大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

四季五感

黄鶯睍睆(うぐいすなく)、春の音を探しながら。

七十二候では、「黄鶯睍睆(うぐいすなく)」。その字の通り、ウグイスがその美しい声を聞かせてくれる時期です。その年の初めての鳴き声を「初音」と呼ぶように、昔の人にとっては、春の訪れを告げる大切な音だったのでしょう。

立春、過ぎゆく季節と新しい季節と。

今日は「立春」ですね。暦の上では、今日から春。旧暦では、一年のはじまりの区切りの日でとされます。

大寒の終わり、日は少しずつ長くなりつつ。

時候は「大寒」の終わり。もう来週には「立春」、暦の上では春がやってきます。

「水沢腹堅(さわみずこおりつめる)」、寒さのピークの中にこそ見える春。

時候も「大寒」。文字通り、一年のなかで最も寒さが厳しくなるころとされます。七十二候では、「水沢腹堅(さわみずこおりつめる)」。

「雉始雊(きじはじめてなく)」、厳しい寒さの中に変化を見ること。

冬も本番、といった感じの厳しい寒さが続いていますね。私の住んでいる名古屋でも、今週の頭にはめずらしく雪が降りました。

「水泉動(しみずあたたかをふくむ)」、朝に見上げる月の美しさ。

七十二候では「水泉動(しみずあたたかをふくむ)」。地の下で凍った泉の水が、少しずつ溶けていくことろされます。

雪下出麦(ゆきくだりてむぎのびる)、困難が人を育てることもある。

七十二候では、「雪下出麦(ゆきくだりてむぎのびる)」。降り積もった雪の下で、麦が芽を出し始めるころとされます。

冬至を過ぎても、日の出はまだまだ遅く。

時候は冬至のなかごろ。七十二侯では、「麋角解(さわしかつのおつる)」になります。ヘラジカの角が生え変わる頃とされ、春にまた新しい角が生えてくるそうです。

冬至、日が昇るという奇跡を味わいながら。

今日は「冬至」です。柚子湯に入ったり、かぼちゃを食べるとよいとされる時候ですよね。一年の中で、夜の長さが最も長く、また昼の時間が最も短くなるころ。

冬至前の日の出は、格別な美しさ。

冬至の前というのは、一年の中で夜の長さが長い時期です。夕暮れも早く、車の運転などは気を付けないといけない時期ですが、この時期の日の出が、ほんとうに美しいんですよね。

熊蟄穴(くまあなにこもる)、見えない変化に心を寄せることについて。

早いもので、もう12月も半ばになりました。師走も半分近くを過ぎ、もう今年もあと半月ほど。そう書くと、なんだか早いなぁ…という気になるのが、この時期あるあるですね笑

閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)、塞ぐ心もそのままに。

七十二候では「閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)」。空が重たい雲に覆われて、いよいよ本格的な冬の到来を感じさせるころです。

霜月の終わり、心ここに残すこと。

さて、霜月ももう終わりですね。これでも今年も残すところは師走だけかと思うと、実に早いですよね…ほんと、あっという間です。

「虹蔵不見(にじかくれてみえず)」、見えないものに心を寄せること。

七十二候では、「虹蔵不見(にじかくれてみえず)」。曇り空が多くなり、日差しも弱まってくる時期なので、虹を見かけることが少なくなるとされる時期です。

立冬、冬立てるころに忘却を想うこと。

肌寒い、と言っているうちに、時候は「立冬」を迎えました。冬、立てる日。暦の上では、もう冬になっているんですよね。

楓蔦黄(もみじつたきばむ)、記憶のなかの風景について。

早いもので、もう11月、霜月に入りました。時候も、「霜降」の末になりました。寒いところでは霜が降りるとされる時候ですが、平地に住んでいる私のところも、ずいぶんと気温が下がってきました。

霜降、秋の夜長に内省といたわりの時間を。

時候は「霜降」に入りました。その字の通り、朝晩の冷え込みによって霜が降りるとされるころです。私の住んでいる名古屋では、まだ霜は見られませんが、山間部や北国では、霜が見られるようになる季節ですね。

「寒い」という感覚を思い出す、秋の空。

ここ数日、急に気温が下がりました。週の半ばなどは、ぐずついた天気と相まって、最高気温が20度まで上がらず、日中でも肌寒い日になりました。

寒露の終わり、聞くことで秋の深まりを感じながら。

ようやくというか、日中も秋らしい気持ちのいい気温になってきました。朝晩はもう半袖では肌寒いので、長袖でお散歩するようになりました。時候は「寒露」の終わりあたりです。

寒露、朝の露に秋の深まりを感じるころ。

秋分を過ぎて、時候は「寒露(かんろ)」に入りました。夜が長くなり、露が冷たく感じられるころ。朝晩の冷え込みますが、澄んだ秋晴れの日が多くなり、実に過ごしやすいころとされます。

水始涸(みずはじめてかるる)、名月を待ちながら。

「いつの間にか」という感じで、朝はすっかりと涼しく過ごしやすくなりました。 秋分の日のあたりは、まだまだ暑いな、という感じでしたが、明確に変わってきた気がします。 日中は、まだ日差しが強かったりして暑い日もありますが、それでも朝晩はもうずい…

蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)、気持ちのいい時季はあっという間に。

秋分を過ぎて、はっきりと「涼しい」と感じる日が増えてきました。朝、玄関を出ると「あぁ、心地いい秋の風だなぁ」と感じる日が、今週は何日もありました。

秋分の日も、まだまだ暑く。

暑さ寒さも彼岸まで、とは言いますが、今年はなかなかそうはならないようです。時候は「秋分」を迎えましたが、まだまだ暑さは厳しく、先週などは35度を超える猛暑日もありました。

されど、夕暮れの色は変わりゆく。

曇り空が多かったせいでしょうか。今週はそこまで暑さを感じることが少なかったように思います。時候はちょうど「白露」のなかごろ、七十二侯では「鶺鴒鳴(せきれいなく)」のころです。

白露のころ、目にはさやかに見えねども。

時候は「白露」に入りました。夜の間に大気が冷え、草花や木々に朝露が見え始めるころとされます。この夜中に降りた露が白濁して見えるのが、「白露」の由来とされます。

天地始粛(てんちはじめてさむし)、変化を前にしたときは。

七十二侯では「天地始粛(てんちはじめてさむし)」。日中は暑いながらも、秋雨前線の名が聞こえるようになり、ようやく暑さがおさまってくるころとされます。けれど、まだまだ暑いですよね笑

処暑、あるいは残暑と呼ぶには、あまりにも暑すぎて。

処暑、残暑と呼ぶには、あまりにも暑い日が続くようです。「寒の戻り」ではないですが、またピークの暑さに戻ったかのように、厳しい暑さの日が続いているのが、私の住んでいる名古屋です。

寒蝉鳴、風情としての夏の終わり。

「暑さ」としての夏はしばらくは続くとして。概念的な、というか、「風情」としての夏は、もう終わりなんですよね。日もずいぶんと短くなりましたし、夕方、外を歩いていると、それを強く感じます。

涼風至(すずかぜいたる)、ほんの少しの変化を愛でる、ということ。

時候は「立秋」を迎えました。これ以降の暑さは、猛暑でも酷暑でもなく、「残暑」になります。

大雨時行、ほどなく立秋のころ。

盛者必衰といいましょうか。永遠に続くものなど何もないし、形あるものはいつか壊れる。葉月は、それを強く感じる時期なのかもしれません。