2018-09-01から1ヶ月間の記事一覧
究極的には、とその方は呟くように言った。「コインを投げるように、人生を決めていい」その方は続けた。「むしろ、コインを投げるように、生きた方がいいんだ」
自己確信が深まると、一つの恩恵がある。わたしの偉大さに気づくと同時に、同じ神性が目の前の人に宿っていることに気づくのだ。
これからも、私はこの曲がりくねった穴だらけのでこぼこの道の上で、それを表現し続ける。それが、わたしのいきるみち。
揺るぎない「自己確信」という果実は、「葛藤」を肥料にして。悩んで、葛藤して、不安がって、足掻いて、絶望して、諦めろ。そうすること自体も、完全で不完全な生の一部なのだから。必ず、あなたの果実は、生る。
書け。好きなんだったら、ど真ん中を、歩け。
何もしない静寂の時間は、あるとき静かな気づきをもたらしてくれる。自分にふさわしい行動を気づかせてくれる。
菊花賞の寄稿文の序文を公開してみる。
漫画「陰陽師」に影響されたタイトルをつけてみたが、今日は秋分の日。陰陽で見ると「陽極まりて陰となす」の通り、夏至から発生した陰の気がだんだん増えていってちょうど真ん中になるのが「陽中の陰=秋分」と言われる。
ここのところ、私にとって書くことととは何だろう?という問いが芽生えてきた。私は書くことで何を伝えたいのだろう?その伝えたい大切なものは、何だろう?それを、誰に伝えたいのだろう?
どうやって隠そうか、見つからないようにしようかと思って悩んだ時間は、その裏側にある才能を磨いている時間だった。コンプレックスは、天から与えらえた魅力と才能なのだと思う。
「絶望」も「才能」も、私自身の愛しい大切な一部に過ぎない。「白」と「黒」のオセロがひっくり返ったあと、人はそんな風景を見る。いまは「黒」としか思えなくても、大丈夫。きっとそこには色などなく、自分の大切な一部として愛せる時がくる。
時に悲しみや辛さや、ショックや絶望に打ちひしがれようとも、絶望は才能に裏返すことができる。たとえ長い絶望の時間を経ようとも、心は死なず。ずっと自分の才能を指し示し続けている。
J.S.バッハの「ブランデンブルグ協奏曲第5番 第2楽章」。ブランデンブルグ協奏曲の第5番というと流麗な第1楽章が有名で、私もずっとこの第1番を好んで聞いていたのだが、ここのところは嗜好が変わったようにこの第2番が心に響く。
ディズニー映画「プーと大人になった僕」を観たので、その映画評を。
今でこそだいぶ緩んだが、以前はワーカホリックだった。
この白山中居神社に行きたい。そう思うと、あれよあれよという間に、企画した仲間同士の呑み会が、いつの間にか郡上八幡城へのオフ旅になり、気づけば「せっかくだから、この神社に行きたい」と無理を仲間に叶えてもらっていた。たどり着くときには、たどり…
岐阜は郡上という土地を初めて訪れた。お盆に徹夜で踊ることで有名な「郡上躍り」、そして清流と鮎で有名な郡上市だ。目的は、郡上八幡城を訪れること。
「孤独」とはある種の物理的な状態のことであり、「孤立」とは心理的な痛みを指すのだと思う。
「別離」とは過去のことであり、「不在」とは未来のことであるかもしれない。そして、いまこの瞬間には、「別離」も「不在」も存在しえない。
「別離」とは過去のことであり、「不在」とは未来のことなのかもしれない。もうずいぶんと高くなった空に、結構な早さで雨雲が流れているのを見上げて、私はそんなことをぼんやりと想った。
チャック・スペザーノ博士の名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」の一節から。
遅ればせながら、漫画「陰陽師」を読んでおります。 友人に勧められて読み始めたのですが、その雅で幽玄な世界観にどっぷりとハマってしまいました。 いま4巻まで進みましたが、この後が楽しみで仕方がありません。 そして原作の小説、映画まであると聞いて…
仕事の上で、アポイントなしで訪ねてこられるのが嫌いだった。けれど、実はそれは多くことを教えてくれるものだった。
「この眼に映る世界は、自らの内面を映し出したものである」とよく言われる。
孤独とは、その人の置かれている社会的な状況を指すのではなく、「私は孤独です。寂しいです。」ということが言えない心理状態を指す。どれだけ多くの人とつながっていようと、自らの抱えている心の闇を吐き出すことができなければ、人は孤独感に苛まれる。…
ソファに腰掛けて、じっくりとモネを眺めていた。他のお客さんはまだほとんどここまで来ておらず、このキャンバスを静かに眺めることができた。
椎原崇さん著「うまくいったやり方から捨てなさい」サンマーク出版の書評を。
「いつも『時間がない』あなたに -欠乏の行動経済学」センディル・ムッライナタン&エルダー・シャフィール共著、ハヤカワノンフィクション文庫の書評を。
「好きなことをして無心に歩くとは、結果を気にしないこと」。無心で歩くとは、言い換えると周りに目が入らない状態とも言えます。
少し前に、お会いした方からアドバイス頂いた言葉でした。「好きなことを無心で歩くことが人生の要になります」含蓄のある言葉のように思えます。