2017-09-01から1ヶ月間の記事一覧
そうした「ただそこにある世界」に感情や意味を貼り付けるのは、私たち人間です。寂しいときには寂しいフィルターで外界を見ますし、満ち足りたときには満ち足りたフィルターをかけて外界を見ます。そのフィルターがいまの私たちの状態や感情です。
愛知県犬山市の博物館明治村。明治期の歴史的に貴重な建築物がたくさんあり、SLや市電に乗れたりと1日飽きないのですが、村内の郵便局にとっても素敵なサービスがあります。ハートフルレター。手紙を預り、10年後に指定の宛先に投函してくれるというもの。
風光明媚な三重県志摩市大王町で、昔ながらの製法でいぶしがつお「波切節(なきりぶし)」をつくっておられる「かつおの天ぱく」さん。その鰹節は香り高い中にも、実直で優しい味がします。
無くすことが怖いもの。それはとりもなおさず、その人にとって大事なものなのでしょう。けれど不思議なことに、それはぎゅっと握りしめていると、なおさら無くすことが怖くなります。
ストレングスファインダーは、たとえ私たちが「えー?ほかの資質の方がいいな」などと拗ねたりしたとしても、いつも変わらず北極星のように輝いて、道なき道を歩く方向を示してくれると思うのです。それを無視したり否定したりする航海ほど、難しい旅はあり…
浅田次郎さんの書く家族の喪失とその統合は、いつ読んでも落涙してしまいます。直木賞受賞作「鉄道員」に収録された短編、「角筈にて」もそうです。それは、この話がほぼ実体験だと語る、浅田さんの在り方から来ているものだと思います。
1999年の宝塚記念の杉本清アナウンサーの実況。「今年もまたあなたの夢が、そして私の夢が走ります。私の夢はサイレンススズカです。」前年の同レースを圧勝。その後天皇賞・秋で競争中に故障を発生し、鬼籍に入った当馬への弔意と慕情と敬意と。
麓の多度大社で例年5月に行われる「上げ馬神事」が有名な、多度山に登りました。見慣れない青いトンボに、「もう、大丈夫だね」と言われたような気がしました。
振り返ってみると、私にとって長い間解決できなかった問題は、「寂しさ」だったように思います。私はその感情をずっと抱えてきたにもかかわらず、蓋をしてきました。
人が他人にしてあげたいと思うことほど、実は自分にしてあげたいことなのだ、とはよく聞く話ですが、それに即してみると、実は当ブログの言の葉は全て私自身へのものなのかもしれません。
大丈夫だから、何も心配いらないから、あなたはそのままでいい、あなたは生きているだけで素晴らしい、あなたはずっと愛されている。そんな言葉を、おやすみになる前に胸に手を当ててつぶやいて頂ければ幸いです。
子ども時代の記憶をたどって、思い出の場所に大人になってから訪れるのは、また子ども時代と違った情感を思い起こさせます。そうしていくうちに、もしかしたら傷ついた言葉や態度、すれ違いが、全て愛からだったのだと受け取れる瞬間がくるのかもしれません。
現実に対しての見方を変えることを「癒し」と呼びます。Enyaは、その「癒し」が起こった先の世界の音楽を奏でているように見えます。
1997年の安田記念を制し、欧州のGⅠまで制したタイキシャトル。その成功の裏には、多くの挑戦がありました。
私は受け取り下手でした。自分は与えてもらうほど価値がないという無価値観であったり、同じだけのものをお返ししないと嫌われるという怖れからでした。しかし、受け取るようになってから、人生の歯車が回り始めた気がします。
ただそこに在るものを受け入れることができたら、きっとなんとかなるし、 なんとでもなる。そう思えるようになるように思うのです。
傷って隠すほどにうずくけど、晒すと治りが早いのよ。なんで隠そうと思っちゃうのかしらね。晒すと痛いっていう思い込みがあるのかもね。
私の好きなグリーン・デイの音楽に寄せて、綴ってみたいと思います。彼らが「Good Riddance」の歌詞を書きメロディーをつくっていたとき、その10代の記憶は過酷なものではなく愛と感謝に満ちていたように感じるのです。
五感を澄まし、日常の細部を見つめることは、私たちの意識を今ここに引き戻し、癒しをもたらしてくれます。日常の細部を見つめることは、癒しをもたらします。
「ストレングスファインダー」は、自分を、そして周りの人の才能を深く知るためのツールの一つです。今日はそんな素敵なツールをご紹介します。
福岡伸一先生「できそこないの男たち」(光文社新書)に寄せて。生物学の第一線の研究者ながら、その文章はどこか詩的です。難しい内容を、わかりやすく書くこと。そんな困難なことを軽々とされておられるのが、福岡先生の文章です。
ダービーが終わると、祭りの跡の寂寥感から、あと生きているうちに何回見られるのか、と感傷的になることがあります。けれど、「あと何回見られるか」よりも、「今、この時間を楽しむ」ことが大切なような気がします。
罪悪感の強かった私は、好きなものを遠ざけることで、ずっと自分を罰していました。あなたの好きなこと、なあに?息子に倣って、その質問を自らに問い続 けると、たくさんの好きなことを思い出 しました。
季節のめぐり、人と人との関係も、また自らの内面も、多くがジョーゼフ・キャンベルの「英雄の旅」が指し示す成長モデルを辿るように思われます。
空が高くなってきました。 空気も澄んで、お出かけにはいい気候になってきましたね。 天気もよさそうですし、少し遠出もよろしいかと。 ・・・私ですか? 運転は苦手なものの一つです。のんびりとドライブは好きなのですが。 今日はそんな得手・不得手にまつ…
何かを信じるとは、条件付きではなくて、そのままの状態を信じること。それはとりもなおさず、信じるのはその対象ではなく、自分自身なのかもしれません。漫画「医龍」を読んでいると、そんなことを考えさせられます。
自分で花を落とせないのも、ツツジがツツジであるから。桜にならなくても、椿にならなくても、あなたはあなたで美しい。
私にとってのお馬さんにしても、お客さまの愛しておられることにしても、結局はその中に、自分にとって何か大切なもの、惹かれるものがあるのでしょう。そしてその大切なもの、惹かれるものとは、結局は自分の中にあるもの、観念や考えが投影されているに過…
「怒り」は二次感情だと言われることがあるように、それは本当の感情を隠すために使われることがあるようです。私の恐怖体験から、そんなことを考えてみます。
おそらく、たぶん。必要なものは全て自分の中にある。気づいていようがいまいが、それは誰にでも、きっと。スティーブ・ジョブンズの「点と点をつなぐこと」のように。