2021-01-01から1ヶ月間の記事一覧
「行けるかどうか分からなくても、チケットは取るんだよ」よく母は、チェロを弾いていた私に、そう言ってくれた。「たとえ行けなかったとしても、『行ける権利を買った』と思えばいいから。だから、行きたいコンサートやらがあったら、チケットは取るんだよ…
空は青く、白い雪は一層映える。時に大寒なれど、吹く風の中には、かすかに暖かな気配を含んでいた。三寒四温。寒くなり、時に雪も降りながらも、暖かな春もまた、やってくる。
「なんで男の人は、そんなムダなものを集めたがるんでしょうね」
ラグビーを観ていて、フルバックの選手が活躍するたびに、父の言葉を想う。
旅をするように生きたホクトベガに寄せて、ウマフリさんに寄稿させて頂きました。
「お山に雲がかかってるから、明日は雨かもね」遠く西の彼方に見える山脈を見ながら、よく祖母はそんなことを言っていた。
寒さは、どこか美しさとつながっている気がする。それは、春の暖かさや、夏の輝き、秋のはかなさには、ないものだ。冬の寒さのみが持つ、美しさが、確かに在る。
いい、お湿りですね。ふと、そんな声をかけられたような気がした。ええ、とても。いいお湿りで。そう、返してみた。
なぜ、男の子はキラキラに惹かれるのだろう。不思議だ。理由はなくとも、そのキラキラは、私の童心と寂しさを、大いに満たしてくれた。
時間を、味方につける。そんな時間を、増やしていこうと思う。
地に足をつけて、歩いて行こうと思う。
身を切る寒風、白く流れる吐息、凍える指先。最も寒い季節のそんな感覚が、好きなのかもしれない。
断酒して809日目。ある意味で断酒に対しての幻想から冷めているような気もする。しかし、面白いのはここからだ。
「せなか、べちゃべちゃ」電気をつけて娘の背中を触れると、パジャマがしっとりとしていた。
「10年ひと昔」と言うけれど。やはり人も時代も、あらゆることが一回り変わるのが、10年という時間なのだろう。
もう、一人で頑張って、ミスが許されない時代は、終わったんだな。一緒に、行けばいい。派手に飛び跳ねる画面の新キャラを眺めながら、私はそんなことを改めてマリオに教えられるのだった。
時に小寒。もうすぐ大寒を迎える、一年で最も寒いころ。そんな中でも、春に向けて季節はめぐるようで。
あの日、大池公園で食べたハンバーグ弁当の味を、忘れない。それを思い出すと、また頑張れる。
鋭い痛みが、左の親指に走った。やってしまったと、瞬間的に思った。親指の爪の隙間から、赤い血がみるみる滲んでくる。
今年もまた、よろしくお願いします。やはり、初詣の挨拶をしてしまうものだと思いながら、熱田神宮の鳥居をくぐった。
今日もまた、綺麗に晴れてくれた。その陽の光と、青色を眺めつつ、空を見上げては、写真を撮る。
大寒波が訪れた週末だったが、よく晴れていた。 午前8時の時点で気温はまだ氷点下だったが、晴れていると外に誘われるものだ。せっかくなのでと、昼過ぎに富士山の遊具がある近所の公園を、息子と娘と訪れる。 午後になって4℃まで気温は上がっていたが、それ…
強さにも、いろんな種類の強さがある。思いつくだけでもいろいろな強さあるのだが、「言葉にする」ということも、ある種の強さなのではないかと思う。
マンネリと聞くと蔑むニュアンスがあるが、「大いなる」という形容詞がつくことで、それは称賛に変わる。時は、重ねるごとに味わい深くなる。
何かを続けていると、わかることがある。多くの場合、それは「違和感」としてやってくる。違和感に気づいたからといって、それをどうにかしようとしなくていい。ただ、いまあるものを認めること。それは、自己受容の大きな大きな一歩目である。
晴れの日と、雨の日と、曇りの日と。密かに想いを寄せる男子から、どれが一番好きかを聞かれる。そんな名場面が、アニメ映画であった。問われた主人公は、確か「曇りの日」と答えたような。
春がよろこびなのであれば、それを待つ小寒もまた、よろこびの一部だ。この季節特有の、やわらかな陽の光を眺めていると、そう感じる。
断酒して794日目、うれしいことがあった。友人でありライフワークカウンセラーであり、かつ断酒仲間の岩橋隆盛さんが、そのブログの中で私の断酒について言及してくださった。
寒いのは苦手なのだが、さりとて、朝の玄関のドアを開けた瞬間の「きゅっ」と身が引き締まる凛とした感じは、冬ならではのものだ。季節がめぐるというのは、いろんな感情を私たちに味わうことを与えてくれる。
アルフォンス・デーケン著「死とどう向き合うか」(NHK出版)を読んだので、その書評を。