由を与え、相手の幸せを祈ること。

「手放し」とは、執着を捨てるのでも、嫌いになるのでもなく、好きなままで距離を置く、というイメージです。それは自分自身に自由を与え、相手の幸せを祈ることでもあります。

【ご案内】根本裕幸師匠のお弟子7期の皆さまが、モニター募集をされておられます!

私が心理学・カウンセリングを学んだ根本裕幸師匠のお弟子のみなさまが、モニターを募集されていますので、そのご案内をさせてください。

「許し」のプロセスの最後は、自分自身を許すこと。

「許し」は、ある特定の誰かやできごとを対象にして始まります。しかしそうしたプロセスは、すべて自分自身を許すことを導いてくれているのかもしれません。

感情的理解の先にある「許し」、その意味とプロセスについて。

「感情的理解」の先には、「許し」という大きな恩恵があります。その「許し」の意味とプロセス、そして恩恵について考えてみます。

神無月の熱田さんは、湿り気とともに。

夏の延長線のような9月が終わり、気づけばもう10月に入りました。そんな神無月のはじまりに、また熱田神宮を訪れることができました。

「もし自分だったら、どう感じるだろう」という感情的理解のすすめ。

「もし自分がその立場だったら、どう感じるだろう」そのように想像してみることは、私たちと相手との間に、確かなつながりをつくることができます。

自分を愛することは、相手を理解するという恩恵をもたらしてくれる。

自分を愛することとは、自分という存在そのものすべてに愛の目を向けること。それは、相手を理解するという大きな恩恵をもたらしてくれます。

報酬や対価としての愛ではなく、自分という存在そのものに対しての愛を。

報酬や対価として他人から愛されると、私たちは嫌悪感を覚えるものです。人からされてイヤなことは、自分にもしないことが大切なようです。

月の満ち欠けを愛でるように、変わりゆく自分を愛すること。

自分を愛するとは、どんな姿の自分をも受け入れることです。それは、日々変わりゆく月の満ち欠けを愛でることと、似ています。

「自分の人生を引き受ける」とは、自分一人で生きようとすることじゃない。

自分という存在、自分の人生を受け入れることは、自分一人で生きようとすることではありません。その逆で、自分という存在を受け入れるほどに、ともに生きる人が必要になるものです。

どれだけ大きく見えたとしても、「問題」は自分で解決していくことができる。

何を「問題」にするかは、自分自身が選んでいるものです。それゆえ「問題」とは、どれだけ大きなもののように見えたとしても、自分で解決していくことができます。