2019-04-01から1ヶ月間の記事一覧
断酒というツールがそれを後押しするわけではなく、「変える」と決める決断が人生を変える。至極、当たり前の話なのだが、他の多くのことに応用できる話であるように思う。
生きるとは、愛された記憶をたどる旅。その記憶を一つ取り戻すたびに、人はまた自由になる。
車を停めて、息子と娘とビルの上から見えるバックネットを頼りに球場を目指す。20年ぶり以上に、ナゴヤ球場へ中日ドラゴンズの試合を観に来た。
歳を重ねるごとに、自分というものが分からなくなっていく。それでも、歳を重ねるごとに、たいせつな言葉は増えていく。
その路傍に咲く花も、そのようにして咲ているのではないか。どんな人にも同じように、その美しい花弁を傾けているではないか。その花を見るように、ただ目の前の人を、見よう。
墨汁を飲み込んだような気分のまま運転を続け、ようやく車を停める。朝、見たツツジの花が雨に濡れていた。少し、墨汁が薄まったような気がした。
「アタシ、最近がんばってるんです。早く来れるようになったんですよ」
あんなにも休まなかったのは、私がワーカホリックで犠牲もしていたのかもしれない。けれど、毎日やって来るツルさんが、好きだったんだろうな、とも思う。
息子の望みを叶えたと思っていたら、 望みを叶えられていたのは私の方だった。花粉の季節もピークは過ぎたのに、どうも涙腺が緩くなる、そんな春の日だった。
葉桜。長い冬を越えて淡いピンクの色を世界に与える季節と、生命力を最も感じる緑と風の季節。始まりと、終わりが集う場所。それがずっと私の心をとらえて離さないのは、なぜだろう。
「アタシ、また今日も遅刻ギリギリだったんんですよ、もう毎日で疲れちゃいますよ」
今年は4月に入っても寒の戻りがあったおかげか、桜が長く楽しめましたね、という会話をつい先日までしていたような気がするのだが、気づけば季節は新緑に向かっていく。
昨日のこちらのエントリーに、「傷を癒すものとは、なんなのか」という質問をいただいたので、今日はそれについて書いてみようと思う。結論を先に書くなら、やはり「感情を感じること」に尽きるのだと感じる。
「愛する」ということは、時に残酷だ。誰かに愛を伝えることは、ときに自分の心の傷をえぐられる。もっとも深い愛が、もっとも深く心の奥底に沈めた傷をえぐる刃になる。その傷を癒すのも、また愛なのだが。
暖かな春の土曜日、息子と娘と中京競馬場へ出かけた。暖かな陽射しの下、まだ桜は咲き誇っていた。この日は中京開催日ではなかったので、人もまばらだ。
川の向こう岸のマンションに灯りが見える。水面に映るその灯りは、美しかった。あの灯の数だけ、家の温かさがあると思うと、なぜかオレンジ色の灯をずっと見ていたくなる。
「かんきつジャム」と「りんごジャム」を購入させて頂いてから、井上征良さんのジャムのファンになった。
小雨に煙る岡山駅。別れの挨拶に来た岡山は、車窓から見える冷たい雨が散らす桜と同じように、名残惜しかった。
「目的」も「目標」も、なくてもいい。むしろその方が、続けるという視点からすると、大切なことなのかもしれない。ただ、その習慣や行為自体を楽しむこと。その先に何があるのかは、すべてお任せでいい。
今日の私が考える「自分を愛する」方法を箇条書きで上げさせて頂きました。もし何か一つでも参考になれば、幸いです。
自分の体の身体的な反応を無視するときというのは、だいたい自分を大切にすることを忘れているとき。それは、自分を大切にしていない状態の、分かりやすい指標のように思う。
三十数年前、私もそうだったのだろうか。見守られ、手を引かれ、そこにいた。生きるとは、愛を思い出す旅。そうなのかもしれないと思った。
平安の昔の歌人も、桜の美しさを伝える歌として、「世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」と詠っている。それだけ、この短期間で一気に咲き誇り、散りゆく桜というのは、千歳の昔から人の心を忙しく揺さぶってきたのだろう。
断酒の恩恵を見つめながら、これからもできる範囲で続けていこうと思う、断酒5か月目である。
時間をかけることを怖れると、時間が止まる。時間をかけることを覚悟すると、時間が進む。時間という霊薬は、かくも不思議な効用を持っているようだ。
今日のこのトンネルは、どこの青空につながっているのだろう。芝生の上に横になったせいか、草きれが入ったようで背中がむず痒かった。それもまた、春らしいような気がした。
偶然開いたページのはずなのに、なぜかその日にぴったりのアドバイスやヒントが出てくるから面白い。偶然などなくて、すべて必然。自分自身がそれを選んでいる、と思うと楽しい。
夜桜を照らすにぎやかな灯りを見上げていると、やはり普段は思い出さないようなことが浮かんでくる。いまとなっては何の意味も為さない、その数十年前の会話。それでも、私はその陽射しのオレンジ色の寂しさと、百五十億年先への心配を覚えている。そんなど…
己が無力さを知ること、叶わない夢があると知ること、どうやってもたどり着けない場所があると知ること、負けを認めて白旗を上げること。それができるのは、「弱さ」ではなくて、「強さ」だと思うのだ。
古来より人はその自然の移ろいに「愛しさ」を感じ、かなしみの中にもいとしさを、いとしさの中にもかなしさを、見い出してきた。この世から「かなしみ」が絶えることはないけれど、私たちの先祖は「愛しさ」という言葉を伝えてきてくれた。