2024-05-01から1ヶ月間の記事一覧
自分がダメだと思っている、自分を責めていること。それはもしかしたら、世界中のなかで、自分だけが責めているのかもしれません。
周りからの好意や愛を受けとれないとき、私たちは罪悪感を感じます。その「受けとれないことの罪」よりも、「それでも愛されている」ことに、フォーカスしたいものです。
時候は、「立夏」から「小満」へ。夏、立てる時候から、天地にあらゆる生命が満ち始めるという、節気へ。ひと雨ごとに、気温は高くなり、草木の緑も力強さを増していく時候です。
自立が極まると、自分に愛を差し向けてくれた人に対して、攻撃的な態度を取ってしまったりします。その罪悪感は強烈ですが、それでも、自分を責めるにはあたらない、というお話をさせていただきます。
自立の人が抱く罪悪感のなかでも、非常に大きいのが「味方討ち」の罪悪感です。その心理と、受けとれない自分をどう扱っていくか、というテーマをお伝えします。
コントロールは「自立」の典型的な症状ですが、その最大の問題は、「愛が受けとれなくなること」です。コントロールするよりも、それを手放して、委ねていくことが、豊かさを受けとるカギになります。
心理学を使うことで、相手やできごとをコントロールしたくなることがあります。そのコントロールが叶わないと、とても苦しいのですが、それは流れに身を委ねるチャンスでもあります。
心理学を学ぶのは、誰かの心を覗いたり、他人をコントロールするためではありません。そうではなくて、自分の心を磨くために使うとき、心理学の知識は黄金の輝きを放ちます。
「信頼」ができれば、相手やものごとが変わってくれるはず。そんな風に考えてしまいがちですが、「信頼」とは誰かをコントロールするためではなく、自分自身のためにするものです。
薫風、新緑の季節。着るものも、そろそろ半袖を引っ張り出すような時期。そんな5月に、熱田神宮を参拝することができました。
神宮球場を訪れるのは、いつぶりだっただろうかと、スマホで前回の訪問を調べてみたら、25年ぶりだった。なにしろ、前回訪れたのは、ドラゴンズが20世紀最後にリーグ優勝を決めた試合だから、分かりやすい。
「信頼」ができているとき、私たちは相手の動向や結果へのこだわりが薄れます。ここに無い何かを求めるよりも、自分がいまここにいることに、深い喜びを感じられるようになります。そんな「信頼」のイメージを、お伝えします。
自分とのつながりが切れていると、なかなか自分や相手や世界を「信頼」することができません。そして、自分とのつながりを取り戻すためには、自分の感じていることを大切に扱う必要があります。
「期待」したり「心配」したり、相手の動向に自分の心が揺れるとき。そんなときは、自分の愛とつながることができると、心は落ち着きを取り戻していきます。
「期待」も「心配」もしてしまうのが、私たちです。けれども、その奥にある愛とつながることができると、それらを「信頼」に変えていくことができます。
「期待」も「信頼」も、私たちの心のなかには両方あるものです。そのなかでも、「信頼」を増やしていくための考え方について、お伝えします。
暦の上では、夏。気温もぐんぐんと上り、生命が満ちていくのを感じられる時期です。しかし、夏は満ちることよりも、終わりゆくことへのセンチメンタルを、想起させるのです。
「信頼」と似て非なるものに「期待」があります。その二つには、自分とつながっているのか、現実と向き合えているのか、という違いがあります。
「信頼」と「祈り」は似ています。どちらも、自分に主体性があり、裏切られることはないからです。
「祈り」とは、その対象に想いを寄せ、愛を贈ることを指します。それは、結果を期待するのではなく、非指示的なものであり、それゆえに自分自身もまた幸せを感じることができる心のはたらきです。
誰かの幸せを祈るとき、私たちはとても大きな幸せを感じることができます。「許し」や「手放し」は、その境地に私たちを導いてくれるものです。