大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

2019-01-01から1年間の記事一覧

ありがとう、2019年。

思い出深いギフトの年、2019年でした。おかげさまで、今年も毎日更新を続けることができました。ありがとう、2019年。

自分に料理を美味しくつくることのできる才能があるのだとしたら、と大将は言った。

自分に才能があるのだとしたら。その才能を、誰と分かち合いたいのか。その緩んだ空気に揺られながら、私の頭からそのフレーズが離れなかった。

冬至を前に伊勢志摩をめぐりて陽を探す旅4 ~三重県志摩市・天の岩戸 訪問記

「天の岩戸」は、去年の1月に伊勢志摩を訪れた際に偶然通りかかって立ち寄った場所で、その後3月にもご縁を頂いて再訪することができた。その「天の岩戸」を三度、訪れることができた。

年の瀬に祖父の家を想うこと。

平成三十一年であり令和元年でもあった年が、暮れてゆく。そんな年の瀬に思い出すのは、やはり祖父の家のようだ。みんな、いた。どこか時間の流れが、ゆっくりだった。

冬至を前に伊勢志摩をめぐりて陽を探す旅3 ~三重県伊勢市・内宮(皇大神宮)訪問記

樹木は、どこまでもまっすぐで。それは、知性と包容力、静謐さ、そして神性を帯びている。どこか懐かしく、ほのかにあたたかな雰囲気で。お伊勢が日本人の「心のふるさと」であるならば、訪れる人がそこで感じるのは、自らのルーツでありアイデンティティで…

冬至を前に伊勢志摩をめぐりて陽を探す旅2 ~内宮・宇治橋の大鳥居から日の出を望む

山際から日が昇る、ほんの一瞬の間だけ、雲が晴れた。ほんのわずかの間だったが、奇跡のような体験をさせて頂いた。今日、ここに来ることができてよかった。雲に滲む太陽をぼんやり眺めながら、私の頭にはそれしか思い浮かばなかった。

サンタってなんで夜行性なんですかね、と彼女は言った。

「やっぱり人が夢や希望が必要なときって、暗闇の時期だったり、夜明け前だと思うんだよ、うん。それがあればこそ、日の出を待つこともできるし、闇の中でほのかな灯りを楽しむことができる。だから、サンタクロースは、夜にしか訪れないんだと思うよ」

クリスマスイブに寄せて、追憶と奇跡について想うこと。

時にふと、昔の記憶が甦ることがある。よく聴いていた音楽を耳にしたり、以前に通っていた場所に足を向けたり、鼻腔をくすぐる香りが懐かしかったり、あるいは何か心に刻まれることが起こった季節がめぐってきたり、そのタイミングは様々だったりする。そん…

冬至を前に伊勢志摩をめぐりて陽を探す旅1 ~三重県伊勢市・外宮(豊受大神宮) 訪問記

暗闇の中、手を合わせると、なぜか涙が流れた。ただ、今日ここに来れたことを、感謝するだけだった。

冬至、乃東生、陰中の陰。

人生において「陰中の陰」のように感じるとき、それは冬至と同じなのかもしれない。すなわち、逆風、失敗、逆境、不運…そんなときこそ、最も生命としての輝きを放つ時期なのかもしれない。

3歩進んで、3歩下がる。

ときに人の成長は、螺旋階段を登るように例えられる。一回りして同じ場所に戻ってきたように見えるときは、一つ上の階に来ているのかもしれない。

断酒日記【413日目】

断酒して431日が経った。いま飲んだら、また違う飲み方ができるのだろうか。それはそうなのだろうけど、あまりその試みに心が躍らない。だとするなら、お酒とは別のもので、その感覚を得られないものだろうか。

されど、同じにあらず。

同じように陽が昇っているように見えて、今日は昨日と同じ日ではない。昨日とは違う、こころもようを感じ尽そう。

数十分前と数十年前の記憶が交錯する白川公園の夜。

つながりと孤独と、数十分前と数十年前と。両の極が交錯する白川公園の、ちょうど端まで歩いてきたようだった。背をすくめ、私は地下鉄の駅への歩みを早めた。

ほんの小さな出来事に 愛は傷ついて

軽やかさの中にも寂寥感と哀愁を含んだアルペジオに乗せて、財津和夫さんの透明感のある歌い出し。チューリップの名曲・「サボテンの花」は何度聴いても、センチメンタルに胸を締め付ける。

