自己受容の大原則は、「いまの」自分をそのままに受け入れることです。
しかし、ときにそれは「甘え」に見えてしまったりするものです。
そんな自己受容と「甘え」の関係について、考えてみます。
1.自己受容の大原則
昨日の記事では、自己受容の大原則は「いまの」自分を受け入れること、というテーマでお伝えしました。
自分を自分が受け入れること。
自分を自分が許すこと。
自分を自分が愛すること。
いつも、このブログで大切なこととしてお伝えしていることですし、いろんな場面で同じ話を聞くことがあることかと思います。
私たちは生きる中で、いろんな問題に出会います。
しかし、どんな問題であっても、最終的には自分を愛することで、問題は問題でなくなるものです。
言い換えると、私たちの周りで起こる問題は、「もっと自分を愛せますよ」というサイン、とも言えます。
さて、自分を受け入れること、愛することの第一歩は、「いまの」自分を受け入れること、というのが昨日のテーマでした。
そこに、正誤善悪の判断や、なんからの価値判断を入れないことが、ポイントです。
「いまの」自分は、そうなんだな、と受け入れること。
そこに、自己否定をくっつけない。
ただ、そうなんだな、と静かに納得する、そんなイメージです。
そうすることで、次に「じゃあ、どうしようか」と考えることができます。
2.自分を受け入れることと「甘え」について
この「いまの」自分を受け入れる、という視点ですが、「それって、甘えではないのか?」と感じるかもしれません。
自分に対してとても厳しかったり、罪悪感が強かったり、あるいは、誰かに与えたい、という想いが強い人ほど、そう感じることがあるかもしれません。
なんだか、私の自己紹介のような気もしますが、気のせいなのでしょう笑
それはともかくとして、「いまの」自分を受け入れることは、決して「甘え」ではありません。
むしろ、「いまの」自分の状態を受け入れないことの方が、「甘え」ともいえるのかもしれません。
「いまの」自分を受け入れることは、たとえるなら、「現在地」を知ることです。
自分が東京の千代田区にいるのか、それとも大阪の淀川区にいるのか、それを知らないことには、どこに行こうとしても難しいですよね。
そこで、「いや、千代田区にいるのはおかしい」とか言って自分を責めたり、
「自分は淀川区にいるのは、どうしようもないな…」とか言って自分を否定したりしていたら、余計に動けなくなりますよね。
そんな人はいないか笑
でも、私たちは自分の心のなかでは、そんなことをしてしまったりするものです。
千代田区にいることがわかるからこそ、「仙台に行きたいな」と思ったら、どの手段で行くのかを考えて選ぶことができます。
自分が、千代田区にいるのか、淀川区にいるのか、それとも違う場所にいるのか。
それを知るのが、自分の感情を感じつくすことであり、自分が感じていることに素直になることなのでしょう。
3.時には、「甘え」てもいい
自己受容の第一歩は、「いまの」自分を受け入れること。
それは自分の現在地を知ることであり、「甘え」ではない。
そして最後に、「甘え」てもいい、ということを付け加えておきたいと思います。
いまの自分の現在地を知ったら、自分が行きたいところへの道が見えてきます。
その道を、自力で歩いてもいいんです。
仙台まで行きたかったら、自分の足で歩いてもいいんです。
徒歩で行ったら、達成感はものすごいでしょうね笑
けれど、新幹線やバス、あるいは飛行機で行ってもいいんです。
JRや交通各社の力を借りながら、行ってもいいんです。
その「甘え」がいいことかどうかは、自分が決めればいいことです。
強いて言うならば、「与える」「受けとる」意識があれば、「甘える」こともまた、誰かを喜ばせることではないかと思うのです。
今日も遅延なく動いている、交通機関のありがたさを受けとり、感謝する。
自分がそれを利用することが、交通機関の方々にとっても、喜ばしいことという意識。
そうした「与える」「受けとる」意識があれば、自分も世界も、お互いにうれしいのではないでしょうか。
決して、「甘える」ことが、悪いことではありません。
誰かの力を借りるとき、その誰かの力を発揮させているわけですから。
そんな意識でいると、自分が望んだ場所に、楽しく速く、たどり着けるようになるのでしょう。
今日は、「いまの」自分を受け入れることと「甘え」の関係、というテーマにしてお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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