自分責めをしてしまったとき、まずはそんな自分を受け入れ、許すことが大切です。その上で、「自分を責めることのメリット」を考えてみることは、大きな恩恵を与えてくれるものです。
早いもので、今日から12月、師走になりました。 2024年も、もう最後の月なんですよね… 毎回、「早いもので」と言っている気がしますが、気のせいでしょうか笑 歳を重ねるほどに、1年があっという間に過ぎていく理由が、 「人生のなかで1年が占める割合が減っ…
自分が抱えている問題の原因がわかったら、それを理由に自分を責めないことが大切です。「問題が分かったら、それで終わり」、それくらいの感覚でいいのだと思います。
「自立」の人の「与える」ことは、真の意味での「与える」ことではないといわれます。ただ、そうだったとしても、それまで与えてきた自分を否定しないでほしいのです。
そのとき受けとれなくても、いつか受けとれる日がきます。人が生きるとは、与えられた愛に気づき、受けとる旅なのかもしれません。
相手が愛を受けとったかどうかは、すぐには分かりません。10年後に受けとることだって、あるのでしょう。このことは、愛を与えることの本質を考えるとき、非常に大切なものです。
「自立」の人ほど、与えられた愛を受けとることが苦手です。けれども、無理に受けとろうとしなくても、ただそこに愛があることに気づくだけでいいんです。
12月度の個人カウンセリングを募集いたします。あなたさまのお話をお伺いできますことを、心より楽しみにしております!
七十二侯では、「虹蔵不見(にじかくれてみえず)」。冬のはじまりのこの時期は、どんよりとした曇り空の日が多くなり、日差しも弱く乾燥してくるので、虹をなかなか見ることができなくなるとされます。
「自立」の人は、愛を受けとるのが苦手であり、それゆえに強い罪悪感を抱えます。その心理と、受けとれない「自立」の人への接し方のヒントをお伝えします。
自分のことは、自分が一番わかっていないものです。でも、だからといって、わかろうとしなくてもいいんです。そのために鏡があるのであり、他人が存在するのですから。
「自立」の人は、内面的に弱さを抱えています。それを本人は必死に隠そうとしますが、周りにはバレバレなんですよね。その弱さを晒そうが晒さまいが、愛されていることには変わりないのです。
「正しさ」と「幸せ」は、反比例します。なぜ「正しさ」にこだわってしまうのかという心理と、その手放し方についてお伝えします。
学びは、ときに「正しさ」になり、それは自分自身を責めるものになってしまいます。そうした「正しさ」よりも、人としてやさしさ、そしてあたたかさを大切にしたいものです。
受けとることをせずに与え続けていると、自分の愛が枯れたように感じてしまうことがあります。それは悪いことでも責めるべきこともなく、そこまで与えてきた自分を愛するときなんです。
鈍色の空を見上げていると、季節は冬なんだな、と実感します。冬を感じて思い出すのは、決まって故郷の冬のような気がします。
与えるのに受けとれないとき、私たちはとても苦しさを感じます。循環させないと、愛もまた枯れてしまうからです。
「自立」の問題として、相手からの愛を受けとれない、という問題があります。「自立」の受けとれない心理と、それを癒していくためのヒントをお伝えします。
「依存」は傷ついた女性性であり、「自立」は傷ついた男性性といわれます。「相互依存」とは、それらを癒し、統合していくプロセスにあるのです。
自分でできることはいいことですが、そこに価値を置きすぎると、しんどいものです。与えられたものを受けとれるようになると、もっと豊かに生きられるのです。
自分が選ぶことができる、という意識は、自立的な心理です。その先に、与えられたものは「自分が望んで、選んでいるもの」ととらえる、相互依存的な意識の持ち方があります。
三重県鈴鹿市にあります、「椿大神社(つばきおおみわやしろ)」に参拝してきました。私の住んでいる名古屋から、そんなに遠くはないのですが、これまでご縁がありませんでしたが、初めての参拝することができました。
暦の上では「立冬」。冷たい木枯らしが吹き、紅葉した葉も徐々に散り、早いところでは初雪の報せが届くころです。
自分の人生を選ぶことと、与えられたものを受けとることは、同じことの裏表です。自分が選んでないように見えるものでも、それを受け入れることができると、広がりが生まれます。
どんなできごとでも、どのような見方をするのかは、自分自身が選んでいるものです。もしそれが酷に聞こえるならば、それはまずは自分を整えなさい、というサインだったりします。
過去のできごとを、どんな見方をするのか、どんな意味づけをするのかは、自分が選ぶことができるものです。そして、「自分が選んでいる」と意識すると、見えてくるものがあります。
過去に起こったできごとや事実は変えられませんが、その意味付けを変えることはできます。その意味付けをポジティブに変えていくことを、「癒し」と呼んだりもします。
過去の自分の見方を変えることは、癒しの重要な一部です。それは、「未来は変えられないが、過去は変えられる」という格言の意味するところと、同じです。
霜月のはじめ、熱田神宮に参拝することができました。しずかな参道に、鳩さんが気ままにお散歩していました。
時候は「霜降」の終わり、七十二候では、「楓蔦黄(もみじつたきばむ)」。その字の通り、もみじや蔦が黄色く色づいてくるころです。