2020-06-01から1ヶ月間の記事一覧
それにしても、子どもというのは親がしたくてもできなかったことを叶えてくれる。もしも、小さな私が、「いつか君は、カブトムシやクワガタを幼虫から成虫まで育てることができるんだよ」と聞いたら、どんな顔をするだろう。
時に、しとしとと落ちる細かい雨に、湿り気を帯びながら。時に、真夏になったかのような陽の光に、乾きながら。アヤメは、咲く。
タフなレースの中で圧倒的な強さを見せつけた、2020年のクロノジェネシス。最大着差の、最大幸福。宝塚記念の歴史に、また「この舞台でこそ」の強さを輝かせた一頭が刻まれた。
梅雨時期の仁川を彩る、夏のグランプリ・宝塚記念。1996年、あの年の宝塚記念の記憶を、ウマフリさんに寄稿させて頂きました。
今日はKADOKAWA(アスキーメディアワークス)出版、飯尾淳子さん・飯尾さとみさん著、「京都のお酢屋のお酢レシピ」に寄せて書いてみたい。ここで何度も紹介させて頂いている京都・宮津の飯尾醸造さんのお酢を使ったレシピ本である。
マラソンを走る友人がいる。その友人曰く、ランニングにおすすめの時間帯は「夕暮れ時」だそうだ。その理由は、日が暮れていき、世界の色が変わっていくのを眺められることが、心地よいからだ、と。
さて、断酒も今日でちょうど600日目を迎えた。狙ったわけではなく、たまたま断酒のブログを書こうと思って調べたら、ちょうど切りのいい数字だった。無意識では、気づいていたのだろうか。
依頼されていた文章を、昨日の夜に納品させて頂いた。ここに書くのは、自分の好きなように書いているので、もうほとんど感じないのだが、やはり「依頼されて」書く文章を納品する際は、緊張する。
ただ、自らが大切に思う、小さなものをそっと守り続けること。それが、何より表現者として大切なのではないかと思う。
まだ本格的な夏も訪れていないのに夏至か、という思いは、半年後の冬至の際には懐かしく思い出されるのかもしれない。ただ、流れていくことを受け入れるだけだ。それは、今日という日の空の色を、味わい尽くすことと似ているのかもしれない。
とことことこ。梅雨の合間の空の下。紫陽花の上を天道虫が歩く。ただ一つの紫陽花の上を、唯一無二の天道虫が歩く。背中の七つの星が、陽の光に照らされて輝く。
たとえば、伝えたいことがあったとして。どうしても表現したい、何がしかの世界の襞があったとして。それを誰に向けるのか。
桜の花弁は、愛にも似ていた。それを摘んでしまえば、眺めていたものではなくなる。それを自分のものにしてしまえば、とたんに色褪せる。
マスク生活が当たり前になると、どうしても嗅覚がおかしくなる。五感の中で特別な感覚である嗅覚が塞がれるというのは、あまりよろしくないのだろう。ときには、マスクを外して思い切り深呼吸を。ときには、季節の香りを胸いっぱいに詰め込んで。
エリー。不意に口ずさんでいたのは、あの頃の私だった。フロントガラスの向こうでは、梅雨時期らしくない入道雲が見えた。
一雨ごとに、ほのかに暖色を増していくようで。梅の実を眺めるのは、この時期の貴重な楽しみである。その雨は、梅の実を色づける。
6月21日、日曜日、22時。折しもこの日は新月とともに、夏至の日でもあるようです。一年の中で最も昼間の時間が長くなり、「陽極まる」とされる夏至。そんな特別な日の夜に、物語はどんなかたちで回を重ねるのか、私も楽しみにしています。
根本裕幸さんの『「いつも無理してるな」と思った時に読む本』(大和書房)の書評を。本書は、タイトルの通り「いつも無理してるな」と感じたり、あるいは、どこか息苦しさを感じてしまうときの処方箋となる本である。
さて、断酒588日目である。外側に答えを求めない、あるいは、霊性はしらふに宿る、などと感じるようになってきた。
「なんで男って生きものは、素直に『ごめんなさい』って言えないんですかね?」
時に芒種、ぼうしゅ。芒(のぎ)と呼ばれる、針のような穂先を持つ稲や麦といった植物の種を蒔く時候。時に腐草為蛍、くされたるくさほたるとなる。この時期の里山をほのかな光とともに舞う蛍は、昔は腐った草がかたちを変えた生きものと考えられていた。
もしも、世界が音であったなら。根本理加さんのクリスタボウルに寄せて。
ゆっくりと、走る。淡々と、粛々と。自分が思っているよりも、うんと、ゆっくりと。景色が流れるままに任せる。
2020年、安田記念。アーモンドアイが負けたレース、ではなく。グランアレグリアが勝ったレース。そう語り継ぎたい、名勝負の余韻が残った。
毎年、息子は私にそれをまざまざと見せてくれる。問題を解決しようとするよりも、ビジョンを観ることを。今年は、そんなことを想いながら、ハンドルを握る私は我慢できずにあくびを繰り返す。
いつの間にか、雲は流れて形を変えていく。空を、見上げよう。芒種の、空を。
自分を愛するとは、ショーケースに並んだ美しいケーキではなく、生地をこねて生クリームを絞る過程である。
ただ、目の前の季節を見つめるように。ただ、目の前の紫陽花の色を眺めるように。その人を見てみたい。湧き上がる好きも、嫌いも、感謝も、恨みも、喜びも、尊敬も、ただそのままに。ただ、一緒に在る。
断酒して578日が経った。私にとってのお酒の「中道」とは、どんな状態だろうが。それを探していくことを、楽しんでいくのがよいのだろう。
あの日の紫陽花は、薄紫だったのだろうか。それとも、水色だったのだろうか。今年も、紫陽花の咲く水無月が訪れる。