大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

四季五感

変わらぬものなど何もないのなら、自分自身もまた、きっと変えていくことができる。

蒸し暑く、エアコンのお世話になる日が出てきました。少し歩いただけでも、じんわりと汗をかくような、そんな季候の日が増えてきました。

紫陽花の色に見惚れる、水無月のはじまり。

早いもので、もう6月に入りました。時候は、「小満」も終わりのころ。七十二候でも「麦秋至(むぎのときいたる)」。

天地万物に生命が満ちるころは、自分をいたわる時期でもあり。

この天地に生命が満ちるこの「小満」の時期だからこそ。自分をいたわる時期にしてみては、いかがでしょうか。

万物が満ちゆく季節に、不完全さを想うこと。

時候は、「立夏」から「小満」へ。夏、立てる時候から、天地にあらゆる生命が満ち始めるという、節気へ。ひと雨ごとに、気温は高くなり、草木の緑も力強さを増していく時候です。

立夏、夏とせつなさの訪れ。

暦の上では、夏。気温もぐんぐんと上り、生命が満ちていくのを感じられる時期です。しかし、夏は満ちることよりも、終わりゆくことへのセンチメンタルを、想起させるのです。

季節の移ろいを感じることは、自分とつながる手助けをしてくれるもの。

自分とつながること。自分がいま、何を感じているのか。季節の移ろいを感じることは、それに注目させてくれるようです。

春の不安定さを、淡い桜の色のなかに想うこと。

それもまた、春のしわざ。そんな風に考えて、自分の身体と心を、いたわってあげてください。ゆるくゆるく、やさしく、あまく。そう、あの桜の花の、淡い花の色のように。

春分の日の雨に、折り返しについて想うこと。

今日は、春分の日ですね。私の住んでいる名古屋では、冷たい雨の日でした。分厚い雲の向こう側の、お日さまを想像しながら。そんな、春分の日でした。

春立てる、霞の空に。

春立てる日。その空は、冬の凛とした色から、少しだけ透明感が落ちたように感じます。

冬至の陽光に、繰り返すことの偉大さを想うこと。

「冬至」、陰の極みから、陽へ転ずるころ。その特異点というか、奇跡というか、そんな「冬至」が毎年繰り返されること。それは、季節のめぐりが教えてくれる、最も偉大なことの一つかもしれないな、と感じるのです。

夕暮れどきの短さに、もの寂しさを想う、大雪のころ。

早いもので、師走も前半を終えようとしています。二十四節気では、「大雪」に入りました。いよいよ本格的な冬が訪れ、山々は雪に覆われるとされる時期です。

見えない虹に、想いを寄せる小雪のころ。

節気も、昨日から「小雪」。その字の通り、雪が降り始めるとされるころで、山々は白い帽子をかぶりはじめ、木々はその葉を落とすころでもあります。七十二侯では、「虹蔵不見(にじかくれてみえず)」。

いつか、夏は戻ってくるのだとしても。

木枯らしが吹いても、あの熱量を想うんです。あの日に交わした言葉が、いまどこを探しても見つからないように。あの日に読んだ言葉と、いま読んだ言葉が、同じであっても異なるように。

穏やかな陽光のなかに、厳かな冬の気配も感じる霜降のころ。

静かで、それでいてどこか厳かな、秋の深まりを感じます。時候は、霜が降りるという「霜降」。北国や山地では、霜が見られるようになる時期ですから、肌寒いのも当たり前なのかもしれません。

その澄んだ色に、はかなさを感じさせるコスモスを眺めながら。

その澄んだ色と、どこかにはかなさを感じさせる、コスモスの花。その情感は、秋に感じるそれとよく似ている気がします。

やわらかな色が告げる、神無月の訪れ。

早いもので、10月になりました。神さまは出雲へお出かけするという、神無月。夏の名残なのか、日中はまだ暑いと感じる日もありますが、10月のはじまりはしっとりとした雨でした。

心地よき「秋分」の訪れを、よろこびとともに。

早いもので、もう今年も「秋分」を迎えました。心地よいこの季節がまたやってきたことを、存分に味わいたいものです。

露白むころ、澄んだ秋の空気に満たされて。

澄んだ空気に満たされる、白露のころのようです。季節の移ろいは、それだけで観る者を癒してくれるようです。

旬の時期は、いつもあっという間に過ぎていくから。

目に映る、過ぎ行く夏のかけら。五感に訴える、秋の訪い。寂しさとともに、そんなものを愛でていきたいと思う、夏の終わりのようです。

立秋の訪れは、どこか特別な調べとともに。

立秋の日自体は、何のこともない、いつもと変わらない一日なのかもしれないのですが。それでも、この夏から秋へと移り変わるこの一日は、どこか特別な調べを持つ日なのです。

盛夏の空に、過ぎゆくものを想うこと。

今日は、なんのこともないエッセイです。 なんとなく、今日の空のことを、書き残してみたいと感じたのです。 それにしても、毎日暑いです。 私の住んでいる名古屋でも、ここ数日は体温よりも高い気温が続いておりました。 まだ梅雨明けの報も聞いていないの…

夏の夕暮れ、この時期だけの色合い。

空を見上げる時間というのは、不思議なものです。なんだか、人にとって必要不可欠な時間のように感じます。

七夕、夜空を見上げて星に願いを。

今日は、七夕ですね。今日のあなたのお住いの地域は、晴れているでしょうか。ぜひ、少しでも夜空を見上げる時間を取ってみては、いかがでしょう。

半夏雨に、故郷を想う文月のはじまり。

早いもので、もう7月に入りました。時候では、夏至の末候の「半夏生(はんげしょうず)」になります。

夜の雨に、蛍を想うころ。

七十二侯では、「腐草為螢(くされたるくさほたるとなる)」の時候。蒸れて腐りかけたような草が、蛍になったように見える。そんな情景が浮かぶ、実に美しい時候の名です。

入梅、記憶を呼び起こす色と音。

紫陽花の青さは、どこかやさしく、そして懐かしい色をしています。そして、このしとしとと降る雨の音は、いつか雨のなかを歩いた記憶を呼び起こしてくれるようです。

皐月の忘れものを愛でる、芒種のころ。

時候は、「小満」から「芒種」に移るころです。あらゆる生命が天地に満ち始めるという「小満」の次にくるのが「芒種」なのが、季節のめぐりの不思議なところです。

時には、昔の話を。 ~雨に濡れる赤い旗の記憶

雨が降れば、雨を見てもの思いに耽る。それもまた、季節を愛でる、ということの一部なのかもしれません。

少しクールダウンの、小満のとき。

ずいぶんと暑い日が続いたと思えば、今週は少し風が涼しく感じます。時候は、「小満」。ありとあらゆる生命が、天地に満ち始める時期です。

過ぎ行く春を愛でるような、そんな言葉を自分自身にも。

過ぎ行く、卯月。どんなことがありましたでしょうか。その一つ一つによい、悪いのラベルを貼るよりは、「ありがとう」と手放してみてはいかがでしょうか。過ぎ行く春を、そっと愛でるように。