2020-12-01から1ヶ月間の記事一覧
今年もありがとうございました。どうぞ、よいお年をお迎えください。
紡がれて、いま。見上げれば、帯のような雲が広がっていた。
幼いころの夢を、叶えること。それは、かくも心を豊かにしてくれるものだと感じる。どんなくだらないことで、どんな些細なことでも、大人になったいまの自分ができることをしてあげるのは、こころが満たされる。
今年はコロナ禍で様々な催事やエンタメが中止となる中、無観客でも競馬開催を止めずに続けて頂いたことは、関係者の尽力に尽きる。改めて、有馬記念まで無事に開催していただいたことに、感謝したい。
2020年の最後に、こんな奇跡の映画が公開される。素晴らしきかな、この世界。そんなことを思ってしまう、映画「えんとつ町のプペル」だった。
来年の春に向けて、輝く光を見たホープフルステークス。ダノンザキッドは、前年のコントレイルに続くのか、それとも父・ジャスタウェイの後をなぞるのか。楽しみは尽きない。
お休みに入る直前、ブルーベリーフィールズ紀伊國屋さんを訪れることができた。ここを訪れるたびに、癒された。この風景を眺めていると、何かにならなくてもよかった。誰かにならなくてもよかった。
クリスマス・イヴである。時間がどんな人間にも平等であるのと同じように、クリスマスは誰にでも訪れる。それは、どこか救いのように思える。
滋賀県大津市は近江神宮を訪れた。ご祭神の天智天皇は、大化の改新を断行され、都を奈良の飛鳥から近江大津宮へ遷し、「近江令」を制定するなど、国家としての礎を築かれた。
冬至の日の朝、真清田神社を訪れた。振り返れば、想像だにしない出来事がたくさん起こった、忘れがたい2020年だった。そんな中、この真清田の神さまには、ずいぶんと助けられたように思う。騒がしい世情の中でも、境内で変わらず咲く桃の花を見上げては、癒…
寒さも厳しさを増してきたが、暦の上では「ふゆ、いたる」。冬至である。一年の中で最も昼の時間が短く、夜が長い時候。
2020年、朝日杯フューチュリティステークス。阪神に咲いたマイルの華、グレナディアガーズ。その華は、来年の春にはどんな大輪になっているのだろうか。
冬晴れの日、熱田神宮を訪れると、参道に鳥が。トコトコと、私を導くように。
断酒から777日が経過した。最近はめっきり会食の機会もなくなった。馴染みのお店に、食事をしに顔を出すくらいだ。お酒を飲む習慣というものが、生活サイクルの中から無くなったとも言える。
寒さ厳しければこそ、春の暖かさが待ち遠しくなる。闇が深ければこそ、ほんの少しの光でもまぶしく感じられる。暖冬でも、厳冬でも。いま、目に映るその世界を、愉しむだけだ。
折に触れて、吉田松陰の「留魂録」を読み返す。齢、29歳。死を前にして悟りえた死生観の高み。読むたびに、その精神性の高さに畏怖し、日本の近代国家としての礎を築く中で失われた、多くの尊い命を想う。
高速道路の高架下をくぐる、その風景のどこかに。青い帽子をかぶり、メガホンを首から下げて、父と歩く小さな私がどこかに、歩いているような気もする。愛された記憶のかけらが、ちりばめられているような。そんな道を、今日も走る。
季節が流れるからこそ。そこに、生が見える。いまが、輝く。生々流転。ながれゆくものにこそ、永遠は宿る。
2020年阪神ジュベナイルフィリーズ、白の一族による結実。忘れえぬ奇跡の年に、また一つ奇跡が舞い降りた。
師走の熱田神宮、こころの小径を歩いた。凛として、やさしく。やわらかで、しなやかで。冬の朝の穏やかな光とともに、その空気を存分に味わうことができた。
「『タフさ』ってのも、いろいろあっていいと思いますよ。別にローマかどっかの剣闘士みたいなタフさもあれば、お酒がバカみたいに強いみたいのもあるかもしれないし、そうじゃなくて早寝早起きをちゃんと続けるってのも、タフさかもしれない」
やってしまった。ついに出た。何がって、「ラッキーカード」である。何のカードって、「プロ野球チップス」のラッキーカードである。
あの日、ドキドキしながら自転車を漕いだ時間を思い出しつつ、ユニクロの服を手に取る。いい時代になったものだと、改めて思う。
師走に入り、冷え込む朝が続く。早朝に訪れた熱田神宮の空気も、どこか凛としている。
蕾を眺めてぼんやりしていると、あたりを走っていた娘が、ズボンにびっしりと「ひっつき虫」をつけてきた。それを指摘すると、ケラケラと笑う娘。ズボラな娘がそのまま家に帰ろうと歩き出すのを、私は追いかけた。時に、大雪。彩る、大雪。
絶対的な人気馬に対して、奇襲や賭けに出ることなく、正攻法での力勝負を挑んだ戸崎圭太騎手とチュウワウィザード。彼らに、勝負の女神は微笑んだ。戸崎騎手の快気祝いともいえる、2020年のチャンピオンズカップだった。
明日は、我らが中京競馬場で開催される、GⅠ・チャンピオンズカップ。暮れの中京を舞台に、砂の精鋭たちが覇を競います。そんな師走の大一番の思い出に寄せて、ウマフリさんに寄稿させていただきました。
どこへ行っても、誰と会っても、何をしても。立ち上ってくるのは、「わたし」でしかない。
そこに、いる。いつもの川沿い、いつもの夜。いつもの空に、いつもの月。 そこに、いるのだ。キダチチョウセンアサガオ。天使のトランペット。
ぼんやりとしていると、ふっと現れ、そして消えていく、あの「橘」の色。あれは、いつ見た色だっただろうか。どこかで、見た色だっただろうか。