完璧主義があると、どうしても自分に完璧さを求めてしまいます。
それを手放していくと、どんないびつな自分であっても、「いまの」自分を受け入れることができるようになります。
1.自分を受け入れることと「甘え」
先日の記事では、自己受容と甘えの関係について、というテーマでお伝えしました。
「いまの」自分を受け入れることと、「甘え」の関係。 - 大嵜直人のブログ
自分を受け入れること、愛することが大切なことであるとは、このブログでも何度となくお伝えしてきました。
しかし、自分を受け入れようとするときに出てくるのが、「それって、甘えじゃないの…?」という抵抗だったりします。
自己受容の大原則は、「いまの」自分をそのままに受け入れることですが、ダメな自分をそのままに受け入れることは、いけないことなんじゃないか、と感じてしまうものです。
けれど、そうではないんですよね。
「いまの」自分を知ることは、さしずめ地図の上での現在地を知るようなものです。
それを知らなければ、どこに行くにも難しくなります。
どこにいても、いいも悪いもないんですよね。
ただ、いま自分がいるのが、ここである、と。
それを知り、受け入れることは、決して「甘え」ではありません。
「いまの」自分の場所を知る。
そこから、自力で目的地に向かうのもよし、誰かと一緒に行くもよし。
自分の現在地を知ってこそ、私たちはそこからの動きを決めることができます。
2.いびつな自分を、そのままに受け入れる
「いまの」自分を受け入れること。
それは、いびつな自分を、そのままに受け入れることでもあります。
私たちは、みな不完全であり、いびつです。
出っ張っている部分もあれば、引っ込んでいる資質もある。
それを、人より出っ張っているからいいとか、引っ込んでいるからダメとか、そうした見方をしないことです。
どこか、私たちは完全でないと愛されないと思いがちです。
だから、自分の出っ張っている部分をなくして、引っ込んでいる部分を補おうとしてしまう。
けれど、真実はその逆なんですよね。
不完全で、いびつだから、愛される。
ほら、ゲームとかで、キャラクターの能力を示すレーダーチャートみたいなのが、ありますよね。
高校野球とかでも、出場校の「打力」「守備力」「機動力」とかが五角形になっているチャートが出たりしますよね。
ああいうのって、チャートの形がいびつなほど魅力的じゃないですか?
「機動力」に全振りしたチームとか、見てて楽しいじゃないですか笑
体力は全くないけれど、ものすごい魔法が使える味方とか。
完全無欠なキャラクターって、最初は「すごーい」と思われるかもしれませんが、飽きちゃいますよね。
3.完璧主義を手放していく
完全な、完璧な自分でないと、愛されない。
その観念があると、どうしても「いまの」自分を受け入れることが、難しくなります。
完璧主義、といえるでしょうか。
先ほどのレーダーチャートでいえば、きれいな正五角形のような完璧さを、求めてしまう。
そうした完璧主義を手放していくことが、自分を受け入れることにつながっていきます。
完璧だから、人は愛されるのではありません。
完璧でないから、人は愛されるんです。
「人は長所で尊敬され、短所で愛される」とも、よく言われますよね。
完璧さを求めると、自分の引っ込んだ部分やいびつな方が耐え難く、それを否定したくなるものです。
でも、そのいびつさこそが自分らしさであり、それがあるからこそ、愛されるのです。
「いまの」自分を受け入れること。
たとえいびつに見えたとしても、そのままに、受け入れること。
そのためには、完璧主義を手放していくことが、大切なことです。
今日は、完璧主義を手放していくことが、自己受容を進めてくれる、というテーマにしてお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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