大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

四季五感

立夏。もう夏のような、まだ夏でないような。

気づけば、二十四節気の一つ「立夏」を迎えました。春分と夏至のあいだ。春が極まり、暦の上では夏に切り替わる時候です。

春分、木蓮も高らかに。

今日は、春分の日。太陽が真東から昇って、真西に沈む日。冬至から少しずつ長くなってきた陽の長さは、ようやく半分まできたようです。陰陽論においては、この春分を境に「陽中の陽」の区分けに入ると聞きます。

麗らかに、桃始笑。

今日は一足早く春が飛んできたような、そんな陽気になりました。 時候は「啓蟄」も末。 七十二候では「桃始笑/ももはじめてさく」、季節の桃の花が咲くことを「笑う」と表現する、私の好きな時候の名の一つです。 花が咲くことを、「笑う」と表現する、昔の…

立春、東風解凍。あるいは、雪に梅花。

今年はじめての、梅の花。雪をかぶりながらも咲いている姿が、なんとも健気で、美しく。「耐雪梅花麗(雪に耐えて梅花麗し)」かの西郷隆盛さんが、留学する親類に寄せた詩の中の一節が、想起されるようでした。

痛みの中に愛を見るように、寒の中に春を見る大寒のころ。

一年の中でも最も寒いこの時期だからこそ、春の訪いを見つけることができます。それは、大きな痛みの中にあるときにこそ、普段は見えなかった愛が見えることと、似ているのかもしれません。

木蓮は、木の伝達者。

「木蓮は、木の伝達者なのよ」以前に聞いた、そんな言葉を思い出します。新春の陽の光を浴びて、そのときをじっと待つ木蓮。その姿は、私に何を伝えてくれているのでしょうか。

冬至を過ぎて。変わりゆくもの、変わらないもの。

時節は「大雪」から「冬至」に移りました。陰極まりて、陽となす。寒さはこれから本番ですが、日の長さは冬至を境に、少しずつ少しずつ長くなっていきます。

冬に至る道中を、その変化を楽しむ。

12月も20日を過ぎました。ここ数日で、ずいぶんと冬らしく冷え込んできましたので、もう真冬のコートや暖房などを引っ張り出しております。そんな12月も、あと10日もすれば大晦日。2021年も暮れゆくと思うと、早いものです。

師走の空は、なぜこんなにも澄んでいるのだろう。

急に冬が本気を出してきたようで、昨日の夜から大きく気温が下がりました。見る予報によっては、今朝の気温が氷点下になっていましたが、さもありなんと思わされる寒風が吹く朝でした。

ある冬の朝の陽光。

同じ日など、一日として、ない。その陽炎のように移ろいゆくものの中に、たまたま、偶然に、それを見かけることがあるのでしょう。けれど、それは変わらず、いつもあるようです。

小雪も終わりの、小さな花。

朝晩ずいぶんと冷え込むようになって、いよいよ真冬が訪れてきたようです。 そんな中で、白く小さな花が過ぎゆく秋を惜しんでいるようでした。

虹の根っこを見た、師走のはじまり。

気付けば12月、師走になりました。そんな師走ついたちの朝、冷たい風の吹く空に、虹を見かけました。通学団の小学生たちと、その虹を見上げて喜ぶ師走の始まりでした。

虹を探しながら。

春のころに現れた虹が、冬の訪れとともにかくれる。 季節のめぐり、空の移り変わり、人のありよう。 かくれた虹を探しながら。 ずいぶんと冷たくなった風の感触を、確かめていました。

立冬、あるいは山茶始開。

今日から立冬の節気に入りました。 暦の上ではもう冬が始まり、木枯らしが吹いて木々の葉は落ち、初雪の報せが聞こえるころです。

秋深まる、霜降のころ。

凛とした寒さも、弛緩させる陽気も、どちらも味わえる素晴らしさ。 日々移ろいゆき、千変万化するギフトのようです。

風に揺れる、そのままに。

時に秋分。 あるいは七十二侯では、菊花開(きくのはなひらく)の時候に入りました。その名の通り、菊の花たちが咲き誇る時期です。

寒露の風に吹かれて。

時に寒露。 朝晩の冷え込みが感じられ、露が冷たく感じられる時候です。夜がだんだんと長くなりますが、日中は涼しく、過ごしやすい気候が続くころでもあります。

秘すれば花なり。

10月に入って、また空の色が少し変わったようです。 一年で最も気持ちのよい時候の一つである、今日この時間を愛でたいものです。

蟄虫坏戸、むしかくれてとをふさぐ。

七十二侯では、今日から「蟄虫坏戸(むしかくれてとをふさぐ)」。 寒さを覚えた虫たちが、地中に姿を隠したり、その準備をはじめる時候です。

枯れゆく彼岸花に。

今年の彼岸花は、どこか心の奥底をじわりと染めるような、そんな赤い色をしていました。 また、来年のお彼岸に逢えることを、たのしみに。

なろうとするのではなく、ただ、そうなるだけ。

人は、何かになろうと躍起になったりするけれど。 そんなことをしなくても、流れに任せていると、ただ、そうなっていくのかもしれません。 なろうとするのではなく、ただ、そうなるだけ。

白秋、そして橙と。

雨上がりの午後、川沿いを歩きました。 夏の間、あれほど騒いでいた蝉の声は、もうどこにもなく。 湿り気を帯びながらも、ひんやりとした空気が、季節の移ろいを感じさせます。

露が、それを知っている。

時に白露。 徐々に朝晩の気温が下がり、草木に降りた露が白く光って見えることのある、秋の入り口。 七十二侯でも草露白(くさのつゆしろし)の名が付けられている通り、草木に降りた露に夏から秋への移り変わりが感じられる時期でもあります。

萩の花に、今年も出会えた。

季節のめぐりというのは、不思議なもので。 季節のめぐりを眺めていると、永遠に続くものなど何もないし、それでいて、失われることは幻想だと感じることができるようです。

秋と暖色と、古い記憶と。

秋は、どこか暖色の思い出と重なる。 それは路傍の花の色や、見上げる月の色に、橙や黄を多く見ることと、関係があるのだろうか。 秋は、どこか暖色をしている。 記憶の中の秋もまた、夕暮れのやわらかな陽射しの色をしている。

夏が過ぎゆくのが寂しくて、久石譲さんの「Summer」を聴いている。

それにしても、久石譲さんの「Summer」はいい。 夏の透明感、その終わりの寂しさ、美しさ。 「Summer」を聴いていると、過ぎゆく夏の寂しさもまた、これでよかったのだと思えてくる。

処暑、吹く風と寂しさに。

今日から「処暑」。 厳しい暑さも峠を越して、徐々に朝晩は涼しい風が吹き始める時候。 七十二侯では「綿柎開(わたのはなしべひらく)」、綿の花のがくが開き始め、中の綿毛が見え始めるころとされます。

はじまりは、いつも雨。

はじまりは、いつも雨。 珠玉の名曲のタイトルを思い出しながら、傘を開く。 開いたその傘を叩く音が、心地よかった。

涼やかに、しかし確かな、虫の声。

時に立秋。あるいは「寒蝉鳴、ひぐらしなく」の頃になりました。 「カナカナカナ…」という、ヒグラシの声。そのもの悲しい調べは、否が応でも夏の終わりを感じさせてくれるようです。 しかしながら、私はヒグラシとは縁がないようで、ほとんどその姿と声を聞…

立秋の空に。

暦の上では、秋立てる日を迎えました。 七十二候では「涼風至、すずかぜいたる」、徐々に秋の涼しい風が吹き始める時候。