2019-11-01から1ヶ月間の記事一覧
競馬WEBフリーペーパー&ブログの「ウマフリ」様へ寄稿させていただいた、トウカイトリックへの記事ですが、たくさんの反響をいただきました。ありがとうございます。
ステイヤーズステークスの思い出に寄せて、ウマフリさんに寄稿させて頂きました。平成という時代を駆け抜けた生粋のステイヤー、トウカイトリック。彼の歩んだ175,100mの軌跡をお楽しみ頂ければ、幸いです。
あとから振り返って見てみれば、こんなどうでもいいことに、人は頭を悩ませるものだ。JAFを呼ぶか、否か。そんな問いにエネルギーと心労をかけていた自分が、馬鹿らしくなる。
「ただたのめ よろづのつみは ふかくとも わがほんぐわんの あらんかぎりは」とは、浄土宗を開いた法然上人が京都の真如堂を訪れた際に、御本尊の阿弥陀物から授けられたとされる歌である。
静かな境内に、鳥の声だけが響いていた。ようやく訪れることができた尾張の国の一之宮は、どこまでも静かで、凛とした時間が流れていた。
「やっぱりいいことが起こると、同じくらいの悪いことが起こるのかなって。やっぱり、いいことも悪いことも半々ってホントなんですかね?もしそうなら、あんまり大きないいこととか、起こらない方がよくないですか?」
いまそこにある美をみつめること。それは、いつでも可能なのだと気付かされる、小雪のころの、散歩道。
平成のジャンパンカップの思い出に寄せてウマフリさんに寄稿させて頂きました。懐かしい平成の時代の香りをお楽しみ頂ければ、幸いです。
時に小雪。風の冷たさが、日々はっきりと感じられるようになるころ。きたぐにでは雪がちらつく日もあるが、まだまだ寒さはこれからの節気。
気付けば、朝夕の風はコートが欲しくなるくらいに冷たくなってきた。色づいた葉も少しずつ落ち始めて、いよいよ晩秋である。そんな晩秋の夜、刈谷市の「魚屋ごんべえ」さんを訪れた。
びっしりと書かれた1日も、真っ白な空白の1日も、2005年の私からの手紙のように思えた。そんな風には、思えなかっただろうけど、そして、そう言われても受け取ることができなかっただろうけれど。それでも、やはり2005年の自分に、その言葉を伝え…
土曜日夕方の名古屋駅は、にぎやかだった。アングラな雰囲気の残る駅西もいいが、やはり桜通口から広がる東側は王道で華やかだ。それでも、どこか野暮ったさが残るのが、名古屋という土地の愛するべきところなのだろう。何軒かの候補に電話してフラれて、河…
「待つ」ことに必要なのは時間だ。だとするなら、年齢が若い程に「待つ」ことの効果は高いように思えるのだが、不思議なことに若い時ほど、待てないようだ。どうしても功を焦り、自分で何とかしようとして、「待つ」よりも「動く」方を選んでしまう。それが…
まったく関係ないように見える二つの事象に、つながりと関係性を見いだすことができるのは人間の素晴らしい能力の一つである。けれど、ときにその因果律の眼鏡を外してみることは、世界の見方を変えてくれる。
ただ、目の前の世界を、あるがままに。ただ、目の前の人を、そのままに。ただ、観てみたい。
好きなことだから、やれる、続けられるのではななくて、その逆で、続けていると、好きになる。
さて、断酒開始から1年が過ぎたが、それからもう1週間以上も経ったのかと思うと早いものだ。淡々と、過ぎ行く日々のようだ。
変わらない笑顔が、そこにあった。いくつか他愛のない言葉を交わした。優柔不断な私は、一度決めた商品を変更して、包み直してもらったりした。
「3」という数字には、何か神性を帯びていて、人を安心させるらしい。孤独な「一つ」でもなく、対立のある「二つ」でもなく、バランスの取れた「三つ」。この三次元の現世を生きる我々にとっては、「三つ」というのが、何事につけてもバランスがよくて収ま…
自分以外の誰かにとっては、気にも留めないかもしれないこと。それについて悩むことができるのは、紛れもなくその領域に才能があるからこそ。
昨日の夜から、どうも鼻水が出ると思ったら、今朝から頭痛と腰痛も出て、風邪を引いたようだ。
もう西の空が燃えるよう。秋の日は、つるべ落としに。今日という日が終わる寂しさはあるのだが、この季節が過ぎゆく寂しさは、秋には感じないように思う。夏の終わりはその逆なのが、不思議なものだ。
りっとう、と聞いて栗東市を思い浮かべるのは、滋賀県に縁が深い方か、お馬さんに頭が毒されている輩かのどちらかだろう。ということで、今日は立冬。
無駄な時間の使い方とは、何だろうか。それは、自分で選んでいない時間なのではないだろうか。
茶色の小さな実に、その生命の息吹を託して、やがて枯れていく。その手放し方の、見事さよ。枯れゆく中に、命の息吹は宿る。
書き切る力とは、筋力のことなのかもしれない。最後に寄る辺となるのは、そこに「在る」自分の肉体なのだと思う。そこに「在る」肉体は、どこにもいかない。
親が考えているよりも、驚くほど子供の成長は早い。それなのに、もう要らないものを後生大事に抱きしめて、葛藤してしまうのが、親という生き物なのかもしれない。
昨日が断酒365日目だった。ということは、今日が断酒開始から1周年。意図して合わせたわけではないが、 ようやく依頼頂いていた小説を脱稿した。
昨年の11月3日から始めた断酒が、今日で365日目となった。ちょうど1年である。息子とカメにエサをやりながら、酒を断とうと思いついた、1年前の小雨の降る橋の上。あれから1年と思うと、あっという間のようで、また濃密な時間だったようで。
紅い、葉。これから冬に向かうのに、なぜこんなにも燃えるような色をしているのだろう。もしかしたら、一番、澄んで綺麗な時節だからなのかもしれない。