大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

四季五感

見えないところでの春への胎動、あるいは起こらなかったことの幸運について。

七十二候では「水泉動(しみずあたたかさをふくむ)」。泉の氷が溶け、動き始めるころとされます。外気は厳しい寒さの本番ですが、確実に春へ動き出しているようです。

小寒、寒さのなかにも背筋を伸ばして。

新年の空気も、少しずつ通常運転に戻りつつありますね。ほんと、この空気というのは不思議なもので、お正月は「ぽわーん」とした静かな空気だったのが、徐々に抜けていくようです。

年末に吹く風の冷たさに、故人を想うこと。

早いもので、今年も残りあと2日になりましたね。近所の神社でも、お正月を迎える準備が整っていました。毎年この風景を見ると、「年末だなぁ」という感じがします。

夜明けの空に、星を見上げる年の暮れ。

どうも寒波が来そうですし、いよいよ年末という感じがしてきております。そんな寒い中ですが、この時期ならではの愉しみを見つけました。夜明けの空に見える、星です。

与える、受けとるを考える、クリスマスの季節。

サンタさんの物語というのは、やはり普遍的で。誰かに与える喜び、そして、受けとる喜びというのは、人にとって根源的なものなのかもしれません。

冬至、まだ遅くなる日の出のなかにも希望を見ること。

今日は「冬至」ですね。一年のなかで最も昼間が長く、夜が長いころ。逆に、この日を境に日が長くなっていくことから、再生や復活のシンボルとして世界各地で大切にされてきた日でもあります。

夜明けのグラデーションに見惚れる、大雪の終わりごろ。

時候は「大雪」の終わりごろ。七十二候では、「鱖魚群(さけのうおむらがる)」。鮭が自分の生まれた川を、遡上する姿を見ることのできる時候とされます。

大雪、雪の思い出とともに。

時候は「大雪」になりました。本格的な冬が訪れるころで、その字の通り雪が降り積もる時期です。

夜の長さを想う、師走のころ。

師走ですが、夜がもっとも長いころでもあります。今年の冬至は12月21日ですが、それまで昼間の時間が短くなっていく時期でもあります。ほんと、陽が短くなりましたし、朝も日の出が遅くなりました。

「虹蔵不見」、隠れて見えないものに想いを寄せること。

七十二侯では、「虹蔵不見(にじかくれてみえず)」。冬のはじまりのこの時期は、どんよりとした曇り空の日が多くなり、日差しも弱く乾燥してくるので、虹をなかなか見ることができなくなるとされます。

初冬の鈍色の空は、郷愁を誘い。

鈍色の空を見上げていると、季節は冬なんだな、と実感します。冬を感じて思い出すのは、決まって故郷の冬のような気がします。

立冬、凛として。

暦の上では「立冬」。冷たい木枯らしが吹き、紅葉した葉も徐々に散り、早いところでは初雪の報せが届くころです。

霜降の終わり、紅葉蔦色づくころ。

時候は「霜降」の終わり、七十二候では、「楓蔦黄(もみじつたきばむ)」。その字の通り、もみじや蔦が黄色く色づいてくるころです。

霜降のころ。霜は降るのか、それとも。

10月も、後半になりました。時候では「霜降」。朝晩の冷え込みが増し、北の方では霜が降り始めるころでもあります。

深まりゆく秋、目にはさやかに見えねども。

気づけば、10月も下旬になりました。ようやく秋らしい風が吹き、空にはまだら模様の雲が見える日が増えてきたように思います。

寒露、深まる秋に深呼吸で自分のメンテナンスを。

時候は、「寒露」。その字の通り、露が冷たく感じられ、また夜が長くなってくるころになりました。

ようやく訪れた秋の静けさに、喜びとご自愛を。

10月になり、吹く風に秋の涼しさを感じようになってきました。特に、ここのところの朝の空気には、涼しさよりも、少しだけ「ひんやり」とした感がありました。

心地よい季節は、短くなれど。

9月も終わりというのに、30度以上というのは、やはり季節の移ろいというのが、ちょっと違うものになってきている気がします。なんというか、5月にはもう「夏」の暑さを感じたように覚えていますので、一年の半分くらいは「夏」の気温になってしまったのでし…

秋分を迎えても、まだ感じさせる夏の暑さに。

時候は「秋分」を迎えました。太陽が真東から昇り、真西に沈む日。

白露、残暑と呼ぶにはあまりにも暑く。

時候は、「白露」に入りました。その字のごとく、夜中に冷えた大気が、朝露となって草木に舞い降りるころ。その露が白く光った粒のように見えるのが、その名の由来とされます。

天地始粛、長月のはじまり。

早いもので、今日から9月に入りました。七十二候では「天地始粛(てんちはじめてさむし)」。暑さがようやく静まり、秋の気配を強く感じさせるころです。

暑さも止み、静かに深まっていく季節に、ゆっくりと内省の時間を。

気づけば、8月も下旬。時候では「処暑」、暑さむ止むとされるころ。厳しい暑さのピークを過ぎ、秋の虫の音が聞こえ始めるころです。

空の色が変わるとともに、夏の終わりの寂しさもまた、形を変えて。

風の感じや気温だけでなく、空の色もまた、変わったようです。見上げると、少し透明感を帯びたような色。それは、もう私の大好きな夏の色から、もう少しずつ遠ざかっているような色でした。

立秋、夏の終わりに夏らしさとは何かを考える日。

日中は「うだるような」という表現がぴったりのような、そんな暑さが続いています。しかし、暦の上では週の半ばに「立秋」を迎え、もう秋に入りました。

大暑の終わり、寂しさやせつなさもまた、生きる理由として。

「まさに盛夏」という天気が続きますね。私の住んでいる名古屋でも、今週は連日37度や38度といった最高気温になる日が続いておりました。

変わりゆく「夏」の風景と、変わらない情緒と。

時候は「大暑」、一年で最も暑い時期になりました。まさにその通りで、私の住んでいる名古屋でも、猛暑というか、酷暑の日々が続いております。少し曇っているだけで、「あぁ、今日はちょっとマシかな…」と感じるような、そんな暑さです。

あの蝉の声を探して歩く、大暑に向かうころ。

時候は「小暑」から「大暑」に移り変わるころ。一年で最も暑いとされる時期になりました。

小暑、変わりゆく「暑さ」がもたらすもの。

時候は「小暑」になりました。 梅雨明けの報が入りはじめるころであり、いよいよ本格的な暑さがやってくる時期です。 蝉の鳴き声も聞こえ始め、暑中見舞いを出す時期でもあります。 それにしても、今週は暑かったです。 私の住んでいる名古屋でも、36度以上…

雨に歩けば。 ~夏至、あるいは菖蒲華

天気予報をにらめっこする日々になりました。先週、ようやく梅雨入りしたと書いた気がしますが、いよいよ梅雨本番のようです。

夏至、夏枯草、追い駆けてもつかめないもの。

時候は、「夏至」を迎えました。夏に、至る日。春分、秋分、冬至とならんで、一年のなかの一つの区切りといえます。