大嵜直人のブログ

たいせつな何かをなくした心に、ともしびを。

四季五感

なろうとするのではなく、ただ、そうなるだけ。

今日は中秋の名月でした。 聞くところによると、今年は満月と中秋の名月が、8年ぶりに同月になる暦だそうです。なんでも、中秋の名月とは旧暦の8月15日を指すそうで、必ずしも満月とは一致しないそうです。 なんとなく、中秋の名月=満月だと思っていた私に…

白秋、そして橙と。

雨上がりの午後、川沿いを歩きました。 夏の間、あれほど騒いでいた蝉の声は、もうどこにもなく。 湿り気を帯びながらも、ひんやりとした空気が、季節の移ろいを感じさせます。

露が、それを知っている。

時に白露。 徐々に朝晩の気温が下がり、草木に降りた露が白く光って見えることのある、秋の入り口。 七十二侯でも草露白(くさのつゆしろし)の名が付けられている通り、草木に降りた露に夏から秋への移り変わりが感じられる時期でもあります。

萩の花に、今年も出会えた。

季節のめぐりというのは、不思議なもので。 季節のめぐりを眺めていると、永遠に続くものなど何もないし、それでいて、失われることは幻想だと感じることができるようです。

秋と暖色と、古い記憶と。

秋は、どこか暖色の思い出と重なる。 それは路傍の花の色や、見上げる月の色に、橙や黄を多く見ることと、関係があるのだろうか。 秋は、どこか暖色をしている。 記憶の中の秋もまた、夕暮れのやわらかな陽射しの色をしている。

夏が過ぎゆくのが寂しくて、久石譲さんの「Summer」を聴いている。

それにしても、久石譲さんの「Summer」はいい。 夏の透明感、その終わりの寂しさ、美しさ。 「Summer」を聴いていると、過ぎゆく夏の寂しさもまた、これでよかったのだと思えてくる。

処暑、吹く風と寂しさに。

今日から「処暑」。 厳しい暑さも峠を越して、徐々に朝晩は涼しい風が吹き始める時候。 七十二侯では「綿柎開(わたのはなしべひらく)」、綿の花のがくが開き始め、中の綿毛が見え始めるころとされます。

はじまりは、いつも雨。

はじまりは、いつも雨。 珠玉の名曲のタイトルを思い出しながら、傘を開く。 開いたその傘を叩く音が、心地よかった。

涼やかに、しかし確かな、虫の声。

時に立秋。 あるいは「寒蝉鳴、ひぐらしなく」の頃になりました。 「カナカナカナ…」という、ヒグラシの声。 そのもの悲しい調べは、否が応でも夏の終わりを感じさせてくれるようです。 しかしながら、私はヒグラシとは縁がないようで、ほとんどその姿と声を…

立秋の空に。

暦の上では、秋立てる日を迎えました。 七十二候では「涼風至、すずかぜいたる」、徐々に秋の涼しい風が吹き始める時候。

大暑の末、夏の終わり。

あの色の空は、またどこかで見られるのだろうか。いや、以前にどこかで見たのだろうか。 そんなことを想いながら。ただ、夏が過ぎゆくのを、そのままに感じるのです。

ただ見上げているだけで、という感覚。

ただ、見上げているだけで。 いま、この時間が、とても豊かで、満たされて、いとおしく想える。 そんな、感覚。 それは、幸せの形に、少し似ています。

蒸し暑さを、喜ぶ。

時に大暑。 七十二侯では次侯の土潤溽暑(つちうるおうてむしあつし)。 土が湿って蒸し暑く、熱気がまとわりつくように感じる時候です。 その通りだからなのか、接近中の台風の影響もあるのか、今日は格別に蒸し暑い日でした。 そんな蒸し暑い中でも、ふと…

木漏れ日の下で。

飽きもせず蝉取りに行く息子について、また川沿いの道を歩いていました。 蝉時雨が降りそそぐ中、見上げれば木漏れ日が。 夏の力強い陽射しが、勢いよく生い茂る桜の葉の間から、差していました。 桜が満開だった、春の日。 その下を歩いていたことを、思い…

抜け殻、風に揺られて。

いたるところに、夏の風景が散らばっているようです。 今日は風に、ゆらゆらと茶色がゆらめいていました。 近づいてみると、蝉の抜け殻。 樹木をよじ登って羽化したあとはよく見かけますが、こうした草で羽化する姿はめずらしいように感じます。 雌伏のとき…

大暑と、桐の花。

梅雨が明けたと思ったら、もう夏は盛りのよう。 時に大暑、一年のなかで最も暑さが感じられるころ。 夏バテ防止の「土用の丑の日」も、この時候。 あるいは、「桐始花結(きりはじめてはなをむすぶ)」。 古来から神聖な木とされてきた桐の木が、その花を咲…

