意味なんてなくてもいい。伝える意味などなくても、伝える。何でもないことを、伝える。ただ、そんな単純なことなのかもしれない。それでいいのかもしれない。
「バイバイ。また、あの森で会おうね」再び会えることを信じてやまない息子にとって、別離とは慣れる類いのものでもないのかもしれない。「また、会おうね」私も、そう繰り返した。
人はときに、「痛み」で誰かとつながろうとする。癇癪を起こしたり、ネガティブな感情をぶつけたり、方法はさまざまだ。目に見えるその結果は、影絵に過ぎない。本命は、そこじゃない。
けれど、「かなしい」と「いとしい」は同じ語源のように。秋が来る。冬が来る。春が来る。かなしく、またいとおしい。
人の心の成長は、「依存→自立→相互依存」というプロセスをたどる。これは、個人の心の成長においてもそうであるし、誰かや何かとの関係性においても、同じようなプロセスをたどる。
さて、断酒662日目である。昨日でこのブログも3周年を迎えたが、断酒もまた1年と10か月近くになる。ここで書き始めてからの半分以上が、断酒している期間になるらしい。
たとえ、これぽっちも書く才能がなかったとして。たとえ、どんなに未熟で不出来だったとして。たとえ、多くの人に読まれることがなかったとして。そうだったとしても、ここで書き続けてもいいんだと思います。だって、いま、これを読んでいるあなたがいるの…