四季五感
春立てる日。その空は、冬の凛とした色から、少しだけ透明感が落ちたように感じます。
「冬至」、陰の極みから、陽へ転ずるころ。その特異点というか、奇跡というか、そんな「冬至」が毎年繰り返されること。それは、季節のめぐりが教えてくれる、最も偉大なことの一つかもしれないな、と感じるのです。
早いもので、師走も前半を終えようとしています。二十四節気では、「大雪」に入りました。いよいよ本格的な冬が訪れ、山々は雪に覆われるとされる時期です。
節気も、昨日から「小雪」。その字の通り、雪が降り始めるとされるころで、山々は白い帽子をかぶりはじめ、木々はその葉を落とすころでもあります。七十二侯では、「虹蔵不見(にじかくれてみえず)」。
木枯らしが吹いても、あの熱量を想うんです。あの日に交わした言葉が、いまどこを探しても見つからないように。あの日に読んだ言葉と、いま読んだ言葉が、同じであっても異なるように。
静かで、それでいてどこか厳かな、秋の深まりを感じます。時候は、霜が降りるという「霜降」。北国や山地では、霜が見られるようになる時期ですから、肌寒いのも当たり前なのかもしれません。
その澄んだ色と、どこかにはかなさを感じさせる、コスモスの花。その情感は、秋に感じるそれとよく似ている気がします。
早いもので、10月になりました。神さまは出雲へお出かけするという、神無月。夏の名残なのか、日中はまだ暑いと感じる日もありますが、10月のはじまりはしっとりとした雨でした。
早いもので、もう今年も「秋分」を迎えました。心地よいこの季節がまたやってきたことを、存分に味わいたいものです。
澄んだ空気に満たされる、白露のころのようです。季節の移ろいは、それだけで観る者を癒してくれるようです。
目に映る、過ぎ行く夏のかけら。五感に訴える、秋の訪い。寂しさとともに、そんなものを愛でていきたいと思う、夏の終わりのようです。
立秋の日自体は、何のこともない、いつもと変わらない一日なのかもしれないのですが。それでも、この夏から秋へと移り変わるこの一日は、どこか特別な調べを持つ日なのです。
今日は、なんのこともないエッセイです。 なんとなく、今日の空のことを、書き残してみたいと感じたのです。 それにしても、毎日暑いです。 私の住んでいる名古屋でも、ここ数日は体温よりも高い気温が続いておりました。 まだ梅雨明けの報も聞いていないの…
空を見上げる時間というのは、不思議なものです。なんだか、人にとって必要不可欠な時間のように感じます。
今日は、七夕ですね。今日のあなたのお住いの地域は、晴れているでしょうか。ぜひ、少しでも夜空を見上げる時間を取ってみては、いかがでしょう。
早いもので、もう7月に入りました。時候では、夏至の末候の「半夏生(はんげしょうず)」になります。
七十二侯では、「腐草為螢(くされたるくさほたるとなる)」の時候。蒸れて腐りかけたような草が、蛍になったように見える。そんな情景が浮かぶ、実に美しい時候の名です。
紫陽花の青さは、どこかやさしく、そして懐かしい色をしています。そして、このしとしとと降る雨の音は、いつか雨のなかを歩いた記憶を呼び起こしてくれるようです。
時候は、「小満」から「芒種」に移るころです。あらゆる生命が天地に満ち始めるという「小満」の次にくるのが「芒種」なのが、季節のめぐりの不思議なところです。
雨が降れば、雨を見てもの思いに耽る。それもまた、季節を愛でる、ということの一部なのかもしれません。
ずいぶんと暑い日が続いたと思えば、今週は少し風が涼しく感じます。時候は、「小満」。ありとあらゆる生命が、天地に満ち始める時期です。
過ぎ行く、卯月。どんなことがありましたでしょうか。その一つ一つによい、悪いのラベルを貼るよりは、「ありがとう」と手放してみてはいかがでしょうか。過ぎ行く春を、そっと愛でるように。
少し、気温が下がる日が続きました。とはいえ、時候は「穀雨」のなかごろ、「霜止出苗(しもやみてなえいづる)」の時候。霜も降りなくなり、苗が育つころ。田植えの準備に、農家が忙しくなる時候です。棚田で稲作を育てている私の知人を、思い浮かべるころ…
今日から、時候は「穀雨」に移ろいゆくようです。恵みの雨が地上に降り注ぎ、たくさんの穀物がすくすく育つ時期。
七十二候では「虹始見(にじはじめてあらわる)」の時候です。新緑の季節が深まるにつれて、空気が湿ってくることが多くなり、空に虹がかかることが多くなる時期です。
桜が散り、ツツジが咲く、この世界の美しさ。それは、あなたがあなたでいることが、何よりも美しいことのあらわれのようにも思えます。
日ごとに濃くなっていく青色が、初夏を運んでくるようで。この時期を指し示すような、その青色。その青さを、愛でていたいと思うのです。
時候は、「春分」を過ぎて「清明」に入りました。天地万物が清らかで、明るく輝く時期。一年で最も気持ちのいいこの時期ですが、以前の私はどこか苦手な季節でもありました。
桜の散り際になると、葉桜を見ることができます。咲きかけや満開の桜もいいのですが、この葉桜もまた、風情があっていいものです。そして葉桜は、実にいろんなことを教えてくれるようです。
先が見えなくて、視界がぼやけているとき。わけのわからない、混沌のなかにいるとき。そうしたときが、もっとも生命の力が芽吹いているときのように思うのです。