大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

四季五感

蓮の花咲くころに。

七十二侯では、「蓮始開(はすはじめてひらく)」。その字の通り、蓮の花が開くころです。

小暑、そして七夕の日に祈りを。

時候は「小暑」になりました。梅雨が明け、暑さが本格的になるころ。今年は各地の梅雨明けが早いようで、近畿地方より西は6月に梅雨明け宣言が出てたりしていました。

夏の訪れの前に感じる、雨のやさしさ。

時候は「夏至」の半ば。七十二侯では「菖蒲華(あやめはなさく)」のころ。その字の通り、アヤメの花が咲くころとされます。

乃東枯。盛りに向かうときこそ、枯れゆくものに目を向けてみる。

七十二侯では、「乃東枯(なつかれくさかるる)」になりました。冬至のころに芽を出す珍しい草である「ウツボグサ」が、枯れていく頃とされます。

夏に至る日、満ち欠けについて想う日。

今日は「夏至」ですね。なつにいたる、と書いて夏至。一年の中で最も日の出ている時間が長く、夜が短くなるころ。

梅雨の合間の青空は、ことさらに青く。

梅雨入りしたこの頃ですが、週の半ばでは晴れ間も見えました。湿気は少なく、からっと晴れた空が広がっていました。雨の日が続くと、この空の青さが恋しくなります。

芒種、どこかやさしさを残す空の色に。

6月、水無月に入りました。時候は、「芒種(ぼうしゅ)」の初めころ。「芒(のぎ)」とは、稲などの穂先にある針のような突起を指すそうで、穀物の種まきや麦の刈り入れの時期とされます。

「麦秋至(むぎのときいたる)」、今日このときを味わい尽くす。

時候は、「小満」。七十二候では、「紅花栄(べにばなさかう)」から「麦秋至(むぎのときいたる)」。紅花の花が咲き、麦が黄金の穂を実らせる時期です。

「小満」、満ち足りていないものこそ、満ち足りているのかもしれない。

さて、この「小満」ですが、二十四節気の名の中では不思議なところがあります。それは、「小」に対応する「大」の節気の名前が、ないんですよね。

5月の雨、湿気によろこびを。

5月も半ばになりましたね。少しずつ、風に湿気を感じるようになってきた気がします。沖縄地方では梅雨入りの報もあり、もう少しすると雨ばかりの季節になるようです。

紫の花に落ちる雨露に、初夏の香りを感じながら。

夜半に降った雨の粒が、その花びらと葉を濡らしていました。やさしいアヤメの香りが、初夏そのものの香りのようでした。

立夏、薫る風に癒しを感じながら。

時候は「立夏」。「夏、立てる」の文字通り、暦の上ではもう夏に入りました。ここから夏至まで、ぐんぐんと昼の時間が長くなっていき、気温もどんどん上がっていきます。

穀雨の終わり、初夏を感じさせる風とともに。

春を過ぎて、もう夏の気配を感じさせるようです。時候は、「穀雨(こくう)」の終わりごろ。穀物を育てる恵みの雨が降り注ぐころとされますが、雨以上にお日様の恵みを感じさせるころになりました。

葉桜過ぎて、ツツジ咲くころに。

葉桜過ぎて、ツツジ咲くころ。爽やかな風を浴びる喜びを感じながら、ゆっくりと変化を楽しんでいきたいものです。

桜散る、葉桜の季節に瞬間を想う。

咲き誇った桜も、もう散り際になっていました。桜の木の下を歩いていると、吹く風に、散った花びらがひらりと舞う。春も過ぎ行くのだな、と感じる風景です。

「清明」、春のざわめきの中でこそ生命は美しく輝く。

霞がかった空が透き通り、澄んだ風が吹き、そして万物が生命を謳歌し、美しく輝く。その美しさは、春のざわめきのなかにこそ、あるのかもしれません。

木蓮の花、その散り方が美しく、そしてまた切なく。

桜の開花も気になるのですが、この時期に咲く木蓮の花もまた、美しいものです。歳を重ねるごとに、その美しさを感じられるようになりました。

ゆっくりとした春の訪れ、人もまたそれにあわせた歩みを。

この春は寒の戻りが厳しいというか、ゆっくりとした歩みのように感じます。桜も、木蓮も。咲く姿をゆっくりと楽しんでくださいね、といった感じなのでしょうか。

春分の日、喜びも悲しみも、同じように。

今日は「春分」ですね。12月下旬の冬至から、少しずつながくなってきた日の長さが、とうとう昼と夜を等分するまでになりました。

「菜虫化蝶」、いろいろと変わりゆく春だから。

早いもので、時候はもう「啓蟄」の終わりごろになりました。七十二侯では、「菜虫化蝶(なむしちょうとなる)」。さなぎの姿で冬を越した虫が羽化し、蝶になり春の空を舞うころとされる時候です。

梅の花咲く、弥生の初めころ。

もう3月に入りました。時候では「雨水」の終わりごろ。七十二候では、「草木萠動(そうもくめばえいずる)」。

雨水過ぎて、ほんの少しずつ。そのほんの少しが、美しい。

立春過ぎて、もう時候は「雨水」に入りました。降る雪が雨に変わり、氷や雪が溶けだすころとされる時候です。

散り際の山茶花の紅と、蕾の梅の白と。

厳寒の時期の風景を彩っていた山茶花が、少しずつその花を散らしているようです。地に落ちた花弁の紅色もまた、美しく。その紅と入れ替わるように、梅の蕾が膨らんできました。

節分、古い冬と新しい春の交わるときに。

今日は節分ですね。明日は「立春」、春立てる日。暦の上では春になります。「節を分ける」から節分、冬から春への転換点ですね。

住ぬる一月、あるいは、長く感じる睦月の終わりに。

「一月住(い)ぬる、二月逃げる、三月去る」という表現があります。年明けからはイベントごとや行事が多く、あっという間に3月まで過ぎて行ってしまうことを表現した言葉です。ただ、私の実感としては、一月は長く感じることが多い気がします。

小寒から大寒。一番寒い時期が、一番美しかったりもする。

時候は、「小寒」の終わりごろ。明日からは「大寒」と、一年で最も寒い時期を迎えます。

見えないところでの春への胎動、あるいは起こらなかったことの幸運について。

七十二候では「水泉動(しみずあたたかさをふくむ)」。泉の氷が溶け、動き始めるころとされます。外気は厳しい寒さの本番ですが、確実に春へ動き出しているようです。

小寒、寒さのなかにも背筋を伸ばして。

新年の空気も、少しずつ通常運転に戻りつつありますね。ほんと、この空気というのは不思議なもので、お正月は「ぽわーん」とした静かな空気だったのが、徐々に抜けていくようです。

年末に吹く風の冷たさに、故人を想うこと。

早いもので、今年も残りあと2日になりましたね。近所の神社でも、お正月を迎える準備が整っていました。毎年この風景を見ると、「年末だなぁ」という感じがします。

夜明けの空に、星を見上げる年の暮れ。

どうも寒波が来そうですし、いよいよ年末という感じがしてきております。そんな寒い中ですが、この時期ならではの愉しみを見つけました。夜明けの空に見える、星です。