2020-01-01から1ヶ月間の記事一覧
坂の頂点を越えて、下りに差し掛かったところで。思い切り、走ってみた。
"I was there."「私もそこにいたんですよ」。それは、その瞬間、同じ感動を共有した者だけが言える特権なのかもしれない。
その空の青さと、地の緑と。そのコントラストは、私に「ホワちゃん」の美しい色を想起させた。あの透き通ったような青色と、そのつながりのような緑色。その身体を、思い出していた。
習慣こそが、とんでもなく遠いところに人を運んでくれる。その習慣をつくるのは、思考である。選ぶ事ができず、ただ感じるのみの感情とは異なり、思考は選ぶことができる。
時候は大寒。そして七十二侯では「水沢腹堅(さわみずこおりつめる)」、沢の水が氷となり厚く張りつめるころ。一年で最も気温の低い時期ではあるが、その時期に花を咲かせる梅の花は、どれほど多くの春を待つ人の心を慰めてきたのだろう。
今月3周年を迎えた刈谷市の「魚屋ごんべえ」さんを再訪した。新規でオープンしてから、3年という時間の長さを想う夜だった。
ありがたい後押しや応援があるから、やる気になり行動できるのか。やる気になり行動したから、ありがたい後押しや応援が来るのか。どちらも正しく、どちらも真実なのだろう。
ふと、何か書いている。そういう時が、確かに、ある。そのときに書いているあれは、何なのだろう。
変わらぬものなど何もないし、 永遠に続くものなど何もない。けれど、失くした物は景色だけなのかもしれない。一緒に、歩こう。CHAGE&ASKAの「NとLの野球帽」は、いつもそう思う勇気をもらえる名曲である。
何も起きていない。ただ、あるがまま。そこに意味もなにもなく、価値もなく、正誤善悪優劣聖俗もなく。それでも、ただ、在る。
記憶というものは、感情と密接に結びついていることが多い。そして感情というものは、何がしかの食べもの、音楽、風景、街…そういったものと結びついている。ふとした瞬間に、忘れていたような記憶がよみがえることがある。
大寒を過ぎると、すぐに春立てる日へ。世界は、またやさしくなる。またいつか、寒さが戻ってきて、膜を、皮を、鎧をつくっても。もう、大丈夫。季節はめぐり、世界はまた美しくなるから。
言葉など、記号に過ぎない。それは、ただの飾りだ。だからこそ、我々はそれを伝え合うのだが。
ここのところ、私が興味をそそられるのが「十牛図」である。中国は宋の時代の禅の入門書であり、悟りへの道を表した10の絵である。有名なところでは、京都の相国寺所蔵の十牛図がよく知られている。
「結局のところ、問題は口にした瞬間に、その人の問題になるんですよ。よくいるじゃないですか、他人の言動だったり、世の出来事だったりを、『これは問題だ』みたいな批判する人。あれは、そう言ってる人の問題でしかないと思いますけど」
トイレのドアの向こうからは、鼻歌が聴こえてくる。こんな真夜中に起こしておいて、呑気なものだ。それが、たまらなく、愛おしいのだが。
どこかへ流れいったのはあの雲だったのか、それとも、私だったのか。
私が停滞するときは、「持て余す」ときらしい。持て余さないようにするためには。やはり、出し続けることなのだろうか。
「現代の魔法使い」と称される落合陽一氏が昨年の秋に出版された、「2030年の世界地図 あたらしい経済とSDGs、未来への展望」(SBクリエイティブ)の書評を。
「諦める」の語源は、「明からしめる」、「明らかにして眺める」から来ていると聞く。季節が移ろうのを眺めるのは、「諦める」ことに近いのかもしれない。
私は、自信が、ない。だから、何もしたくない。それは分かった。じゃあ、どうしようか。
自分を客観視することは非常に難しいが、同時に非常に大切なことでもある。それは、自分という存在を「メタ」な視点から眺める、ということである。そこに自己を客観視するという困難のヒントがある。
「サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福」(ユヴァル・ノア・ハラリ氏著、河出書房新社)を読了した。イスラエル人の歴史学者である著者による、世界的に大ヒットした本書は、そのタイトルの通り歴史書である。その書評を。
さて、断酒432日目である。多くの人にとって、最もアルコール摂取頻度が上がるであろう年末年始も、淡々とノンアル生活を続けていた。慣れれば何のこともないものである。
「<出雲>という思想 近代日本の抹殺された神々(原武史著、講談社学術文庫)」に寄せて、書評を。
仕事始めの小寒の頃、父を想う。それと同時にまた、次の休みに息子と野球をしようとも、思う。
子どもが大きくなるにつれて、問題もまた大きくなるとよく言われる。けれどそれは、子どもが大きくなるにしたがって、問題が大きくなるのではなくて、親自身の深い内面を癒すことが求められるだけのように思う。結局のところ、子どもが見せてくれるのは親自…
伊雑宮の御料田を前にして、しばし目を閉じて座っていたが、次第に日が陰り始めてきた。名残惜しかったが、冬の風が吹き始めてさすがに寒さを覚えた。駐車場に戻って、車のエンジンをかける。冬至前の伊勢志摩をめぐるこの旅も、あと一つの目的地を残すだけ…
美味しいものを食べた時に、どう表現するか。いちばん最初に表現する五感の感覚が、その人の最も優れた感覚であることが多い。その感覚を知ることは、自分を知る一つの手がかりになる。
収穫後の田んぼを前にして座り、ただ目を閉じる。鳥の声、風の音、草々のささやき…そんな声なきものの声を聴きながら、しばしここで座っていた。志摩の風は、いつまでも優しく私の頬を撫でてくれていた。