誰かを嫌ったり、ケンカしたり、否定したり、そうしたネガティブなつながりを感じるとき。その相手のなかには、私たちがどこかで見失ってしまった自分自身のかけらが眠っているものです。
「つながり」とは、心と心が寄り添い、相手との境界線が溶けている状態であり、私たちの想像力がその架け橋となります。それゆえ、たとえ相手と物理的に離れていても、「つながり」をつくることができます。
「許し」のプロセスで必要な「感情的理解」では、相手の置かれている状況や心情を想像することが大切になります。しかし、自分のことに手一杯の状態だと、その想像力は失われてしまいます。
「あきらめる」とは、決してネガティブな意味ではなく、「その事実やできごとをあるがままに受け入れる」という意味があります。それは「許し」のプロセスに、よく似ています。
自己否定の形の一つに、いまの自分を基準にして、過去の自分を裁く、というものがあります。そんなときは、「そうするほかなかった」という、あきらめの視点を持つことが有効です。
私たちは、条件つきで愛してもらうとしてしまうことがあります。そうした行動を、単に「間違っている」とするのではなく、そうするほかなかった自分を受け入れるプロセスを踏むことが大切です。
何も言わずとも、時が満ちれば、花は咲く。連綿と繰り返されてきた、その奇跡。私たちもまた、同じなのかもしれません。