心理学においての「信頼」とは、相手の価値を見続けることであり、愛することの一部です。
そのため、たとえ望まない結果が出たとしても、失望したり、落胆したりすることはありません。
「期待」や「心配」との違いや、自分の価値と向き合う必要があることをお伝えします。
名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。
1.「信頼」はすべてを癒す
「信頼」とは心の力をあなたのために使うことです。
どんな問題をかかえていたとしても、信頼をもつことによってそれが癒されはじめます。
なぜかというと、どんな問題も信頼が欠けていることのしるしだからです。
問題にあなたの「信頼」を送りましょう。
あなたの心の力を使ってください。
心はおのずと解決を探しだします。
もう問題だけで頭がいっぱいになってしまうことがないように、問題が解決しているところを見たり、感じとったり、聞いてみましょう。
信頼こそ答えなのです。
そして信頼はすべてを癒します。
「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.183
2.「信頼」は裏切らることはない
今日のテーマは、「信頼」です。
「信頼はすべてを癒す」、素敵な言葉です。
「信頼」とは、相手の価値を見続けること
「信頼」というと、一般的にもポジティブなイメージがあります。
「あいつのことを信頼して、プロジェクトを任せている」
「銀行から信頼があるから、お金を借りることができる」
「連絡が来ないけれど、あの人のことを信頼している」
…などなど、使われるシチュエーションを考えてみても、そうですよね。
心理学においての「信頼」もまた、ポジティブな意味があります。
その相手の持つ価値や魅力、可能性を見続けることであり、それは愛する行為の一部であると言えます。
さて、一般的な「信頼」の意味と、心理学でいうところの「信頼」で、大きく違うのは、その反対語を考えたときに、明確になります。
先ほど挙げた例の「信頼」でいえば、その結果が伴わなかったときの反応は、どうでしょうか。
「信頼して任せたのに、プロジェクトは失敗に終わってしまった」
「信頼していたのに、返済が滞ってしまっている」
「待てど暮らせど、返信がまったく来ない」
どうも、私たちはそうした自分が望まない状況になったときに、「相手に裏切られた」という気分になることがあります。
しかし、心理学的な意味での「信頼」は、そうではありません。
相手に対して、価値や才能、魅力を見づけることであり、そのプロセス全体を信じることです。
そこには、自分の欲求や期待が入っていないので、どんな結果が出ようとも、それを受け止め、その上で信頼し続けることができます。
「信頼は裏切られることはない」
そういう格言があるように、相手の可能性を見続けることを指します。
どのような結果が起こっても、それもプロセスの一部だと信じ続けること。
心理学的な意味での「信頼」とは、そんなニュアンスがあります。
「信頼」と「期待」・「心配」の違い
さて、「信頼」と見た目は似ているものに、「期待」があります。
「期待」も、一般的にはポジティブなイメージがありますが、心理学の上では、少し違います。
「信頼は裏切られることはないが、期待は裏切られる」
そういった格言があります。
「信頼」は、その根底に「愛」があります。
先ほど書いたように、たとえ望まない結果が出たとしても、相手の価値を見続け、「信頼」することをやめることはありません。
しかし、「期待」は、その裏側に「怖れ」があります。
「こうなったらイヤだな」、「こうならないといいな」という、不安な気持ち。
それを、「期待」することで隠している。
そうすることで、ものごとの良い面、ポジティブな面だけを見ようとするわけです。
だから、望まない結果が出たときに、失望するし、落胆するし、裏切られた、期待していたのに、と嘆きたくなるわけです。
この反対の心の動きとして、「心配」があります。
「心配」は、「期待」の逆に、ものごとの悪い面、ネガティブな面ばかりを想像して、怖れている状態です。
「あいつに任せたはいいけれど、プロフェクトがうまくいかなかったらどうしよう」
…などと、考えてしまうことですね。
望まない結果が出たときに、「あぁ、やっぱりそうなったか」と言えるように、予防線を張っているともいえます。
「期待」も「心配」も、自分の心の動きだけに目をとらわれてしまっている行為です。
それは、ある意味で傲慢だとも言えるのかもしれません。
「信頼」は、そうではありません。
自分の心の動きのポジティブな面、ネガティブな面を両方受け入れた上で、相手の価値を見続ける行為です。
このように、心理学的な意味での「信頼」、「期待」、「心配」は、一般的な語義と少し違うよ、ということをお伝えできましたら、幸いです。
3.相手の価値の中に、自分自身を見る
さて、ここまで「信頼」の心理学的な意味を見てきました。
その上で、引用文に戻りたいと思います。
「信頼」とは心の力をあなたのために使うことです。
「信頼」とは、心の力を自分のために使うことだと、一番最初に述べています。
先ほど、「信頼」とは、相手の価値を見続けること、と書きましたが、それと矛盾している?と感じられるかもしれません。
心理学は、ああいえばこういう学、と言われるくらいですから笑
けれども、矛盾しているわけではありません。
相手の価値を見続けることとは、すなわち自分の価値を信じ続けることに、他なりません。
私たちは、よく「あいつのことが信頼できなくなった」と言ったりします。
けれども、実はそれは「あの人のことを信頼する自分を、信じられなくなった」と言っているのと、同じなんですよね。
結局のところ、相手を信じられるかどうかは、自分を信じられるかどうかによるわけです。
「信頼」とは、相手の価値を見続けること。
それは、自分の価値を信じ続けることと、同じ意味です。
これは、与えることと受けとること、あるいは愛することと愛されることが、同時に起こることと似ています。
誰かのことを深く「信頼」しようとするとき、私たちは自分の心の闇と向き合うことになります。
その闇を受け入れ、それでも、と一歩前に出ようとするとき、あなたの「信頼」は強く、光を帯びます。
そのとき、一段と深く自分自身を「信頼」できるようになっています。
逆もまた、しかりです。
自分と向き合い、自分の価値を信じれば信じるほどに、相手の価値も容易に信じることができるようになる。
引用文の「信頼とは、心の力をあなたのために使うこと」とは、深い含蓄がありますよね。
面白いものですよね、心の世界は。
今日は、「信頼」の心理学的な意味について、お伝えしました。
「信頼」はとても重要な心の動きなので、これから何度も出てくることもあるかと思いますし、実際にそういう場面に出くわすことも多いかと思います。
ご参考にしていただけましたら、幸いです。
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