大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

2024-08-01から1ヶ月間の記事一覧

幸せで満たされているときに、それをするだろうか。

分かりづらい愛の伝え方をする人がいます。なぜ、そうした伝え方をするのかという心理について想像をはたらかせることは、相手の心との間に架け橋をかけることに似ています。

別れは、愛の終わりじゃない。

「癒し」が起こると、一見ネガティブに見えるできごとのなかにも、愛を見つけることができるようになります。別れがあったとしても、それは愛の終わりではないのかもしれません。

「癒し」が起こると、愛を感じられる閾値が下がるので、たくさんの幸せを感じることができる。

受けとれる愛の範囲が広がると、愛の総量が増えるため、たくさんの幸せを感じることができます。私たちはそれを、「癒し」を通じて学んでいくのです。

離れることでしか、愛を伝えられない人もいる。

人それぞれに、愛の伝え方があります。それは、分かりやすいものもあれば、分かりづらい伝え方でしかできない人もいます。たとえば、離れることでしか、愛を伝えられない、といったように。

愛にフォーカスするためには、自分と相手の「愛し方」を知っておく必要がある。

問題よりも、愛にフォーカスすることは、とても大切なことです。そのためには、自分と相手の「愛し方」を知っておく必要があります。

問題となる心理を否定するよりも、そこにいたる愛を見つめることの恩恵。

問題となる心理があったとして、それを否定することは簡単です。けれど、そこにあった愛にフォーカスすることができると、私たち自身にも、周りの大切な人にも、大きな恩恵が生まれるのです。

【受付終了】9月度個人カウンセリングを募集いたします!

9月度の個人カウンセリングを募集いたします。あなたさまのお話をお伺いできますことを、心より楽しみにしております!

暑さも止み、静かに深まっていく季節に、ゆっくりと内省の時間を。

気づけば、8月も下旬。時候では「処暑」、暑さむ止むとされるころ。厳しい暑さのピークを過ぎ、秋の虫の音が聞こえ始めるころです。

「対等性」を持つことと、「神の子」というお話。

「自立」を手放していくには、「対等性」が一つの重要なテーマになります。その「対等性」を示すテーマに、「神の子」という見方があります。

感情を溜め込んでしまうのは、誰かを愛したかったからなのかもしれない。

感情は溜め込むと、ロクなことがありません。ただ、なぜ溜め込んでしまうのだろう?と考えてみると、それは誰かへの愛からではないかという視点で見ることもできるのです。

感情を感じるとは、自分とのつながりをしっかりと感じること。

感情を感じるには、自分とのつながりをしっかりと感じることでもあります。それは、どのようなとき、どのような場所なら、自分が感情を感じやすいかといったように、自分を知っておく必要があるのです。

感情を溜め込むと、それを周りに投影するから、周りとの関係性が悪化してしまう。

感情を溜め込むと、余裕がなくなりますので、相手を気遣ったりすることができなくなります。そして、その溜め込んだ感情を周りに投影したりしますから、結果として周りとの関係性に悪影響を与えてしまうものです。

「感情的理解」をするためには、心に余白をつくっておくことが大切。

「感情的理解」とは、善悪や正しさといった判断ではなく、その人の感情ベースで理解しようとする心のはたらきを指します。ただそれは、自分の心に余裕がないと、できないものです。

空の色が変わるとともに、夏の終わりの寂しさもまた、形を変えて。

風の感じや気温だけでなく、空の色もまた、変わったようです。見上げると、少し透明感を帯びたような色。それは、もう私の大好きな夏の色から、もう少しずつ遠ざかっているような色でした。

自分自身に対してかける言葉が、自己肯定感を育む。

自分自身に対してかける言葉というのは、想像以上に大きな影響力があるものです。その言葉を変えていくことで、自己肯定感を育んでいくことができます。

自分のなかの「NGな部分」を隠して生きることの難しさと弊害について。

「こんな自分はダメだ」と思っている部分があると、どうしてもその自分を隠したくなります。しかし、それを隠して生きることは、いろんな生きづらさを生んでしまうものです。

どんな自分も一緒に生きることができると、「いま」を生きることもできるようになる。

どんな自分でも、ともに生きる。それを決めると、「いま」を生きることができるようにもなります。

「ともに生きる」ことと、自己受容の深い関係。

女性性が育む「ともに生きる」という世界は、自己受容と深い関係があります。それは、どんな自分でも受け入れるという姿勢を、周りの世界に投影したものであるからです。

お盆と誕生日、手を合わせる日。

私事なのですが、私はこの時期が誕生日なのです。お盆と、誕生日。生と死を感じさせるイベントが両方やってくるのが、私にとっての8月という月のようです。

女性性が導く「ともに生きる」世界は、相互依存の入口。

成熟した女性性は、「自立」を癒し、「ともに生きる」という世界に導いてくれます。それはまさに、「相互依存」の世界の入口なんです。

立秋、夏の終わりに夏らしさとは何かを考える日。

日中は「うだるような」という表現がぴったりのような、そんな暑さが続いています。しかし、暦の上では週の半ばに「立秋」を迎え、もう秋に入りました。

女性性が育むのは、「ともに生きる」という世界。

女性性が育むのは、「ともに生きる」という美しい世界です。それは、どんな自分をも受け入れるという、成熟した自己受容でもあります。

女性性と男性性がバランスを取れているとは、自分と仲良くできている状態のこと。

女性性と男性性がバランスを取れているとは、言葉を変えると、自分と仲良くできている状態といえます。そして、やはりそれは女性性がもたらしてくれるものです。

癒された男性性が発揮する力は、とてもカッコいいもの。

傷ついた男性性は、「自立」の象徴でもあるように、さまざまな問題を引き起こします。しかし、女性性によって癒されると、男性性は真実の力を発揮できるようになります。それは、とてもカッコいいものなんですよね。

女性性が開いていくと、男性性もまた成熟するが、順番は必ず女性性が先。

女性性が開いていくと、男性性もまた成熟していきます。ただ、その順番は不可逆で、順番は必ず女性性が先なのです。

「自立」を癒す女性性は、誰のなかにもあるものだから、それをただ開かせるだけ。

傷ついた男性性である「自立」を癒すのは、成熟した女性性です。それは、誰のなかにもあるものです。

「自立」を癒す女性性は、ただそこに咲く花のように。

「自立」を癒すのは、成熟した女性性です。それは、「そこにいるだけで価値がある」という感覚であり、ただ咲く「花」にたとえられます。

大暑の終わり、寂しさやせつなさもまた、生きる理由として。

「まさに盛夏」という天気が続きますね。私の住んでいる名古屋でも、今週は連日37度や38度といった最高気温になる日が続いておりました。

「する」ことの価値と、「ある」ことの価値のバランス。

私たちはどうしても、「する」ことの価値に重きを置きすぎるものです。けれども、「ある」ことにもまた、無限の価値があるのです。

成長してもしていなくても、あなたは何も足りないものなどない完全な存在。

「自分が成長していない」と感じるとき、自分を責めたり、否定したくなります。そうしたときは、自分の持っている価値を、もう一度思い出すことをおすすめします。