2017-12-01から1ヶ月間の記事一覧
1990年の有馬記念は、いまだにこの時期になるとVTRが流れる伝説のレースです。もう30年近く前のことになるのに、いまだに多くの人の心と記憶に残るオグリキャップ。彼がいなければ、私がこうして競馬に触れることもなかったかもしれません。
「尾張温泉東海センター」の湯に浸かってきましたので、今日はその訪問記を。 愛知県下で唯一「名湯百選」に選ばれた名湯で、名古屋にほど近い蟹江町にあります。
世の中にあるコミュニケーションツールの中で、手紙や葉書を選ぶことの恩恵について考えてみました。他のツールに比べて非効率なように見えて、実は現代においてはとても貴重なコミュニケーションツールのように思うのです。
書いてアウトプットした分だけ気づきがあり、さらに日常の細部を見つめられるようになり、書くことがまた好きになったように思います。やはりアウトプットを続けることの恩恵は、とても大きいようです。
好きなものへの関わり方や表現の仕方は、人それぞれのアプローチでいいと思うのです。今日は私が好きな競馬への関わり方を、ストレングスファインダーの資質を通して見てみることにします。好きなことへのアプローチの仕方の、ご参考になれば幸いです。
不定期の人のご縁シリーズ、今日は「やまつ辻田」の店主・辻田浩之さんとのご縁を。辻田さんは、大阪・堺市の地で唐がらし、和風香辛料を販売して百余年の「やまつ辻田」さんを営んでおられます。
子どもは、無条件に全力で親を救うために産まれてくるそうです。もしそうだとしたら、私たちもまたそうだったのかもしれません。
「鍛えて馬をつくる」という信念の、戸山調教師。その追悼と記憶される1993年のジャパンカップ。そのレースを思い出すと、私がこれから伝えていきたいことは何か?、を再認識させられるようです。
たくさんの人に共感してもらいたいと思うほどに無味無臭になってしまい、その逆にたった一人のために書くことが、たくさんの人の共感を呼ぶようです。私たちの意識は拡散すると熱量が落ち、集中するほどに膨大なエネルギーを産むようです。
才能と呼ばれるものは、外から見ると輝いて誇らしく見えるのですが、本人すると最も隠したいと感じるころ、恥ずかしいと感じるところにあるのかもしれません。そしてそれを磨くということは、ある一定の期間、孤独と向き合うことにように思います。
人の変化や成長は直線的ではなく、階段状。だから何かを取り組んでいるけれど始める前とあんまり変わらなくて、続けるモチベーションが薄くなったときにやめてしまうのは、もったいないと思うのです。
寂しさを感じた分だけ、きっと豊かなつながりを感じられるようになるのでしょう。季節のめぐりは、そんなことも教えてくれるようです。
人間関係はよく凹凸にたとえられます。目の前の人が凹なのは、実は自分が凸だからなのかもしれませんし、逆もまた然りだと思うのです。
遥か昔から一直線に引かれた時間軸をたどって、まだ見ぬ未来へと水平なX軸をカタカタと進むようなイメージで時間を考えてしまうけれど、私たちが生きるのは今だけなのです。
今は外国産馬にも天皇賞やクラシック競争は開放されていますが、当時は国内の馬産を守るためという名目でそうした主要レースへの出走ができませんでした。そんな悪法があったらからこそ、ヒシアマゾンのエリザベス女王杯の戴冠はひときわ輝いて見えます。
中島みゆきさんのベストアルバム「大吟醸」に寄せて。好きなものは、好きでいい。自分に対しても、周りの人に対しても。
「寂しさ」は母親の胎内から産まれ出た瞬間から感じ始める、古い感情の一つと言われます。そんな「寂しさ」との関わりについて、今日は少し書いてみます。
自分の周りの素敵な人たちの好意を、ただニッコリ笑ってありがとう、と受け取ること。自分には与えてもらう価値があると降参すること。そのためには、いまここにある奇跡に気付くこと。それはとりもなおさず、日常の細部を見つめること。
滋賀県は大津市にあります「ブルーベリーフィールズ紀伊國屋」さんに寄せて。琵琶湖の西側の小高い山の中腹にあり、無農薬で栽培されているブルーベリーの農園とレストラン、そしててづくりジャムと天然酵母のパンの工房が併設されています。
私たちの身の回りでは、日々いろんなことが起きます。そして、起きたことに対して喜んだり、怒ったり、嬉しかったり、悲しんだり、いろんな感情が動きますが、それを引きずらない方法があります。そう、毎日ブログを書くことです。
目に映る現実を変えるのは行動です。そして、行動を支えるのは感情やマインドと呼ばれる部分です。もしも、そのベースとなるマインドが傷ついているときは、それが癒えるまで行動しないことも現実を変える一歩目だと思うのです。
挫折や失敗、蹉跌といった谷底から這い上がってきた人は、感動を与えます。1996年、秋華賞のファビラスラフィンと松永幹夫騎手もまた、そのような感動を与えてくれました。
好きなことをしていると時間があっという間に過ぎ去ってしまうこと、ありませんでしょうか。そうした好きなことをしている時間は、とっても幸せのハードルが低い状態だと思うのです。
経営の神様、故・松下幸之助さんの逸話で、就職試験を受けに来た学生に対して「あなたは運がいいですか?」と問いかけ、「はい、運がいいです」と答えた学生は即採用していたそうです。運、というのもそのようなものかもしれませんね。
そりゃ生きていれば、葛藤や悩みは尽きないわよね。小さなものから、解決しそうにもないものまで。でも、その葛藤こそ喜びって思えたら、少し気楽にそれらとお付き合いできるのかもしれないわね。
おかげさまで、これまで書いた記事が100を超えました。書き始めの頃は、一つ記事を書くのに結構な時間がかかって疲れてしまったりしましたが、最近はだいぶ書くスタイルが固定化されてきました。自分への備忘録も含めて、私の書き方について書いてみます。
ありがとうと思える時間が多ければ多いほど、豊かで満足度の高い生を送れるのだと思います。そのためには、日常の細部を見つめることが大切だと思うのです。
継続は力なりとは申せど、なかなか続かないのが人情ですね。頑張って気力と根気で続けようとするよりは、いつやめてもいいというある種の軽い諦念があると続きやすいのかもしれません。
誰しもが、誇り高く咲ける場所があります。そうでなかったときは、そこで咲いている人の場所だと割り切ることも大切なようです。二頭の短距離のスペシャリストが、覇を競った1994年のマイルチャンピオンシップについて、綴ってみたいと思います。
1998年の当時、18歳だった私にとって、サイレンススズカの美しも速く、そしてたくましい大逃げの走りは、憧れでした。私の青春を彩った優駿でした。