梅雨明けに想う、鉢植えのアサガオ。

気付けば、名古屋でも梅雨が明けていました。 平年よりも2日ほど早い梅雨明けだったそうですが、梅雨入りが5月16日でしたので、観測史上最長の梅雨だったそうです。 約2ヶ月間の梅雨とはいえ、印象としては平年と変わらない梅雨だったように感じます。 梅雨…

過ぎ行く梅雨を、惜しむ。

流れゆく雨水がどこかいとおしく、それでいてはかなく思えてもくるようです。それは、もう過ぎ行く梅雨を惜しむことと、どこか似ているのかもしれません。

不完全さの中に、完全を見ること。

移り変わりゆくものの中に、人は永遠を見ることができます。 去りゆくものの中に、人は望郷を覚えることができます。 さびしさと痛みの中に、人はいとおしさとあたたかさを感じることができます。

鳴き始めた蝉に。

朝から曇ったり、にわか雨が降ったりと、梅雨の終わり際の不安定な空模様だった。 夕方から少し晴れ間が見えてきたので、夕食後に軽く走りに行こうとしたところ、息子がついてくると言う。 めずらしいこともあるものだと思いながら玄関の扉を開けると、微か…

そらのおと、かぜのいろ。

いくつになっても、覚えているだろうな、という感覚がある。 校舎で筋トレになった雨の日の部活の、まとわりつくような湿気だったり、 その手に、はじめて触れた温もりであったり、 木枯らしの吹く、何気ない冬の日の空の音であったり、 あるいはその地に降…

時に小暑、温風至、あるいは七夕など。

季節は移ろうようで、二十四節気では「小暑」になりました。 夏至を過ぎて昼間の時間は短くなる一方で、暑さも本番を迎えるころです。 徐々に梅雨明けの報も聞かれるようになり、暑気払いをしたり、暑中見舞いが送り交わされる時期でもあります。 七十二侯で…

想いを届けるためには、受け取る言い訳をつくってあげる。

誰かに愛を差し向けようとするならば、相手が受け取りやすい形で差し出してあげることが重要です。そのためには、「私のために」という言い訳をつくってあげることが大切なようです。

菖蒲華、あやめはなさく。

さて、時候は夏至の次候、「菖蒲華、あやめはなさく」になりました。 紫陽花といい、この梅雨時期には、青系統の色がよく似合うようです。 旬のアヤメはどこかにないものかと思い、先日自宅の周りを歩いてみましたが、残念ながら見つけることはできませんで…

夏、至る日。

夏に至る日、夏至。 一年のなかで一番昼が長く、夜が長い一日。 まだ梅雨もまっただ中ではあるが、暦の上では今が夏の盛りだそうだ。 毎年、立秋と同じくらいに違和感を覚える時候ではあるが、実際に日照時間が短くなっていくのは事実のようだ。 夏に至ると…

梅子黄、色について。

時に芒種、梅子黄(うめのみきばむ)。 梅の実が熟して、黄色く色づくころ。 そろそろ梅干を漬けるのに適した梅が出回る頃でもある。 梅雨も盛りか、しとしとと雨が降り続く日も多い。 家の中にいると、雨が降る音を聞くことに、どこか風流を感じる時期でも…

紫陽花、喜雨に湿りて。

時に芒種、次候は腐草為蛍(くされたるくさほたるとなる)。 文字通り、蛍が光を放ち跳び始めるころ。 その時候を、梅雨の雨に腐った草が、蛍に生まれ変わると表現する、この美しさが私は好きだ。七十二候の中でも、最も好きな名の一つかもしれない。 いま住…

6月の夕暮れは黄金に染まり。

時に芒種、あるいは蟷螂生(かまきりしょうず)。 昨年の秋に産み付けられたカマキリの卵から、たくさんの命が生まれるころ。 全国的に梅雨入りし、ぐずついた空が続くころでもある。 今年は異常に早く西日本が梅雨入りしたが、梅雨入りしたとたんに晴天が続…

夏よりも夏を想う、水無月の真夏日。

梅雨らしいぐずついた空よりも、湿気を含んだ天気が続く。 それにしても、ずいぶんと気温が高くなってきた。 今日の名古屋は最高気温32℃、真夏日だったそうだ。 考えてみれば、夏至を前にしたこの時期が、一番太陽の力が強まっているとも言えるのかもしれな…

芒種、紫陽花変化。

時に芒種。 芒(のぎ)とは稲の穂先の針のような突起を指し、麦などの穂が出る作物を植えるころ。 稲の植え付けに適した時期であるとともに、梅雨入りの報を聞く時候でもある。 今年はもうすでに梅雨入りはしているものの、しばらく晴れ間が続いていた。 昨…