大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

2024-09-01から1ヶ月間の記事一覧

自分を深く愛するための、「許し」。

心理学においての「許し」とは、誰かに許可を出すものではありません。それは、自分のためにするものであり、自分を深く愛する行為の一つです。

心地よい季節は、短くなれど。

9月も終わりというのに、30度以上というのは、やはり季節の移ろいというのが、ちょっと違うものになってきている気がします。なんというか、5月にはもう「夏」の暑さを感じたように覚えていますので、一年の半分くらいは「夏」の気温になってしまったのでし…

してはいけないことをしてしまうのもまた、私たちだから。

ダメなことをしてしまったことを責めるよりも、それを許す方が、楽に生きられます。それは、自分にとっても、相手にとっても、です。

自分責めをしないことに注力するよりも、してしまったときの対処法を考えておく方がいい。

禁止や否定をするほどに、私たちの心はそれにとらわれてしまうものです。大切なのは「しないこと」ではなく、「それをしてしまったときの対処法」です。

【受付終了】10月度個人カウンセリングを募集いたします!

10月度の個人カウンセリングを募集いたします。あなたさまのお話をお伺いできますことを、心より楽しみにしております!

「投影」を通じた、自分の感情の気づき方。

自分が何を感じているのかを知るために、「投影」の視点が役に立ちます。この視点を使うことは、実に大きな恩恵を私たちに与えてくれます。

感情を感じることと、そこからどんな行動を選ぶのかは、まったく別のもの。

感情は、ただそのままに流れのままにしてあげるほかありません。けれども、そこからどんな行動を選ぶのかは、別のお話なんです。

【ご案内】星海社新書「アイドルホース列伝 超 1949ー2024」が9月25日に発売です!

以前よりご縁をいただいております、競馬コラム&ニュース ウマフリさまが執筆に参加された書籍が9月25日に発売となります。今回の書籍には、私は校正で参加させていただきました!

秋分を迎えても、まだ感じさせる夏の暑さに。

時候は「秋分」を迎えました。太陽が真東から昇り、真西に沈む日。

自分の感じていることを表現することは、ワガママではない。

自分の感じていることを表現することは、決してワガママなことではありません。それは自分を尊重するために必要なことであり、そのために安全な方法を選ぶことが大切になります。

二塁打、はるかなり。

「結果がすべての世界」立浪和義監督の退任コメントには、悔しさというよりも、諦念が滲んでいたように感じた。

自分自身を尊重するとは、「感じる」ことと「表現する」こと。

自分自身を尊重するとは、どんなことでしょうか。自分に与える、という意識もそうですが、最も根本的なのは「感じる」ことと、それを「表現する」ことです。

相手との「対等性」を築くためには、自分が自分を尊重することに尽きる。

相手との対等な関係性を築きたいと思ったとき、その関係性をコントロールしようとしても、なかなかうまくいきません。「対等性」を築くためには、自分が自分を尊重することに尽きるのです。

手放しのプロセスのなかで求められるのは、相手との「対等性」。

執着を手放すためには、相手との対等性が重要になります。臆病になり過ぎず、かといって傲慢にならず。自分と相手を対等に扱うことが求められるのです。

相手から愛されない怖れとは、自分が愛せない怖れの投影である。

手放しのプロセスでは、相手から愛されない怖れを感じることがあります。その怖れとは、実は自分が相手を愛せない怖れの投影だったりします。それゆえ、どんな怖れであっても、自分が解消していけるものなのです。

白露、残暑と呼ぶにはあまりにも暑く。

時候は、「白露」に入りました。その字のごとく、夜中に冷えた大気が、朝露となって草木に舞い降りるころ。その露が白く光った粒のように見えるのが、その名の由来とされます。

手放そうとしているからこそ、怖さもまた感じるもの。

執着を手放そうとするとき、怖さを感じるものです。しかし、それは手放そうとしているからこそ感じるものであり、手放しのプロセスを歩んでいる証拠でもあります。

執着を手放すとは、相互依存へといたる道。

執着を手放すという心のはたらきは、自立から相互依存にいたるステップに似ています。それは、自分にも相手にも自由を与えることのできるプロセスです。

「手放し」を阻むのは、コントロールしたがる自立の癖。

執着は手放しましょう、とよく言われます。しかし、自立のコントロールしたがる癖があると、なかなか難しかったりします。だから、執着を手放すには、自己肯定感を上げることが欠かせません。

「執着」の処方箋は手放すことであり、それは好きなまま距離を空けること。

「執着」をやめるには、「手放し」がその処方箋になります。そして「手放し」とは、その対象を好きなままに、距離を空けることで、自分自身に自由を与える心のはたらきです。

執着を手放すためには、他の選択肢があることを認めることがまず一歩目。

「執着」とは、選択肢を持たない状態を指します。それゆえ、それ以外に選択肢があることを認めることが、「執着」を手放す一歩目になるのです。

自分を肯定することができると、望まない現実の見方も変わる。

自分を肯定することができると、執着が薄れていきます。そうすると、自分が望まないできごとが起こったとしても、その現実の見方が変わっていくのです。

長月の熱田さん、ツクツクボウシの鳴くころに。

長月、9月。徐々に秋の装いが見られるようになるころ、また熱田さんを訪れることができました。

わたしの身体は、わたしに与えられたのもであり、わたしだけのものではないもの。

自分の身体をどう扱うかは、自己愛、自己受容と密接な関係があります。自分だけの所有物ではないという意識を持つと、少し扱い方が変わっていきます。

もし、親しい友人が自分と同じ状況に置かれていたとしたら、どんな言葉をかけてあげたいだろう?

もし仮に、親しい友人が自分と同じ状況にいたとしたら、どんな言葉をかけてあげたいでしょうか。それが、自分自身が必要な言葉です。

感情は理解されないと感じると抑圧してしまうから、まず自分が理解してあげる。

私たちは理解されないと感じると、その感情を抑圧してしまうものです。まずは自分が自分を理解してあげることが大切なのですが、そのためには味方でいるという意思表示をしてあげることです。

自分に余裕をつくるためには、まず自分だけのための時間を確保してみる。

自分に余裕をつくるためには、自分の感情を感じることが大切になります。そのためには、まず自分だけのための時間を確保してみることがおすすめです。

「感情的理解」をするためには、自分に余裕をつくることがまず必要なこと。

感情的理解を進めるためには、自分に余裕をつくることが第一に必要なことです。そうすることで初めて、相手の感情を感じとるセンサーがはたらくようになるからです。

感情的理解が、相手との間に架け橋をかけてくれる。

私たちは、常に自分の価値観を相手に「投影」してしまうものです。それを崩してくれるのが、感情的理解であり、それは相手との間に架け橋をかけてくれるものでもあります。

天地始粛、長月のはじまり。

早いもので、今日から9月に入りました。七十二候では「天地始粛(てんちはじめてさむし)」。暑さがようやく静まり、秋の気配を強く感じさせるころです。