大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

2024-01-01から1年間の記事一覧

「許し」へのステップ3 ~許せない自分を、許す

許そうと思っても、許せないこともあるものです。そんなとき、「まずは許せない自分」を許す、という方に目を向けてみることをおすすめします。

「許し」へのステップ2 ~「許し」は長距離走、あせらずじっくりと。

「許し」のプロセスは、長距離走のようなものです。早く完璧に許せるようになろうとするよりも、そのプロセスを楽しむくらいでちょうどいいのです。

「許し」へのステップ ~その4つプロセスについて

「許し」とは、相手やできごとを自分が主体的に受け入れていく心のはたらきを指します。そうした「許し」の境地にいたるためのプロセスについて、お伝えしていきます。

自分を深く愛するための、「許し」。

心理学においての「許し」とは、誰かに許可を出すものではありません。それは、自分のためにするものであり、自分を深く愛する行為の一つです。

心地よい季節は、短くなれど。

9月も終わりというのに、30度以上というのは、やはり季節の移ろいというのが、ちょっと違うものになってきている気がします。なんというか、5月にはもう「夏」の暑さを感じたように覚えていますので、一年の半分くらいは「夏」の気温になってしまったのでし…

してはいけないことをしてしまうのもまた、私たちだから。

ダメなことをしてしまったことを責めるよりも、それを許す方が、楽に生きられます。それは、自分にとっても、相手にとっても、です。

自分責めをしないことに注力するよりも、してしまったときの対処法を考えておく方がいい。

禁止や否定をするほどに、私たちの心はそれにとらわれてしまうものです。大切なのは「しないこと」ではなく、「それをしてしまったときの対処法」です。

【受付中!】10月度個人カウンセリングを募集いたします!

10月度の個人カウンセリングを募集いたします。あなたさまのお話をお伺いできますことを、心より楽しみにしております!

「投影」を通じた、自分の感情の気づき方。

自分が何を感じているのかを知るために、「投影」の視点が役に立ちます。この視点を使うことは、実に大きな恩恵を私たちに与えてくれます。

感情を感じることと、そこからどんな行動を選ぶのかは、まったく別のもの。

感情は、ただそのままに流れのままにしてあげるほかありません。けれども、そこからどんな行動を選ぶのかは、別のお話なんです。

【ご案内】星海社新書「アイドルホース列伝 超 1949ー2024」が9月25日に発売です!

以前よりご縁をいただいております、競馬コラム&ニュース ウマフリさまが執筆に参加された書籍が9月25日に発売となります。今回の書籍には、私は校正で参加させていただきました!

秋分を迎えても、まだ感じさせる夏の暑さに。

時候は「秋分」を迎えました。太陽が真東から昇り、真西に沈む日。

自分の感じていることを表現することは、ワガママではない。

自分の感じていることを表現することは、決してワガママなことではありません。それは自分を尊重するために必要なことであり、そのために安全な方法を選ぶことが大切になります。

二塁打、はるかなり。

「結果がすべての世界」立浪和義監督の退任コメントには、悔しさというよりも、諦念が滲んでいたように感じた。

自分自身を尊重するとは、「感じる」ことと「表現する」こと。

自分自身を尊重するとは、どんなことでしょうか。自分に与える、という意識もそうですが、最も根本的なのは「感じる」ことと、それを「表現する」ことです。

相手との「対等性」を築くためには、自分が自分を尊重することに尽きる。

相手との対等な関係性を築きたいと思ったとき、その関係性をコントロールしようとしても、なかなかうまくいきません。「対等性」を築くためには、自分が自分を尊重することに尽きるのです。

手放しのプロセスのなかで求められるのは、相手との「対等性」。

執着を手放すためには、相手との対等性が重要になります。臆病になり過ぎず、かといって傲慢にならず。自分と相手を対等に扱うことが求められるのです。

相手から愛されない怖れとは、自分が愛せない怖れの投影である。

手放しのプロセスでは、相手から愛されない怖れを感じることがあります。その怖れとは、実は自分が相手を愛せない怖れの投影だったりします。それゆえ、どんな怖れであっても、自分が解消していけるものなのです。

白露、残暑と呼ぶにはあまりにも暑く。

時候は、「白露」に入りました。その字のごとく、夜中に冷えた大気が、朝露となって草木に舞い降りるころ。その露が白く光った粒のように見えるのが、その名の由来とされます。

手放そうとしているからこそ、怖さもまた感じるもの。

執着を手放そうとするとき、怖さを感じるものです。しかし、それは手放そうとしているからこそ感じるものであり、手放しのプロセスを歩んでいる証拠でもあります。

執着を手放すとは、相互依存へといたる道。

執着を手放すという心のはたらきは、自立から相互依存にいたるステップに似ています。それは、自分にも相手にも自由を与えることのできるプロセスです。

「手放し」を阻むのは、コントロールしたがる自立の癖。

執着は手放しましょう、とよく言われます。しかし、自立のコントロールしたがる癖があると、なかなか難しかったりします。だから、執着を手放すには、自己肯定感を上げることが欠かせません。

「執着」の処方箋は手放すことであり、それは好きなまま距離を空けること。

「執着」をやめるには、「手放し」がその処方箋になります。そして「手放し」とは、その対象を好きなままに、距離を空けることで、自分自身に自由を与える心のはたらきです。

執着を手放すためには、他の選択肢があることを認めることがまず一歩目。

「執着」とは、選択肢を持たない状態を指します。それゆえ、それ以外に選択肢があることを認めることが、「執着」を手放す一歩目になるのです。

自分を肯定することができると、望まない現実の見方も変わる。

自分を肯定することができると、執着が薄れていきます。そうすると、自分が望まないできごとが起こったとしても、その現実の見方が変わっていくのです。

長月の熱田さん、ツクツクボウシの鳴くころに。

長月、9月。徐々に秋の装いが見られるようになるころ、また熱田さんを訪れることができました。

わたしの身体は、わたしに与えられたのもであり、わたしだけのものではないもの。

自分の身体をどう扱うかは、自己愛、自己受容と密接な関係があります。自分だけの所有物ではないという意識を持つと、少し扱い方が変わっていきます。

もし、親しい友人が自分と同じ状況に置かれていたとしたら、どんな言葉をかけてあげたいだろう?

もし仮に、親しい友人が自分と同じ状況にいたとしたら、どんな言葉をかけてあげたいでしょうか。それが、自分自身が必要な言葉です。

感情は理解されないと感じると抑圧してしまうから、まず自分が理解してあげる。

私たちは理解されないと感じると、その感情を抑圧してしまうものです。まずは自分が自分を理解してあげることが大切なのですが、そのためには味方でいるという意思表示をしてあげることです。

自分に余裕をつくるためには、まず自分だけのための時間を確保してみる。

自分に余裕をつくるためには、自分の感情を感じることが大切になります。そのためには、まず自分だけのための時間を確保してみることがおすすめです。