大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

2024-04-01から1ヶ月間の記事一覧

「手放し」は、寄せては返す波のように進むもの。

「手放し」とは、一直線に進むのではなく、行っては戻り、戻っては行ってを繰り返しながら進んでいくものです。そうした自分の心のゆらぎを許せると、一層「手放し」は進んでいきます。

完璧主義を手放していくことが、自己受容を進めてくれる。

完璧主義があると、どうしても自分に完璧さを求めてしまいます。それを手放していくと、どんないびつな自分であっても、「いまの」自分を受け入れることができるようになります。

季節の移ろいを感じることは、自分とつながる手助けをしてくれるもの。

自分とつながること。自分がいま、何を感じているのか。季節の移ろいを感じることは、それに注目させてくれるようです。

「いまの」自分を受け入れることと、「甘え」の関係。

自己受容の大原則は、「いまの」自分をそのままに受け入れることです。しかし、ときにそれは「甘え」に見えてしまったりするものです。そんな自己受容と「甘え」の関係について、考えてみます。

「いまの」自分ができないことを認めるのは、自己受容の一歩目。

「いまの」自分をそのままに受け入れることは、自己受容において最も大切なことの一つです。たとえ、いまできなかったとしても、「じゃあ、それをどうするか?」を考えていくことができます。

【受付終了】5月度個人カウンセリングを募集いたします!

文筆家・心理カウンセラーの大嵜直人のブログにお越しいただき、誠にありがとうございます。5月度の個人カウンセリングを募集いたします。あなたさまのお話をお伺いできますことを、心より楽しみにしております!

いまの自分は、それを決められる自分だろうか?

何かに決めること、肚をくくることを「コミットメント」と呼びますが、そのためには、自分を受け入れ、許すことが必要です。何かの選択で迷ったときは、それを決められる自分になるまで待つことも、一つの方法です。

結果にこだわる「執着」、プロセスを楽しめる「コミットメント」。

「執着」していると、結果ばかりが気になって、いつも急き立てられる感じがするものです。一方で、「コミットメント」ができていると、そこに至る過程を楽しめるものです。結果ばかり気になるときは、どうやったらプロセスを楽しめるか?という視点を持つこ…

「執着」していると焦燥感があるが、「コミットメント」できているとそれが無い。

「執着」していると、結果にこだわり、焦燥感があります。一方で「コミットメント」には、それがありません。その心理の違いについて、詳しく見ていきます。

桜と入れ替わりに、静かにツツジが咲くころ。

厳寒のなかに咲く梅の花からはじまり、木蓮、桜、そしてツツジ。移ろいゆく季節を彩る花は、いつも美しいものです。

お酒を手放したときのこと。 ~決断に必要なのは軽やかさ、しなやかさ

何かを決めるために必要なのは、剛直さではなく、軽やかさであり、しなやかさです。私がお酒を手放したときの体験から、そんなことをお伝えします。

「手放す」ために必要なのは、強固な意志というよりは、柳のようなしなやかさ。

「手放す」ときに必要なのは、絶対に曲げない強固な意志ではありません。それよりも、柳のようなしなやかさで、選び続けることが、求められるものです。

執着を手放すための3つのステップ。

「手放し」とは、執着から自分を解放し、自由を与えることを指します。そうした手放しを進めるための3つのステップについて、お伝えします。

「手放す」と決めるのは自分自身だが、そのプロセスは自分一人で歩かなくてもいい。

何かに執着してしまうとき、それを「手放す」と決めるのは自分自身です。ただ、その手放しのプロセスは、自分一人であるかなくても大丈夫なんです。

「手放し」の恩恵は、過去を過去として区別して、いまに意識を向けることができること。

執着していると、私たちの意識は過去にとらわれてしまいます。「手放し」とは、相手やできごととの関係性を過去のものにして、いまに意識を向けさせてくれる心のありようです。

相手の幸せを願えること、そのできごとに感謝できることが、「手放し」ができているサイン。

「手放し」とは、執着から自分自身を自由にしてあげることを指します。「手放す」ことができると、その相手の幸せを願うこともできるし、そのできごとに感謝することもできるようになるものです。

桜咲く清明、映画の記憶とともに。

何もしなくても、花は咲き、季節は流れていく。ただ、花は咲き、散っていく。今年の桜も、格別に美しかったです。

その人を許すことで、私たちは癒される。

「癒し」とは、ものごとの見方がポジティブに変わることを指します。そこに至るためのプロセスを、「許し」と呼びます。

「許し」とは、誰かに教えられるものでもなく、頭で考えてするものでもなく、自分で気づくもの。

カウンセリングでの中核的なテーマに、「許し」があります。それは誰かに教えられるものでも、頭で理解してするものでもなく、自分自身で肚落ちして気づいていくものです。

弱音が吐ける場所は、誰にとっても必要なもの。

感情と同じように、「弱音」もまた、溜め込むほどに膨らんでしまいます。それを安全に吐き出せる場所は、誰にとっても必要なものです。

「感情的理解」とは、できごとをそのままに受け入れる強さであり、「許し」に至るもの。

「許し」のプロセスの一部である「感情的理解」。その理解ができると、ものごとの見方をポジティブに変えていくことができます。パートナーとの別れを例にして、そのプロセスを見ていきます。

「感情的理解」のプロセスと、その先にある感謝と恩恵。

その相手やできごとを、感情面から理解していこうとするプロセスについて、お伝えします。それによる恩恵は、誰よりも自分自身に与えられるものだったりします。

「無害者」の視点に立つには、自分が我慢することではなくて、自分の心に余裕を持たせること。

「加害者」でも「被害者」でもない、「無害者」の立場。その立場に立つためには、自分が我慢することではなくて、その逆に自分の心に余裕を持たせることが必要です。

雨上がりの木々のざわめきを聞く、卯月の熱田さん。

桜が咲かないとか、咲いたとか。そんなことを言っているうちに、もう卯月の声を聞くころになりました。そんな卯月のはじめ、熱田神宮を参拝することができました。

誰かのせいにも、自分のせいにもしない、「無害者」という視点。

加害者でも被害者でもない、「無害者」の視点というものがあります。誰かのせいにするでもなく、かといって自分のせいにするでもなく、起きていることをそのままに引き受ける姿勢です。この視点は、自分の生を主体的に生きることを助けてくれます。

自分の生をそのままに引き受ける、「アカウンタビリティ」という見方。

「アカウンタビリティ」という概念があります。自分の生を主体的に引き受け、生きていくためには欠かせない見方です。

「休む」「眠る」ことに罪悪感を持ってしまう、ハードワーカーさんへ。

がんばってきた人ほど、「休む」「眠る」ことに罪悪感を持ってしまうことがあります。それでも、自分の心と身体を深く愛するためにも、休むことは欠かせません。

自己肯定とは、「自己否定してしまう自分」も受け入れてあげること。

自分を肯定する、受け入れる上で大切なのは、それができない自分も肯定してあげる、という点です。それは、自己否定をしてしまう自分を、まるっと包み込んでしまうようなイメージです。

選択権は常に自分にあり、何を正解とするかも自分次第という意識を持つことの大切さ。

ものごとにはいろんな見方があり、いろんな選択肢があります。どれが正解か?と考えるよりも、その選択権は常に自分にあって、何を正解とするかも自分次第という意識を持つことの方が大切です。

どうして、自分の周りにはイヤな人ばかりが集まってくるのだろう? ~2つのアプローチから考えてみる

自分の周りに、イヤな人ばかりが集まってくると感じるとき。場所と投影という、2つの視点からのアプローチをご紹介します。