大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

四季五感

立夏、新しい夏の訪れを眺めながら。

今日は5月5日、端午の節句ですね。鯉のぼり、菖蒲、柏餅、ちまき…男児の健やかな成長を願う日ですね。そして、「立夏」を迎えました。暦の上では、もう夏に入ったようです。

新緑、薫風。気持ちのいい季節だからこそ、自分をいたわることを。

それにしても、風が気持ちい季節になりました。「薫風」「風薫る」とはよく言ったもので、この時期の心地よさを表現するのに、これほど美しい表現はないように思います。

しおれても、なおその姿を見せてくれるツツジに寄せて。

今年はツツジの花が咲くのが、とても早かったように思います。桜が散ったと思ったら、すぐに咲きだしたような、そんな感じがあります。

穀雨、与えられるものを、そのままに受けとること。

時候は「穀雨(こくう)」に入りました。その字の通り、地上の穀物に実りをもたらす雨が、天から降り注ぐころとされます。

虹始見(にじはじめてあらわる)、偏りの中で生きること。

時候は「清明」の終わりごろになりました。天地万物が清らかに輝くとされる「清明」ですが、日増しに清々しさが増しているように感じます。

葉桜が過ぎゆき、ツツジ咲くころに。

あれほど満開だった桜は、もう葉桜になりました。 葉桜、いいですよね。 桜は散り際が潔いとはいいますが、葉桜はその散りゆく様と新しい季節のめぐりが、両方愛でられるようで、好きなのです。 毎年毎年、こうして変わらず咲いては、散っていく。 桜に限ら…

「鴻雁北(こうがんかえる)」、振れ幅の大きな変化のとき。

時候は「清明」も中ごろになりました。七十二候では、「鴻雁北(こうがんかえる)」。冬の間、日本を過ごした雁が、北の地へと帰っていくころとされます。

天地万物が清らかな「清明」の訪れと、季節の移ろいを眺めることについて。

時候は、「春分」から「清明」に変わりました。天地万物が清らかで、生き生きと輝くころとされます。

桜始開(さくらはじめてひらく)、開花と区切りと。

時候は「春分」の中ごろになりました。七十二侯では、「桜始開(さくらはじめてひらく)」。まさにその通りで、各地で開花宣言から、桜の見ごろの報せが聞こえてくるようになりました。

木蓮の花を愛でる、春分のころ。

時候は「春分」を迎えました。昨年12月の冬至から徐々に長くなってきた昼の長さは、春分を迎えてちょうど夜の長さと同じまでになりました。

「菜虫化蝶(なむしちょうとなる)」、変化のときは不安定なとき。

七十二侯では、「菜虫化蝶(なむしちょうとなる)」。その字の通り、冬を越したサナギが羽化して、蝶になるとされる時期です。蝶の羽化、春を感じさせる風景ですよね。

土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)、潤いが春を連れてくる。

時候は「啓蟄」を迎えました。土の中で巣ごもりをしていた虫や動物たちが目覚め、地上に出てくるころとされます。

霞始靆(かすみはじめてたなびく)、輪郭のぼやける春の訪れ。

七十二候では「霞始靆(かすみはじめてたなびく)」。春に出る霧を霞(かすみ)と呼び、夜の霞は朧(おぼろ)と呼ばれます。その霧やもやが現れ、遠くの山々の景色がぼんやりとしてくるころとされます。

雨水、ようやく咲いた梅の花に。

時候は「立春」を過ぎ、「雨水」に入りました。 降る雪が雨に変わり、雪解けがはじまる時期とされます。 山の雪も解け始めて平地を潤すことから、農耕をはじめる時期でもありますね。 この「雨水」の時候の名は、私は好きなんですよね。 なんと言うんでしょ…

魚上氷(うおこおりをいずる)、まだ見ぬ先のことを楽しみにすること。

時候は「立春」の末ごろになりました。七十二候では「魚上氷(うおこおりをいずる)」。少しずつ緩む寒さに、川や湖の氷が溶け、その下を泳いでいた魚が見えてくるころとされます。

黄鶯睍睆(うぐいすなく)、春の音を探しながら。

七十二候では、「黄鶯睍睆(うぐいすなく)」。その字の通り、ウグイスがその美しい声を聞かせてくれる時期です。その年の初めての鳴き声を「初音」と呼ぶように、昔の人にとっては、春の訪れを告げる大切な音だったのでしょう。

立春、過ぎゆく季節と新しい季節と。

今日は「立春」ですね。暦の上では、今日から春。旧暦では、一年のはじまりの区切りの日でとされます。

大寒の終わり、日は少しずつ長くなりつつ。

時候は「大寒」の終わり。もう来週には「立春」、暦の上では春がやってきます。

「水沢腹堅(さわみずこおりつめる)」、寒さのピークの中にこそ見える春。

時候も「大寒」。文字通り、一年のなかで最も寒さが厳しくなるころとされます。七十二候では、「水沢腹堅(さわみずこおりつめる)」。

「雉始雊(きじはじめてなく)」、厳しい寒さの中に変化を見ること。

冬も本番、といった感じの厳しい寒さが続いていますね。私の住んでいる名古屋でも、今週の頭にはめずらしく雪が降りました。

「水泉動(しみずあたたかをふくむ)」、朝に見上げる月の美しさ。

七十二候では「水泉動(しみずあたたかをふくむ)」。地の下で凍った泉の水が、少しずつ溶けていくことろされます。

雪下出麦(ゆきくだりてむぎのびる)、困難が人を育てることもある。

七十二候では、「雪下出麦(ゆきくだりてむぎのびる)」。降り積もった雪の下で、麦が芽を出し始めるころとされます。

冬至を過ぎても、日の出はまだまだ遅く。

時候は冬至のなかごろ。七十二侯では、「麋角解(さわしかつのおつる)」になります。ヘラジカの角が生え変わる頃とされ、春にまた新しい角が生えてくるそうです。

冬至、日が昇るという奇跡を味わいながら。

今日は「冬至」です。柚子湯に入ったり、かぼちゃを食べるとよいとされる時候ですよね。一年の中で、夜の長さが最も長く、また昼の時間が最も短くなるころ。

冬至前の日の出は、格別な美しさ。

冬至の前というのは、一年の中で夜の長さが長い時期です。夕暮れも早く、車の運転などは気を付けないといけない時期ですが、この時期の日の出が、ほんとうに美しいんですよね。

熊蟄穴(くまあなにこもる)、見えない変化に心を寄せることについて。

早いもので、もう12月も半ばになりました。師走も半分近くを過ぎ、もう今年もあと半月ほど。そう書くと、なんだか早いなぁ…という気になるのが、この時期あるあるですね笑

閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)、塞ぐ心もそのままに。

七十二候では「閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)」。空が重たい雲に覆われて、いよいよ本格的な冬の到来を感じさせるころです。

霜月の終わり、心ここに残すこと。

さて、霜月ももう終わりですね。これでも今年も残すところは師走だけかと思うと、実に早いですよね…ほんと、あっという間です。

「虹蔵不見(にじかくれてみえず)」、見えないものに心を寄せること。

七十二候では、「虹蔵不見(にじかくれてみえず)」。曇り空が多くなり、日差しも弱まってくる時期なので、虹を見かけることが少なくなるとされる時期です。

立冬、冬立てるころに忘却を想うこと。

肌寒い、と言っているうちに、時候は「立冬」を迎えました。冬、立てる日。暦の上では、もう冬になっているんですよね。