2024-10-01から1ヶ月間の記事一覧
自分を深く愛するために、過去の自分を許す、というプロセスがあります。「そうするほかなかったんじゃない?」と、過去の自分を感情的に受け入れることで、そのプロセスはぐっと進むのです。
いまの自分を愛する、受け入れると聞くと、どうしても「妥協じゃないのか?」という疑念が出てきます。ただ、その2つは全く異なるものです。
「起こっていることは、すべて正しいこと」という格言があります。それは、「自分を愛すること」の、究極的な表現の一つでもあるのです。
プロセスに価値を見るということは、結局のところ、自分を愛するということでもあります。そしてそれは、コントロールしようとせずに、いまの自分そのままでいる、ということでもあります。
10月も、後半になりました。時候では「霜降」。朝晩の冷え込みが増し、北の方では霜が降り始めるころでもあります。
プロセスに価値を見ることができると、必要以上に自分を責めたり否定したりすることがなくなります。それは、我が子や後輩を見守るような視点で、自分自身を見てみることでもあります。
11月度の個人カウンセリングを募集いたします。あなたさまのお話をお伺いできますことを、心より楽しみにしております!
問題は、自分にとっての大切なものを教えてくれるものです。そして、それを大切にしていることにこそ、素晴らしい価値があるものです。
私が心理学・カウンセリングを学んだ根本裕幸師匠のお弟子のみなさまが、モニターを募集されていますので、ご案内をさせてください。
誰かを許せないとき、そんな自分を責めてしまいがちです。でも、そもそも許そうとしたからこそ、その葛藤を抱くものです。許そうとしたことに、価値を見てあげてほしいのです。
「手放し」のプロセスの中では、「自立」をゆるめることが必要になります。「自立」の症状でもある完璧主義とコントロール欲、それがプロセスを阻むものだからです。
気づけば、10月も下旬になりました。ようやく秋らしい風が吹き、空にはまだら模様の雲が見える日が増えてきたように思います。
執着が手放せないとき、それでも「プロセスは順調だ」と思ってみることが大切です。そもそも、「手放そう」としたことに、すでに大きな価値があるのですから。
「手放し」のプロセスが進むと、寂しさや空しさを感じることがあります。これは、そのプロセスが順調に進んでいるというサインなんです。
執着と手放しのイメージについて、お伝えします。カチカチに握りしめたままなのが執着であり、その握りしめた手をそっと開くのが「手放し」のイメージです。
執着しているとき、私たちの意識は「いま」にいません。だから、「いま」できることを探し続けることは、執着をゆるめるのに非常に有効です。
どうしても執着が手放せないとき、まず「いまの自分は」手放せないんだ、ということを認める必要があります。その上で、誰かに頼ることが必要になるタイミングでもあります。
「手放し」にいたるプロセスについて、見ていきます。そのプロセスのなかで大切なのは、「手放す」と選択し続ける意志です。
時候は、「寒露」。その字の通り、露が冷たく感じられ、また夜が長くなってくるころになりました。
「許し」とよく似たものに、「手放し」があります。その共通点について、見ていきます。
「許し」には、長い時間がかかるものです。そのプロセス自体を楽しむ、という感覚を持つことができると、「許し」の道は加速していきます。
忘れることは、「許し」のプロセスの一つの到達点です。それが気にならなくなっている自分は、日々何をしているのか、そんなことイメージしてみるのも、「許し」のプロセスを進めるには有効です。
「許し」のプロセスが進むと、軽やかさがでてきます。その軽やかさは、罪悪感を打ち払ってくれるものでもあります。
「許し」は、頭(思考)でするものではありません。損得勘定を越えて「おバカ」になることが、「許し」への近道なんです。
「許し」は、多くのギフトを私たちに与えてくれます。許すことで、私たちははじめて自分の人生の舵を取れるようになるのです。
10月になり、吹く風に秋の涼しさを感じようになってきました。特に、ここのところの朝の空気には、涼しさよりも、少しだけ「ひんやり」とした感がありました。
10月に入り、ようやく気温が下がってきました。それでもまだ、30度を超える日があったりもしますが…そんな神無月の始め、熱田神宮を訪れることができました。
「許し」は、とても大きな恩恵を私たちに与えてくれます。そのなかでも、自分を許すことは、特大の恩恵を与えてくれるものです。
許そうと思っても、許せないこともあるものです。そんなとき、「まずは許せない自分」を許す、という方に目を向けてみることをおすすめします。
「許し」のプロセスは、長距離走のようなものです。早く完璧に許せるようになろうとするよりも、そのプロセスを楽しむくらいでちょうどいいのです。