大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「疑い」の罠から抜けだすには、「与える」という意識を持つこと。

「疑い」の心理に陥ると、私たちは探偵にでもなったかのように、その証拠探しに明け暮れて、それで消耗しきってしまいます。

「疑い」とは自分自身を信じられないことの投影なのですが、それを手放していくためには「与える」ことを意識することが大切なようです。

名著「傷つくならば、それは「愛」ではない」(チャック・スペザーノ博士:著、大空夢湧子:訳、VOICE:出版)の一節から。

1.疑いは、自分自身をはめるための罠

「疑い」は、エゴがしかける最大の罠のひとつです。

それはあなたを前に進ませないよう、次の一歩を踏み出させないようにするためのものです。

より高いレベルの意識や流れに入る準備ができたとたん、疑いがあなたを襲います。

これがエゴの最大の罠なのです。

 

そして、多くの人がパートナーシップに疑いを抱くようになります。

この人は自分にとって真実のパートナーなのだろうか、という疑いで消耗してしまうのです。

でも、新しいレベルのコミットメントを勝ちとるのは簡単です。

それはリーダーシップの原則にしたがって、自分自身に「私の助けを必要としているのはだれだろう」とたずねることです。

 

その人にこたえてあげるとき、疑いが消えはじめます。

なぜなら疑いとは、あなたをちぢこまらせ、助けを求める声を聞かせないためのものだからです。

だれかに手をさしのべたとき、あなたは自然に流れを動かしたのです。

その瞬間にすべての疑いから抜けだすことはできなかったとしても、少なくともひとつの層を抜けることになります。

 

疑いは罠だということを知り、それを使って自分をとめないようにしましょう。

 

「傷つくならば、それは「愛」ではない」 p.455

f:id:kappou_oosaki:20220103095718j:plain

2.「疑う」ことの心理

今日のテーマは、「疑う」でしょうか。

「疑う」ことの心理と弊害、そして「疑う」ことを手放すためのヒントについて、お伝えしていきます。

ほんとうにこの人でいいんだろうか…?

何かを「疑う」。誰かを「疑う」。

そうした「疑い」の目を向けるとき、私たちは立ち止まり、身動きが取れなくなります。

パートナーシップや仕事、あるいはプライベートな人間関係など、さまざまなところで「疑い」の心理が出てくることがあります。

「ほんとうに、この人でいいんだろうか…?」

「ウチの会社、この先大丈夫かな…」

「この取引先の提案は、信頼できるのだろうか」

…などなど、いろんな場面で私たちは「疑い」を抱いてしまうことがあります。

そうした「疑い」の目を向けてしまうと、私たちは前に進むことを忘れて、証拠探しをします。

しかも、なぜかその「疑い」が正しいことを証明してしまうような、証拠を探してしまうものです。

「もう浮気なんてしないから」というパートナーを信じたいのに、なぜか浮気の証拠探しをしてしまったり。

きっと大丈夫だと言い聞かせつつも、会社の数字を探ってみたり。

信頼しようと言いいながら、その取引先の過去のトラブルを調べてみたり。

「疑い」の念を持つと、私たちは探偵にでもなったかのように、その証拠探しに明け暮れて、それで消耗しきってしまいます。

それによって、次の一歩を踏みだす力もなくなってしまうようです。

「疑う」のは、自分自身が信じられないから

こうした「疑い」の心理は、私たちをその場に縛りつけてしまうようです。

しかし、それは見方を変えると、私たちが前に進もうとするときほど、「疑う」心理が湧いてくる、と見ることもできます。

パートナーシップにせよ、会社やプライベートの人間関係にせよ、新たな関係性に入ろうとするときほど、こうした「疑い」が出てくるものです。

だから、あまり「疑う」ことが一概に悪いことだ、とも言いきれないわけです。

だから、「疑う」心理が出てきたときは、こう聞かれているのかもしれません。

「どうする?疑う?それとも、信じる?」

「ここにとどまる?それとも、一歩前に踏みだす?」

信じること、可能性を信じて前に踏みだすことが怖く感じるほど、「疑う」方向に心が向いてしまいます。

何を信じるのが怖いのか?

やはり、自分自身、なのでしょう。

パートナー、会社、他の誰かを「疑う」とき、私たちは自分自身を疑っています。

自分自身を信頼せず、疑ってしまっているだけに、それを外の世界に映し出しているわけです。

この自分自身のことを信じるのは、私たちにとって何よりも怖いものです。

自分の光、才能、魅力、価値。

そうしたものを受けとるのは、ほんとうに怖いように。

だから、「疑う」という方向に、心の力を使ってしまうわけです。

これが、「疑う」ことの心理です。

疑っているあいだ、私たちは相手の落ち度をずっと探し続けます。

そうすると、相手との関係性がよくなるわけもありません。

どんなに小さなほころびでも、「それ見たことか!」とあげつらってしまいたくなります。

そのほころびの他に、とんでもなく大きな愛を与えられていたとしても、受けとるどころか、それに気づかないでいたりします。

かくも、「疑う」という心理は、私たちの心と、周りとの関係を蝕んでしまうようです。

3.与える、与える、与える

自分の価値を見るためには「与える」こと

「疑う」心理は、結局のところ、自分自身を信じられないことから湧き出てくる。

何を信じられないかといえば、自分の可能性であったり、ビジョンであったりするわけです。

それならば自分を信じましょう、ということにはなりますが、じゃあどうやって?となりますよね笑

それこそ、自分を愛するという、また永遠のテーマになってしまうわけです笑

自分を信じる、自分を愛するための方法は、それこそ無限にあると思いますが、今日は引用文に沿った方法を、お伝えしていきたいと思います。

それは、「与える」ことを意識する、ということです。

「なんだ、そんなことか」と思われましたでしょうか笑

けれども、それは本当なんです。

「疑う」心理にはまってしまったとき、私たちの心は縮こまります。

相手を疑い、自分を疑い、そして引きこもろうとします。

その疑っていることを証明する事実を探し出しては、悲劇のヒーロー、ヒロインになろうとしたりします。

そうした状態から抜け出るために必要なのは、自分から「与える」ことを意識することです。

「ある」という前提で探してみると

「自分の助けを必要としている人は、誰だろう」

引用文にある問いかけをしてみてもいいですし、自分が与えられるものは何だろう、と考えてみることも有効です。

「そんな人はいない」「与えられるものなんてない」、なんて思わないでくださいね。

「ある」という前提で探す、というのがポイントです。

誰にでも、どんな状況でも。

与えられるものが、必ずあります。

もしかしたらそれは、ほんの小さなことに感じるかもしれません。

その人に想いを馳せることや、あるいは、そこにいる、というだけのことかもしれません。

けれども、必ず何かは「ある」わけです。

それを、「与える」という意識でやってみること。

それをしているうちは、「疑う」ことに心が囚われることが少なくなります。

相手を、自分を疑いたくなったときは、
与える、与える、与える。

ぜひ、意識してみてください。

変わる何かが、きっとありますから。

 

今日は、「疑う」という心理と、その手放し方のヒントについて考えてみました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

〇大嵜直人のカウンセリングの詳細・お申込みはこちらからどうぞ。

1月度の個人カウンセリングは残1枠となります。

〇カウンセリングのご感想のまとめはこちら。