大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

2024-09-01から1ヶ月間の記事一覧

相手から愛されない怖れとは、自分が愛せない怖れの投影である。

手放しのプロセスでは、相手から愛されない怖れを感じることがあります。その怖れとは、実は自分が相手を愛せない怖れの投影だったりします。それゆえ、どんな怖れであっても、自分が解消していけるものなのです。

白露、残暑と呼ぶにはあまりにも暑く。

時候は、「白露」に入りました。その字のごとく、夜中に冷えた大気が、朝露となって草木に舞い降りるころ。その露が白く光った粒のように見えるのが、その名の由来とされます。

手放そうとしているからこそ、怖さもまた感じるもの。

執着を手放そうとするとき、怖さを感じるものです。しかし、それは手放そうとしているからこそ感じるものであり、手放しのプロセスを歩んでいる証拠でもあります。

執着を手放すとは、相互依存へといたる道。

執着を手放すという心のはたらきは、自立から相互依存にいたるステップに似ています。それは、自分にも相手にも自由を与えることのできるプロセスです。

「手放し」を阻むのは、コントロールしたがる自立の癖。

執着は手放しましょう、とよく言われます。しかし、自立のコントロールしたがる癖があると、なかなか難しかったりします。だから、執着を手放すには、自己肯定感を上げることが欠かせません。

「執着」の処方箋は手放すことであり、それは好きなまま距離を空けること。

「執着」をやめるには、「手放し」がその処方箋になります。そして「手放し」とは、その対象を好きなままに、距離を空けることで、自分自身に自由を与える心のはたらきです。

執着を手放すためには、他の選択肢があることを認めることがまず一歩目。

「執着」とは、選択肢を持たない状態を指します。それゆえ、それ以外に選択肢があることを認めることが、「執着」を手放す一歩目になるのです。

自分を肯定することができると、望まない現実の見方も変わる。

自分を肯定することができると、執着が薄れていきます。そうすると、自分が望まないできごとが起こったとしても、その現実の見方が変わっていくのです。

長月の熱田さん、ツクツクボウシの鳴くころに。

長月、9月。徐々に秋の装いが見られるようになるころ、また熱田さんを訪れることができました。

わたしの身体は、わたしに与えられたのもであり、わたしだけのものではないもの。

自分の身体をどう扱うかは、自己愛、自己受容と密接な関係があります。自分だけの所有物ではないという意識を持つと、少し扱い方が変わっていきます。

もし、親しい友人が自分と同じ状況に置かれていたとしたら、どんな言葉をかけてあげたいだろう?

もし仮に、親しい友人が自分と同じ状況にいたとしたら、どんな言葉をかけてあげたいでしょうか。それが、自分自身が必要な言葉です。

感情は理解されないと感じると抑圧してしまうから、まず自分が理解してあげる。

私たちは理解されないと感じると、その感情を抑圧してしまうものです。まずは自分が自分を理解してあげることが大切なのですが、そのためには味方でいるという意思表示をしてあげることです。

自分に余裕をつくるためには、まず自分だけのための時間を確保してみる。

自分に余裕をつくるためには、自分の感情を感じることが大切になります。そのためには、まず自分だけのための時間を確保してみることがおすすめです。

「感情的理解」をするためには、自分に余裕をつくることがまず必要なこと。

感情的理解を進めるためには、自分に余裕をつくることが第一に必要なことです。そうすることで初めて、相手の感情を感じとるセンサーがはたらくようになるからです。

感情的理解が、相手との間に架け橋をかけてくれる。

私たちは、常に自分の価値観を相手に「投影」してしまうものです。それを崩してくれるのが、感情的理解であり、それは相手との間に架け橋をかけてくれるものでもあります。

天地始粛、長月のはじまり。

早いもので、今日から9月に入りました。七十二候では「天地始粛(てんちはじめてさむし)」。暑さがようやく静まり、秋の気配を強く感じさせるころです。