今日は久しぶりに好きな音楽についての言葉を。
これまで書いてきたのはパンク・ロックのGreen Day、ヒーリングミュージックのEnya。そして今回は日本の中島みゆきさんです。
この脈絡のなさこそ、私の「適応性」なのかもしれません。
中島みゆき さん
ベストアルバム「大吟醸」
これを書くのにWikipedia先生にいろいろ教えてもらっていたら、1970年代から2000年代まで、4つの年代でシングルチャート1位を獲得した唯一のソロアーティスト、らしい。
変わりゆく時代の中で、絶えずアップデートを繰り返していったことの何よりの証左なんだろうな、と思う。
昔から中島みゆきさんの声が好きだった。
だからもうね、「慟哭」のサビの部分なんて、痺れちゃうわけですよ。「旅人のうた」の野太い歌声に惚れてしまうんですよ。「ファイト!」の神ってるテンションの上げ方に感動してしまうわけですよ。
だからだろうか、一般的な「暗い曲調」というイメージは私にはなくて、沈んだときよりも元気なときに聴きたくなる。
それにしても私は聴く音楽のジャンルに節操がない。
チャゲアスもB’zもミスチルも聴いてきたし、クラシックも好きだし、グリーン・デイでパンクは聴くし、ビートルズは大好きだし、ロッド・スチュワートもいいし・・・何でもありだ。
一つの趣向を深めていける人が羨ましくもあるけれど、この節操のない趣向も、それはそれで資質の一つなのかな。
ストレングス資質の「運命思考」×「適応性」が効いているような気もする。
書いていて思ったのだが、これ、人に関しても同じだと思った。
私には、嫌いな人があまりいない。
こう書くといい人ぶっているようなのだけれど。
苦手な人や尻込みしてしまう人は、確かにいる。けれど、それと嫌いとはまた違うんだよね。
自分に正直になっていい人をやめることができると、ちゃんと自分に合う人とそうでない人の線引きができてくる、と言われることがあるけれど、私の場合はまだそれができていないんだろうか。
ネガティブな感情を切ると、ポジティブな感情も不感症になってしまうように、人を嫌えないと本当に人を愛することはできないんだろうか。
それもそうな気がするし、私の「運命思考」×「適応性」の最強の恩恵のような気もするし、まあどちらでもいいような気がする、薄曇りの金曜日の朝。
2017.10.27
中島みゆきさん、いいですね。
私がその歌声を知ったのは、TVドラマ「家なき子」の主題歌でタイアップされた「空と君との間」だったように思います。その後も「時代」や「糸」など、大好きな歌にたくさん出会いました。
今でも車にCDを積んでいまして、時々握りこぶしつくって運転しながら歌っています。
上の文章を書いたのは1ヶ月半ほど前なのですが、嫌いなものがないと本当に「好き」なものが見つからないのかどうか、いまだによく分かりません。
パンクもヒーリングもクラシックもポップスも好き、ということは節操がないというよりも、ミーハーなだけかもしれませんし、ストレングスファインダーの資質の「適応性」が働いているのかもしれません。
まあいずれにしても、ハードルが低くていろんな音楽を楽しめるのは、幸せなことなのでしょう。「好き」の形を「こうでなきゃダメ!」と制限することはあまり意味のないことのように思えます。
人それぞれに「好き」なものがあって、その関わりかた、表現のしかたもそれぞれの方法があるのでしょう。それを「よい/わるい」「深い/浅い」などの価値判断を入れると、とたんに息苦しくなってしまいますね。
好きなものは好き、でいいのでしょうね。
自分に対しても、周りの人に対しても。
週末も冷え込みますね。
どうぞ、暖かくしてお過ごしください。