「手放し」とは、一直線に進むのではなく、行っては戻り、戻っては行ってを繰り返しながら進んでいくものです。
そうした自分の心のゆらぎを許せると、一層「手放し」は進んでいきます。
1.「手放し」とその恩恵
「執着」と「手放し」というテーマを、お伝えしておりました。
何かに「執着」しているとき、私たちの心は不自由さや息苦しさを感じます。
別れた恋人、失敗した過去、仕事やお金、あるいは理想の自分。
さまざまな対象に私たちは「執着」してしまうものです。
「執着」とは、ただ一つの対象を、ぎゅっと握りしめ続けている状態といえます。
いわば選択肢が無い状態であり、両手を握りしめてしまっているので、新たに何かつかむこともできないわけです。
「手放し」とは、そうした「執着」を癒していくことのできる心のありようです。
自分自身に選択肢を与え、自分に自由を与えること。
それは、握りしめた手をそっとほどいていくようなイメージです。
それゆえ、「手放し」に必要なのは、強固な意志というよりも、柳のようなしなやかさである、とも以前にお伝えしました。
「手放す」ために必要なのは、強固な意志というよりは、柳のようなしなやかさ。 - 大嵜直人のブログ
その「手放し」の大きな恩恵は、その対象との関係性を、過去のものにできることです。
過去を過去とすることで、私たちは「いま、ここ」に意識を向けることができるようになります。
「いま、ここ」に生きる。
そうすることで、私たちは幸せを感じることもできますし、「執着」していた相手の幸せを願ったりすることができるようになります。
2.人の心はまだら模様のように
さて、こうした「手放し」ですが、なかなか一朝一夕にはできないものです。
頭で「手放そう」と決めても、なかなか心がついてこなかったりしますから。
「でも、やっぱり忘れられない…」とか、「それでも、この仕事じゃないと」といった具合に。
心が納得して、肚落ちして、「手放す」と決めるのには、雨が地中に浸み込んでいくように、それなりの時間がかかるのでしょう。
だから、「手放し」という心のはたらきを知って、すぐにそれができなかったとしても、自分を責めないでください。
もっと言えば、人の心は「執着」か「手放し」か、といったように、すっぱりきれいには分かれないものです。
8割執着しているけれど、2割は手放せている、といったように。
感情もそうですが、私たちの心の内面は、まだら模様のように、いろんなものが混ざりあっていたりします。
白か黒か、ではなく、灰色のグラデーションのような。
そうした曖昧さを、自分に許すことが大切です。
どうしても、「執着」がしんどいとき、そこから早く抜け出そうとして、「手放したい!」と強く決めたくなります。
けれど、それは新しく握りしめるものを探していることでもあり、余計に苦しくなったりします。
「手放したいけれど、まだ心がそこまで追いつかない」
そんな状態が続く時間も、必ずあります。
大切なのは、そこで「手放せない」と自分を責めないことです。
あぁ、「手放し」というありようを知って、そうしたいと思っているけれど、急にはできない自分もいるんだな。
そんな風に、揺れる自分を、受け入れてあげること。
「手放し」のプロセスでは、そんな時間も必要になります。
3.「手放し」も行ては戻りつつ進むもの
「手放し」のプロセスは、一直線に進むものではありません。
寄せては返す波のように、行っては戻り、戻っては進んで、といった時間を繰り返すことが多いものです。
手放せたな、と思った翌日に、また執着がぶり返してしんどくなったり。
でも、それでいいんです。
いや、しんどいはしんどいので、よくはないんでしょうけれども笑
ただ、そのぶり返してしんどいのも含めて、プロセスの一部です。
すぐに手放すことができれば、それはそれでよし。
たとえ、すぐにそこに至らなくても、執着がぶり返してしまったりしても、その自分を許していくことが、結果的には手放しに近づいていくものです。
なかなか手放せない、ぶり返してしまう自分を、許す。
そんな表現も、できるでしょうか。
「手放し」とは、寄せては返す波のように、進むもの。
ぜひ、「手放し」のプロセスにおいては、頭に入れておきたいものです。
今日は、「手放し」は、寄せては返す波のように進むもの、というテーマにしてお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
〇大嵜直人のカウンセリングの詳細・お申込みはこちらからどうぞ。
※ただいま5月度の個人カウンセリングを募集中となります。
〇カウンセリングのご感想のまとめはこちら。