2017-11-01から1ヶ月間の記事一覧
問題をつくっているのは誰なのか?という視点について、書いています。問題の原因をつくっているのは誰なのか?そして、そもそも問題を問題として認識しているのは誰なのか?という視点です。
私たちはこうしたい、こうなりたい、という願望や欲求が強いほど、そうなっている人の「方法論」を絶対視しがちです。そうした他人の成功体験に基づく方法論を唯一絶対のものにするよりは、自分の中の動機と目的をクリアにする方が、目的には早く近づけるよ…
記録を残すことが習慣になると、どんな日常も「シズル感」を感じられるようになります。そこで大切なのは、鮮度を保ったまま残す、ということのようです。
誰しもがとかく周りの人の言うことや、身の回りに起こる事象に振り回されると自信がなくなったりすると、頭で理解しやすい根拠を求めがちです。けれど素晴らしい自分の価値や、ただそこに在る愛を信じるのに、理由や根拠はいらないと思うのです。
見えないもの、あるいはそこに存在していないものに想いを馳せる力を想像力と定義するなら、それは人に与えられた素晴らしい能力の一つで、生きることを豊かにしてくれます。突拍子もない想像もまた、人生を豊かにしてくれる一つの翼のようです。
毎日通る風景にも、少しずつ変化があります。その日常の細部を愛でることは、たくさんの驚きと発見と癒しをもたらしてくれます。
特段構えることなくそれを続けられるから「日常」。「才能とは、継続する情熱である」とはフランスの作家モーパッサンの言の葉ですが、日常に落とし込んで何年も何十年も続けられることこそが才能なのでしょう。
私が大好きだったプロ野球選手、前田智徳さんについて書かれた「前田の美学」(迫勝則著、宝島社)に寄せて。
愛知県豊田市足助町にあります紅葉の名所「香嵐渓」に行ってきましたので、その写真をメインでお届けします。
身の回りに起こる事象で心が揺れたりブレたりしたときに、もう一度自分に戻れるツールをいくつ持っているかが、日々を豊かに生きる秘訣のように思います。娘の保育園で聞いた話から、そんなことを感じました。
写真を撮ることを趣味にすると得られる、3つの恩恵について書いています。
いろんな優しさがあるけれど、その中から選ぶ、という主体性。それがあれば、たとえそのとき相手に受け入れられなかったとしても、過剰に反応することはありません。
プロの方の力を借りる際に気を付けておくと、その効果が最大限に発揮される点があります。それは、丸投げせずに意思をもって依頼することです。
充実した生を送るために必要なのは、100メートル競走を走るように全力になれる時間と、淡々とマラソンを走るような感覚、の二つの要素の塩梅なのではないかと思うのよ。で、それは無理にバランスを取ろうとするより、得意な方を突き詰めると、もう一方の…
もし、身の回りで変わらないと感じるものがあるとすれば、実はそれは大きく変化しているのかもしれません。目に見えるほどの大きな変化ではなくて、その変化を感じられると不思議と満たされていくと思うのです。
夢の種は外気を好むと思うようになりました。暖かな日差しに見守られて、冷たい風雨も糧にしながら種は育っていくように思います。必ずその種を温かく見守り、応援してくれる人が周りに現れるのです。
自分の好きなものに囲まれて暮らすためには、まず種を植えることだと思う。日々ここで書くこともその一つ。一つ記事を書くと、自分の庭に好きなものが一つ増える。楽しい記事、嬉しい記事もそうだし、そうでない記事も自分の庭に彩りを与えてくれる。
どんなに恵まれた生活も、毎日続くと必ず日常になります。そして慣れることの怖さは、「不感症」です。それを解消する鍵は、外界からの新しい刺激ではなくて内観だと思うのです。
「世界がどうあるか」が問題なのではなくて、実は「自分が世界をどう見るか」が全てのカギを握っていると思うのです。そしてそれは自らの意志でいかようにも変えることができます。
京都・大徳寺にあります「さいき家」さんに寄せて。千利休ゆかりの大徳寺のある京都・西陣で愛される仕出し料理の専門店で、百貨店催事にも精力的に出展されています。時間をおいても崩れず、口に含むと上質な鰹と昆布のだしがあふれ出る「京風だし巻き」は…
自分が欠点だと思っている点。できないと思っている点。できることなら隠しておきたいものです。けれど思い切ってそれを晒し出してみると、意外と周りから愛されてしまいます。それどころか、その欠点にはもしかすると自分の天才的な才能が隠れているのかも…
「天国までの100マイル」(浅田次郎著、朝日新聞出版)に寄せて。何をしても裏目、逆目を引き、うまくいかないとき。そんな地ベタでこそ、男の色気は磨かれると思うのです。
他者に評価や承認を求めると、それが与えられれないと感じたときや周りとの比較で苦しくなります。それを避けるためには、自分のブログなりのアーカイブを見てうっとりするアホになることが必要かもしれません。
SNSと違って、ブログは「残る」ということと、「冷静な評価」をいただけることの二つが恩恵としてあるようです。今日はその二つの恩恵について、考えてみます。
このブログを毎日更新する理由は二つあります。一つは、このブログを始めたきっかけのブログがそうだったから。そしてもう一つは、言葉を書くことが上手くなりたいから。
私が日々言葉を綴るきっかけとなったブログについて、少しお話しさせてください。根本さんとのご縁のおかげで、今もこうしてここで書き続けることができています。
たった一人でも、「この記事、読んでよかったな」と思ってもらえることが出来たら。それは、これ以上ない喜びです。だから、そのために日々書き続けます。
365日、24時間いつも一緒にいるのが、自分という人間。それだけに変化や成長が気付きにくいのですが、他人との比較という横軸ではなくて、過去の自分との比較という縦軸の視点だと変化がわかりやすいです。
周りから応援され、与えられるようになって願望や夢が叶うから、自分の好きなものや感動したものは、遠慮なくシェアした方が絶対にいいと思います。自分の周りの人の「めっちゃ好き」という感情は応援したくなりますよね。
「在る」ことに気づくと、不思議と満たされていきます。足りないものは何もないことに気付きます。要はいま「在る」ものを受け取れるようになるのですね。