大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

2023-11-01から1ヶ月間の記事一覧

主語を「わたし」にすると、自分自身に意識を向けやすくなる。

心が揺れるとき、私たちの視線は自分の外の世界を向いています。その視線を自分に向けるために、まずは主語を「わたし」にする意識を持つことがおすすめです。

光、風、色。深く呼吸するために、必要なものたち。

頭上から注がれる、陽の光。この頬に感じる、秋の風。そして、植物の色たち。そうしたものを眺め、感じていると、それだけで満たされていくものがあります。人には、必要なのでしょうね。光と、風と、色が。

「執着」を抜けだすカギは、その原因を責めることではなく、自分の愛とつながること。

「執着」していると、選択肢が無く、選ぶことができません。そこを抜けだすカギになるのは、「執着」する自分を責めたり否定するのではなく、自分の愛とつながることです。

役に立つことに「執着」してしまう原因から考える、自分の価値について。

自分がいることに価値が感じられないとき、それは結果を出したり、役に立ったりすることに「執着」してしまっています。その「執着」がどこからきているのかを考えていくと、自分の価値を信じやすくなります。

【受付終了】12月度個人カウンセリングを募集いたします。

文筆家・心理カウンセラーの大嵜直人のブログにお越しいただき、誠にありがとうございます。12月度の個人カウンセリングを募集いたします。あなたさまのお話をお伺いできますことを、心より楽しみにしております!

「自分がいること自体に価値がある」と考えるのは、妥協や甘えじゃないのだろうか?

「存在自体に価値がある」と聞くと、妥協や甘えに聞こえてしまうことがありますが、そうではありません。自分の価値を認めることは、どんな状況でも変わらない真実です。

たとえ、あなたが何かができなかったり、無かったり、成し遂げられなかったとしても。

私たちは、どうしても「する」ことに重きを置いて、「在る」ことの価値を忘れてしまいがちです。しかし、あなたがそこにいることには、無限の価値があります。

見えない虹に、想いを寄せる小雪のころ。

節気も、昨日から「小雪」。その字の通り、雪が降り始めるとされるころで、山々は白い帽子をかぶりはじめ、木々はその葉を落とすころでもあります。七十二侯では、「虹蔵不見(にじかくれてみえず)」。

あなたがいるだけで、周りに与えているものがあるから。

「与える」と「受けとる」は、一見すると正反対の行為ですが、突き詰めていくと、同じことといえます。それは、自分の愛とつながることであり、自分の価値を認めることです。

「与える」ことを続けるための、セルフチェックのススメ。

誰かに与えようとすることは、私たちに大きな恩恵を与えてくれます。しかし、それが他人が主体になってしまうと、なかなか続かないものです。与えることを続けるためには、どうしたらいいかについて、考えてみます。

自分がしんどいときほど、与える意識を持つと抜けることができる。

「与えて抜ける」といわれるように、自分がしんどいときほど「与える」意識を持つことで、そこから抜けることができます。そして「与える」とは、そんなに特別なことではなくて、いつもあなたがしていることなのかもしれません、

癒されたから与えられるのではなく、与えるから癒される。

誰かに何かを与えられるのは、たくさんのものを持っているからというのが、普通の見方です。しかし心の世界では、与えることで、もっと多くのものを得ることがあります。

いつか、夏は戻ってくるのだとしても。

木枯らしが吹いても、あの熱量を想うんです。あの日に交わした言葉が、いまどこを探しても見つからないように。あの日に読んだ言葉と、いま読んだ言葉が、同じであっても異なるように。

自分の才能を知ることで、苦しみの意味を変えられる。

何に悩み、何に苦労し、どんな問題を抱えてきたかは、その人の才能を指し示してくれます。そして、その才能を自覚することは、その苦しみや悩み、問題の「意味」を変えてくれるものです。

いままでの人生で一番苦労したことは、あなたの才能のありかを正確に指し示してくれる。

痛みを感じることは、問題と同じように、私たちの才能を正確に指示してくれます。あなたが、いままでで一番苦労したこと、傷ついたと感じたことは、どんなことでしょうか?

いま起こっていることは正しいこと、そしてあなたに必要なこと。

起こっていることはすべて正しいことであり、自分にとって必要なことといいます。たとえ傷ついたと感じることがあったとしても、それは同じです。

傷ついたのは、あなたのなかの「真実」が変わるタイミングだから。

傷ついたと感じるとき、それは自分のなかの観念が葛藤しているときです。だから、その痛みは、あなたのなかの「真実」が変わるタイミングを教えてくれています。

その痛みは、大切な人を支えることのできるやさしさになる。

心が痛いとき、それは心の器が広がっているときです。その痛みはいつか、大切な人を支えることのできるやさしさになります。

いつか、どこかで、この言葉たちが、あなたの心をあたためることができたなら。

ただ、ご感想で「筆を止めないでください」と励ましをいただきました。ありがたい限りです。これからも、書き続けていきたいと思います。

あなたを傷つけるのは、あなたしかいない。

自分が自分を責めているとき、それを周りに投影します。自分を傷つけることができるのは、自分しかいません。

「真実」は、決してあなたを傷つけない。

「真実」とは、それを受け入れるまで悪魔のように見えたりするものです。けれども「真実」は、決してあなたを傷つけることはありません。

自分を知ることは、それによって自分を責めるためではなく、自分のすべてに価値を見るため。

心理学なりを通じて自分を知るとき、それを使って自分を責めることのないようにしたいものです。自分を知ることとは、自分のすべてに価値を見るためにするものです。

「癒す」ことは自分で選ぶことができるが、傷ついていた自分を責めることはしなくていい。

「癒す」と決めるのは、自分自身です。そうだとしても、癒されなかったいままでの自分を責めることだけは、しなくてもいいと思うのです。

霜月、いつものように熱田さんで祈りを。

今年もあと2か月になりましたが、そんな霜月に、また熱田神宮を参拝して参りました。

「癒される」こともまた、自分で決めることができるもの。

「癒し」とは、受動的なものと思われることが多いものですが、そうではありません。「自分を癒す」と、自分自身が決めることができます。

「癒し」とは意味付けを変えることであり、その最たるものは「忘却」である。

「癒し」とは、自分のなかでものごとの意味付けが変わることですが、その最たるものは「忘れる」ことです。いま思い煩っていることを忘れてしまうような自分は、どんな自分なのでしょう。

「親と向き合う」ことは大切だけれども、その先にあるものを見失わないようにしたいもの。

「親と向き合う」ことは、自分のなかにある意味付けを変えていける、大切なプロセスです。しかし、それ自体を目的にしてしまうのではなく、その先にあるものを見失わないようにしたいものです。

「親と向き合う」とは、具体的には何をすることか?

親に限らずですが、誰かと「向き合う」というとき、それは「許し」と「手放し」のプロセスに向かうことを指します。そうすることによって、相手は変わらずとも、自分自身が自由に生きられるようになります。

なぜ、「親と向き合うこと」が大切なのか?

カウンセリングのなかで、よく両親との関係性がテーマになることがあります。親と向き合うことの意味と、その恩恵についてお伝えします。

「投影を取り戻す」ことで、自分の感情を自覚できるようになる。

「投影」の視点を使うことは、実にさまざまな恩恵があるものです。その一つに、「投影を取り戻す」プロセスによって、自分の感情とつながることができることがあります。