加藤登紀子さんの珠玉の名曲、「時には昔の話を」に寄せて。
加藤登紀子さんは母がよく聴いていて、実家に何枚かCDが転がっていたことを思い出す。
夜のリビングで、「100万本のバラ」をよく聴いたような気がする。
ご存知、宮崎駿監督のジブリ映画「紅の豚」のエンディングテーマであり、その中に登場するマダム・ジーナの声優を加藤登紀子さんがされていたのは、ズルいと思う。
「ずるい人。いつもそうするのね」
は、主人公・ポルコに対するジーナの名言なのだが。
その台詞を発する表情が、たまらなく魅力的で。
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映画のことについて話し出すと止まらないので、話しを戻すことにする。
もう、イントロのピアノからして、いいよなぁ、と思わせる。
初めてこの歌を聴いたのが、たしか中学生のときに映画館で「紅の豚」を観たときだったと思う。
そのときから歳を重ねるごとに、味わい深くなるようだ。
出だしの登紀子さんの歌声で、その情景がありありと浮かぶようだ。
そして、それは歌詞に綴られた情景そのものではなく、聴き手それぞれが持っている、「なじみのあの店」を想起させる。
それはお店かもしれないし、あるいは地下鉄の駅かもしれないし、街角の風景かもしれない。
けれど、誰にでもそうした「なじみのあの店」があるのだろう。
優れたアーティスト、あるいは芸術家というのは、個別の何かを表現しているように見えて、多くの人の心の奥底の無意識の部分の琴線に触れることができるのだろう。
時代は変われど、若さあふれる情熱、それゆえの不安や怖れといったのもは、変わらないのだろうか。
あの若かりし頃の学生時代を想うと、無性に胸を掻きむしりたくなる。
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「2番になると、テンポの取り方が変わるんだよ」
それこそ、学生時代にいつも一緒にいた友人の言葉を思い出す。
ただ、音楽と麻雀に夢中だった。
「貧しさが明日を運んだ」
このフレーズを聞くと、あの時代を想い出しながら「さて、幸せとは…?」と頬に手を当てながら、もの思いにふけりたくなる。
思い出すだけで、どこか気恥ずかしく、そして胸がきゅっとなる、セピア色の時代。
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話を「紅の豚」に戻す。
マダム・ジーナの店を訪れた、ポルコが食事をするシーン。
マダム・ジーナはポルコに言う。
マルコありがとう、いつもそばにいてくれて。
もうあなただけになっちゃったわね、古い仲間は
このシーンが、たまらなく好きだ。
登紀子さんの歌声とともに、歳を経るごとに味わい深く、そして折にふれて聴きたくなる。
と、書いていて、またあの歌声を聴きたくなった。
そんなセピア色の宝物のような、珠玉の名曲だ。