月下寂寞再見。

月が、斬られていた。 座標軸を表すような経度線が、天体にかかっているように見えた。 飛行機雲か何かだろうか。 この遅い時間に、飛行機雲などができるのだろうか。 川の小橋の上、そんなことを考えながら、めずらしい天体の景色を見上げていた。 人はここ…

からすみ餅の大群と過去の自分に出会った日

師走の週末の終電前らしく、地下鉄はすし詰めだった。その揺れに身体を預けながら、私は絶品だったからすみ餅の味を思い出していた。

触れることは、意識を向けること。

触れることは、その対象に意識を向けること。その対象に意識が向くと、当たり前が当たり前でなかったことに気づく。

臆病さ、という輝き。

漫画「医龍」の中の、私が好きな一場面から。難易度の高い手術のためのチームに入れられ、怯える研修医・伊集院に、チームのリーダーである加藤が確信を持って語りかける場面だ。臆病さとは、すなわち才能なのかもしれない。

「君は君であるために生まれてきたのに、なぜそんなに一生懸命みんなに合わせようとしているんだい?」

「君は君であるために生まれてきたのに、なぜそんなに一生懸命みんなに合わせようとしているんだい?」映画「ロイヤル・セブンティーン」の中で、17歳の主人公のダフネ・レノルズが語る台詞は、示唆に満ちている。

「チャゲアスホイホイ」

やはり、「好き」なことを「好き」と言うだけで、周りの人に喜びと幸せを与えることができるんだな、と実感したことを。

CHAGE and ASKA 「HEART」に寄せて

何年経っても、折に触れて思い出す言葉、というものがある。 心の琴線に触れたその言葉は、時間を越えて何度でもその人を励まし、勇気づけ、癒し、そして喜びを与える。 それは、 ある小説の一節かもしれないし、 ある舞台の中の一シーンの言葉かもしれない…

愛する対象が、あるだけで。 ~東京・「東新宿 炭火割烹 倉乃介 発酵と熟成の幸」訪問記

究極的には。愛を受け取ってもらえたかどうかは、あまり関係がない。愛する対象があるだけで、人は幸せである。それがあるだけで、こころの奥底は、静かで穏やかな凪のようで。倉乃介さんがあって、よかった。

夏の忘れものとお別れしながら、時はいつか満ちるものだと思った一日。

わからなくても、時はいつか満ちるものだよな、と思った。川沿いの木にわずかに残る葉は、やはり燃えるように赤かった。

時に大雪。閉塞成冬、そらさむくふゆとなる。

今日は二十四節気の「大雪」。山々は雪に覆われ、本格的な冬の到来を感じながら、年末年始の準備を始めるころ。一段と寒くなったようで、最高気温が9度と寒い日になった。

断酒日記 【399日目】 ~私がお酒から得られていた恩恵

お酒を飲んで酩酊してくると、ぼんやりと心地よくなってくる。心も開いてきて、楽しくて笑っていると、いろんなものと「つながっている」ような感覚になってくる。その酩酊状態、よく言えば陶酔感、すべてとつながっている感覚。それがお酒が私に与えてくれ…

遠くスタンドの歓声は海鳴りに似て ~晩秋の東京競馬場 訪問記

霜月の終わり、ジャパンカップ・デーに東京競馬場を訪れた。

断酒日記【397日目】 ~光と影と、その裏側の影と光

お酒を飲まなくなったことで、私が失ったものは、何だろうか。言い換えれば、お酒を飲むことで得られていた恩恵とは、何だろうか。それは、お酒でないと得られないものだろうか。少し、自分と向き合ってみようと思う。

変化を、怖れることなかれ。 ~令和元年のジャパンカップが教えてくれたもの

令和元年のジャパンカップが教えてくれたのは、変化することへの覚悟と、尊さだった。変化を、そして、その先にある結果を、恐るることなかれ。

雨に濡れる欅と、色づく不老不死の実。 ~東京都府中市・大國魂神社 訪問記

霜月の終わりに、東京は府中市の大國魂(おおくにたま)神社を訪れた。