大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

深まりゆく秋、目にはさやかに見えねども。

気づけば、10月も下旬になりました。

逆算すると、今年もあと2か月ちょっとなのですね…

いや、なんかほんとに早いものです笑

ようやく秋らしい風が吹き、空にはまだら模様の雲が見える日が増えてきたように思います。

私の住んでいる名古屋では、今週も28度とか、29度とか、日中はちょっと暑いな…と感じる日がありました。

ただ、今日は最高気温が21度と、急に秋らしい冷え込みというか、ひんやりした感じになりました。

変わらないように見えて、気づいたときには、大きく変わっている。

季節の移ろいは、いつもいろんな気づきを促してくれるようです。

 

時候は、「寒露」の末。

七十二候では、「蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)」。

キリギリスが家の戸口で鳴くころとされますが、この時候でいわれるキリギリスは、コオロギの一種だとされるようです。

コオロギなので、鈴のような鳴き声なのでしょうね。

やはり、鈴を転がしたような虫の音を聞くと、秋を感じるものです。

そんなキリギリス、コオロギが戸口にあって、その声を聞かせてくれる。

姿は見えなくても、音でその存在を、そして秋を感じることができる。

なんとも、秋を感じさせる、私の好きな時候の一つです。

 

目には見えなくても、感じることができる。

それを愛でるのは、実に趣き深いものです。

かの有名な百人一首のなかの一句、

秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども

風の音にぞ 驚かれぬる

もまた、「目には見えないけれど」という情感を詠ったものでした。

ちなみに、この歌の詞書には「秋立つ日詠める」とありますから、立秋の日に詠まれたものとされています。

立秋というと、いまの暦でいうと8月8日ごろ。

今年のそのころは、まだまだ酷暑に辟易としていたような気がしますので、やはり1000年も経つと気候が変わるのでしょうか。

それとも、酷暑のなかにも、秋を感じる瞬間があるのが、立秋のころなのでしょうか。

 

いずれにしても。

この「目には見えないけれど」、季節を感じるという心が、なんとも美しいと思うのです。

私の好きな七十二候の名に、「熊蟄穴(くまあなにこもる)」や「虹蔵不見(にじかくれてみえず)」があります。

いずれも、「目には見えない」ものに心を寄せる、美しい時候です。

クマが巣穴にこもるのを見ることもできませんし、乾燥した季節に虹を見ることもできませんから。

とかく、現代に生きる私たちは、視覚情報に重きを置きがちのように思います。

スマートフォンを、四六時中眺めていますしね。

だからこそ。

「目にはさやかにみえねども」という感性を、大切にしたいものです。

 

さて、徐々に秋も深まってきました。

目には見えないもののなかにも、秋を探してみてはいかがでしょうか。

今日もまた、どうぞご自愛くださいませ。