漫画はいいですね。私も大好きです。
今は気になった作品を単行本で読むくらいですが、以前は週刊誌を何誌も同時進行で読んでおりました。
あれはあれで記憶力が鍛えられていたような気がしますが・・・
今日は私の好きな漫画にまつわる言の葉はいかがでしょうか。
漫画が好きだ。
学生時代から溜め込んだ漫画と文庫本は本棚などには収まるはずもなく、とりあえず詰め込んだ段ボールを平積みにして、床が抜けるのではないかという、いらぬ心配をしていたものだった。
転居を機に、読みたくなったら漫画喫茶に行けばいいと半ば無理やり言い聞かせて、本棚に収まるもの以外は処分してしまったが、「医龍」は数少ない残した漫画のうちの一つだった。
ストーリーも絵柄も好きだったが、キャラクターひとりひとりに光と影があり、それが魅力的で単行本の発刊を心待ちにしていた記憶がある。
「思い出せよ。成長したから信じたんじゃない。
成長することを、信じたんだ。」
助教授・加藤が教授選挙の命運を賭けたチームバチスタのメンバーに研修医・伊集院を引き入れるかどうか、逡巡した際に朝田が言った台詞が好きだ。
私はずっと自分が成長したから、あるいは理想とする姿になったから、自信がつくものだと思っていたけれど、そうとも言えないみたいだ。
変わろうとすることを、成長しようとしている自分を、信じてあげる。
自分では変わっていないと思い込んでいても、その根底にあるベクトルの転換は大きな大きな変化なのだと思う。たとえ今どの座標軸にいたとしても、もうそれ以上y軸を掘ることはない。
そのベクトルの先の矢印が向く方向を変えたら、あとは日にち薬。もうその先。どんどんよくなるしかないようね。
この「医龍」もテレビドラマになって、何シリーズか放映されてましたね。なかなかテレビドラマの方は見られておりませんが、漫画の方はいろんな含蓄深い言葉があふれてます。
登場人物がそれぞれ悩み、嘆き、闇を抱える中で紡ぎだすドラマは読みごたえがあります。それは天才外科医の主人公・朝田しかり、不倶戴天の敵役と思われた野口や霧島しかり。霧島が自らの抱える闇と向き合った際に、朝田への慕情と好意に気付くシーンなどは何回読んでも落涙します。
何かを信じるとは、条件付きではなくて、そのままの状態を信じること。それはとりもなおさず、信じるのはその対象ではなく、自分自身なのかもしれません。読んでいて、そんなことを考えさせられます。
ぜひまだご覧になっておられませんでしたら、秋の夜長にいかがでしょうか。