せっかくの3連休ですが、台風18号が近づき大荒れの空模様ですね。
不思議と「18号」を冠する台風は大型で上陸する台風が多いような気がするのですが、気のせいでしょうか。発生順に番号がつけられる都合上、上陸する機会の多いこの時期に発生する台風の番号がそのあたりなのでしょうね。
さてそんな中、お越し頂きましてありがとうございます。
今日は信じることをテーマにした、サラブレッドのお話しを。
バブルガムフェローが1996年の天皇賞・秋を制したその日に、調教師・藤沢和雄氏と主戦・岡部幸雄騎手の姿は東京競馬場になかった。
彼らはその前日にアメリカのダートG1の最高峰、BCクラシックへタイキブリザードを送り出すために、遠く離れたトロントの血を踏んでいたからだ。
前人未到の世界の頂点への挑戦の結果は、13頭立の13着。大差負けだった・
翌1997年、日本に戻ったタイキブリザードは東京のマイルG1、安田記念を制する。その勲章を手に、同年秋もアメリカへ渡りBCクラシックへ捲土重来したが、9頭立ての6着。同年末、夢半ばで引退。
翌1997年、日本に戻ったタイキブリザードは東京のマイルG1、安田記念を制する。その勲章を手に、同年秋もアメリカへ渡りBCクラシックへ捲土重来したが、9頭立ての6着。同年末、夢半ばで引退。
師がアメリカで起こそうとした大吹雪は、にわかに潰えたかに見えた。
けれどその翌年、同じ藤沢調教師=岡部騎手=タイキファームのチームが成し遂げたのは、タイキシャトルでフランス伝統のG1、ジャック・ル・マロワ賞を先頭で駆け抜ける偉業だった。真夏のフランスの濃い芝に、ぴかぴかの鹿毛の馬体と薄い緑の勝負服がよく映えていた。
日本の馬では、海外のG1レースは勝てない。そんな常識や思い込みの壁を壊したのは、タイキブリザードの実績よりも可能性を信じて世界最高峰に挑んだファーストペンギン・スピリット。そしてその結果の最下位大敗を、失敗や黒歴史にせずに糧とする挑戦者マインド。
2017.6.4
競走馬はチームで動きます。
その馬の馬主、そして馬がトレーニングや生活をする厩舎(きゅうしゃ)のトップである調教師、馬の生活の世話をする厩務員、トレーニングを積ませる調教助手、そしてレースで騎乗する騎手。少し見ただけでもこのような方たちがチームを作ってレースに臨みます。
そして調教師はトレーニングのメニューを決めたり、出走するレースや騎乗する騎手を立案する(最終的な決定権は馬主にあります)、いわばスポーツのチームの監督のようなポジションです。
今日のテーマの主役、世界のホースマン・藤沢和雄調教師。
早くから競馬の本場、ヨーロッパの調教方法を学び実践し、1995年に年間最も多くのレースを勝利した調教師となりました。それ以後も11年連続で最多勝利賞を受賞するなど、前人未到の域を歩んでおられます。
その藤沢師を異能たらしめている点、それは、徹頭徹尾、その競走馬の「可能性を信じること」に尽くしていることのように私には見えます。
目に見える過去の実績や常識・慣習ではなく、未来の可能性を信じること。
ダート(砂のコース)競馬の本場、アメリカの最高峰のレース、ブリーダーズカップ・クラシックに挑戦したとき、タイキブリザードはG2(上から2番目に価値があるとされるレース群)のレースを1勝しただけの実績でした。もちろん数多の競走馬の中でG2レースを勝利できる馬は、ほんの一握りでしかありません。けれど、デビューして3戦目以降はずっと芝のレースを使われており、ダートコースでの実力は不確かなものでした。
当時、競馬にのめり込みつつあった私にとっても、その挑戦は驚きと疑問を覚たことを記憶しています。しかし藤沢師は、タイキブリザードの可能性を信じていました。雄大な馬格、血統、初戦・2戦目で見せたダートへの適応性。
アメリカの最高峰への挑戦の結果は、2年連続で惨敗ではありました。
けれど、信じることは、決して裏切られることはありません。
なぜなら自分が望む結果が出なかったり、黒歴史にしたいくらいの失敗であったとしても、自分が信じ続けている限り、それは糧となり種となり根となるからです。
藤沢師は多くの馬の可能性を信じ続けてこられました。あまたの栄光の裏側には、それ以上の敗戦と試行錯誤と、夢破れた挑戦があったのでしょう。タイキブリザードの挑戦がそうであったように。
振り返ってみるに、私たちの周りでも目に見えて分かり易い数字、地位、勲章、肩書、過去を信じることは簡単です。けれど自分の価値や可能性を見てくれる人が、世界の中にたった一人でもいたとすれば、「素晴らしきかなわが人生!」と自らの人生を全肯定することができるのではないでしょうか。それはパートナーかもしれませんし、親やきょうだい、上司、友人なのかもしれません。
さて、お客さまの周りの、そんな裏切られることのない信頼を寄せてくれる方は、どなたでしょうか。
・・・あ、一つお伝えすることを失念しておりました。
私の勝手な想像ではありますが、あまたの競走馬の限りない可能性を信じていた藤沢師が、最も強固に信じていたもの。それは、自らの可能性だったように思います。
自らの内なる無限の可能性を信じること。
それができると、その可能性を信じてくれる人が周りに集まってくるのです。それはとてもとても不思議なことに。いえ、集まってくるというよりは、そこにいたことに不思議と気付くという表現の方が正しいのかもしれません。
どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。
最後にですが、「ファーストペンギンスピリット」。
皆が陸地でのさのさごろごろしている中で、海の中に新天地を求めて最初に飛び込む一匹のペンギン。彼/彼女が海に飛び込むと、後を追ってたくさんの仲間たちが次々と飛び込んでいきます。称賛されるべき、一匹目のペンギンの魂。
とても素敵な言の葉をお教え頂きましたことに、謝辞を申し上げます。