市内屈指の学生街で送別会だった。
金曜日の夜らしく、店内の喧騒はまるでG1レースの3コーナーのスタンドようだ。
後から隣のテーブルに着いた若い6人組が、いいピッチで杯を開けている。
ふと中座してから戻ってくると、そのテーブルでコールが始まっていた。
そのコールは、学生時代に聞いたそれと何一つ変わっていなかった。
20年前、武蔵小杉の、渋谷の、新宿の、池袋の、安い居酒屋で。
ビッチャーで供される薄いビールと干からびたサラダとポテトフライ、妙に衣が厚い唐揚げとともに聞いたそのコールを思い出して、感傷的になる。
何もかもが希望に満ちあふれているようで、それでいてどこにも行けなかったあの頃。
まるで横一線に広がった直線残り100メートルのように、店の喧騒はピークに達し、紫煙は視界を白く濁らせる。
あの頃、私はどこに行きたかったのだろうか。
いまの私がいる場所を見て、あの頃の私は何と言うのだろうか。
そんな考えてもせんないことが、頭に浮かんでは消えていく。
送別会が終わり店を出ると、雑居ビルの片隅で酔い潰れた若い子を友だちと思わしき子たちが介抱していた。
学生時分、よくあんな風に潰れたな。
いや、社会人になってからもか・・・
思ったよりも暖かい夜、歩いて帰ることにした私の脳裏には、加藤登紀子さんの歌声が響いていた。
道端で眠った こともあったね
どこにも行けない みんなで
お金はなくても 何とか生きてた
貧しさが 明日を運んだ
小さな下宿屋に いく人も押しかけ
朝まで騒いで 眠った
嵐のように毎日が 燃えていた
息がきれるまで走った そうだね
やはり川沿いを歩くと、風は冷たく、首をすくめる。
遠くに見えるビルの灯りが妙に温かい。
滲んで見えるのは、気のせいだろう。