2019-12-01から1ヶ月間の記事一覧
思い出深いギフトの年、2019年でした。おかげさまで、今年も毎日更新を続けることができました。ありがとう、2019年。
自分に才能があるのだとしたら。その才能を、誰と分かち合いたいのか。その緩んだ空気に揺られながら、私の頭からそのフレーズが離れなかった。
「天の岩戸」は、去年の1月に伊勢志摩を訪れた際に偶然通りかかって立ち寄った場所で、その後3月にもご縁を頂いて再訪することができた。その「天の岩戸」を三度、訪れることができた。
平成三十一年であり令和元年でもあった年が、暮れてゆく。そんな年の瀬に思い出すのは、やはり祖父の家のようだ。みんな、いた。どこか時間の流れが、ゆっくりだった。
樹木は、どこまでもまっすぐで。それは、知性と包容力、静謐さ、そして神性を帯びている。どこか懐かしく、ほのかにあたたかな雰囲気で。お伊勢が日本人の「心のふるさと」であるならば、訪れる人がそこで感じるのは、自らのルーツでありアイデンティティで…
山際から日が昇る、ほんの一瞬の間だけ、雲が晴れた。ほんのわずかの間だったが、奇跡のような体験をさせて頂いた。今日、ここに来ることができてよかった。雲に滲む太陽をぼんやり眺めながら、私の頭にはそれしか思い浮かばなかった。
「やっぱり人が夢や希望が必要なときって、暗闇の時期だったり、夜明け前だと思うんだよ、うん。それがあればこそ、日の出を待つこともできるし、闇の中でほのかな灯りを楽しむことができる。だから、サンタクロースは、夜にしか訪れないんだと思うよ」
時にふと、昔の記憶が甦ることがある。よく聴いていた音楽を耳にしたり、以前に通っていた場所に足を向けたり、鼻腔をくすぐる香りが懐かしかったり、あるいは何か心に刻まれることが起こった季節がめぐってきたり、そのタイミングは様々だったりする。そん…
暗闇の中、手を合わせると、なぜか涙が流れた。ただ、今日ここに来れたことを、感謝するだけだった。
人生において「陰中の陰」のように感じるとき、それは冬至と同じなのかもしれない。すなわち、逆風、失敗、逆境、不運…そんなときこそ、最も生命としての輝きを放つ時期なのかもしれない。
ときに人の成長は、螺旋階段を登るように例えられる。一回りして同じ場所に戻ってきたように見えるときは、一つ上の階に来ているのかもしれない。
断酒して431日が経った。いま飲んだら、また違う飲み方ができるのだろうか。それはそうなのだろうけど、あまりその試みに心が躍らない。だとするなら、お酒とは別のもので、その感覚を得られないものだろうか。
同じように陽が昇っているように見えて、今日は昨日と同じ日ではない。昨日とは違う、こころもようを感じ尽そう。
つながりと孤独と、数十分前と数十年前と。両の極が交錯する白川公園の、ちょうど端まで歩いてきたようだった。背をすくめ、私は地下鉄の駅への歩みを早めた。
軽やかさの中にも寂寥感と哀愁を含んだアルペジオに乗せて、財津和夫さんの透明感のある歌い出し。チューリップの名曲・「サボテンの花」は何度聴いても、センチメンタルに胸を締め付ける。
月が、斬られていた。 座標軸を表すような経度線が、天体にかかっているように見えた。 飛行機雲か何かだろうか。 この遅い時間に、飛行機雲などができるのだろうか。 川の小橋の上、そんなことを考えながら、めずらしい天体の景色を見上げていた。 人はここ…
師走の週末の終電前らしく、地下鉄はすし詰めだった。その揺れに身体を預けながら、私は絶品だったからすみ餅の味を思い出していた。
触れることは、その対象に意識を向けること。その対象に意識が向くと、当たり前が当たり前でなかったことに気づく。
漫画「医龍」の中の、私が好きな一場面から。難易度の高い手術のためのチームに入れられ、怯える研修医・伊集院に、チームのリーダーである加藤が確信を持って語りかける場面だ。臆病さとは、すなわち才能なのかもしれない。
「君は君であるために生まれてきたのに、なぜそんなに一生懸命みんなに合わせようとしているんだい?」映画「ロイヤル・セブンティーン」の中で、17歳の主人公のダフネ・レノルズが語る台詞は、示唆に満ちている。
やはり、「好き」なことを「好き」と言うだけで、周りの人に喜びと幸せを与えることができるんだな、と実感したことを。
何年経っても、折に触れて思い出す言葉、というものがある。 心の琴線に触れたその言葉は、時間を越えて何度でもその人を励まし、勇気づけ、癒し、そして喜びを与える。 それは、 ある小説の一節かもしれないし、 ある舞台の中の一シーンの言葉かもしれない…
究極的には。愛を受け取ってもらえたかどうかは、あまり関係がない。愛する対象があるだけで、人は幸せである。それがあるだけで、こころの奥底は、静かで穏やかな凪のようで。倉乃介さんがあって、よかった。
わからなくても、時はいつか満ちるものだよな、と思った。川沿いの木にわずかに残る葉は、やはり燃えるように赤かった。
今日は二十四節気の「大雪」。山々は雪に覆われ、本格的な冬の到来を感じながら、年末年始の準備を始めるころ。一段と寒くなったようで、最高気温が9度と寒い日になった。
お酒を飲んで酩酊してくると、ぼんやりと心地よくなってくる。心も開いてきて、楽しくて笑っていると、いろんなものと「つながっている」ような感覚になってくる。その酩酊状態、よく言えば陶酔感、すべてとつながっている感覚。それがお酒が私に与えてくれ…
霜月の終わり、ジャパンカップ・デーに東京競馬場を訪れた。
お酒を飲まなくなったことで、私が失ったものは、何だろうか。言い換えれば、お酒を飲むことで得られていた恩恵とは、何だろうか。それは、お酒でないと得られないものだろうか。少し、自分と向き合ってみようと思う。
令和元年のジャパンカップが教えてくれたのは、変化することへの覚悟と、尊さだった。変化を、そして、その先にある結果を、恐るることなかれ。
霜月の終わりに、東京は府中市の大國魂(おおくにたま)神社を訪れた。