2017年4月2日、大阪杯。
「天皇賞・春」へのステップレースとして長く親しまれてきた「G2・産経大阪杯」だったが、春の古馬中距離路線の拡充を図るために当年から「G1・大阪杯」として格上げ、リニューアルされた。
天皇賞・春が長距離の3,200mで施行されているため、2,000m前後の中距離に適性がある一流の古馬たちは春に国内で目標にできるレースがこれといってなく、ドバイや香港に遠征に出る傾向が濃くなりつつあり、国内の中距離路線の空洞化が懸念されてきたことへの施策であった。
さて、そのリニューアルされた「第1回」ともいうべき大阪杯には、前年のダービー馬・マカヒキや、香港G1馬・サトノクラウンを始め、古豪・アンビシャス、ヤマカツエース、マルターズアポジーなどの中距離路線を彩るメンバーが揃った。
そして何より、「第1回」にふさわしく華を添えるスターホースも出走してきた。
2016年・年度代表馬、キタサンブラック。
菊花賞を制した後、翌2016年には天皇賞・春、ジャパンカップを勝って現役最強の称号を手にしつつあったこの優駿の参戦で、「大阪杯」は「G1」としての熱を確実に帯びた。
春本番を迎えた阪神競馬場に、G1のファンファーレが響き渡る。
戦前の予想通り、マルターズアポジーがスタートから先手を主張。
後続を話しての逃げを打つが、ペースはそれほど速くならない。
絶好の3番手で折り合う青い帽子のキタサンブラックと武豊。
4コーナー早々に自ら動いて、直線に向いたあたりで早めに先頭に立つ。
後続馬も一気にスパートをかけて追い込んでくるが、キタサンブラックの脚色は衰えず、その差は詰まらない。
外から飛んできたステファノスの猛追を、驚異的なスタミナで粘るキタサンブラックが3/4馬身凌いだところが、記念すべき「第1回・G1大阪杯」のゴール板だった。
出走した6戦が全てG1だったキタサンブラックの2017年の走りは、ここから始まった。
2016年の年度を代表したその雄大な走りは、2017年をも代表することを予感させた。
走るたびにファンが増える不思議な馬だった。
現役の最後の方では、引退レースの有馬記念が一般ニュースに取り上げられたり、NHKの「クローズアップ現代」にその活躍が特集されるほどになっていた。
500キロを優に超える雄大な馬体。
聡明な中にも、どこか優しさを覚える顔つき。
父は日本競馬に燦然とその名を刻むスーパーサイアー、ディープインパクト・・・ではなく、その兄のブラックタイド。
ブラックタイドの現役時代の戦績は22戦3勝、うち重賞1勝。
毎年産まれるサラブレッドの中で、中央競馬の重賞を勝利できる馬は1%に満たないと言われることを考えると、もちろん優秀ではあるが、さりとて種牡馬になれるほどの戦績でもない。
偉大すぎる弟、ディープインパクトの活躍で種牡馬となれたことは想像に難くない。
言ってみれば、ジャギとケンシロウのような関係か・・・
しかし、そんなブラックタイドがディープインパクト産駒を蹴散らすチャンピオンホースを世に送り出すのだから、血統は分からないものだ。
母の父、サクラバクシンオー。
1,400m以下の距離では無敗のまま引退した、90年代を代表する名スプリンター。
戦績の通り、産駒には爆発的なスピードを伝え、自身同様に名スプリンターを数多く輩出した。
そんなバクシンオーの血を引くキタサンブラックは、3歳時から距離不安説が囁かれていたが、終わってみれば菊花賞、天皇賞・春2回と超長距離のG1を3勝もするのだから、本当に血統とは分からないものだ。
生産牧場、日高のヤナガワ牧場。
調教師、清水久詞氏。
馬主は北島三郎さんが事実上の代表を務める、有限会社大野商事。
北島三郎さんはキタサンブラックをヤナガワ牧場で見た帰り道、どうにもその瞳が気になって牧場長に「やっぱり買いますわ」と電話したとNHKの特集で語っていた。
北海道から歌手を夢見て上京したものの鳴かず飛ばず。
けれども渋谷の酒場で流しのドサ周りをしながら、演歌界のドンと呼ばれるまで這い上がってきた北島さんの歴史。
それだけに良血のエリートではなく、他の馬が1本登るのがやっとの坂路を、3本も駆け上がって鍛えに鍛えられて強くなったキタサンブラックの成長に、北島さんは自身の人生を重ねるのだろう。
そして、騎手。
3歳時は北村宏司騎手が主戦を務め、4歳時の産経大阪杯からは引退まで武豊騎手が騎乗。
引退レースの有馬記念を勝ったウイニングランで、武騎手は夕暮れの空を見上げてガッツポーズをした後、数回空を見上げた。
競馬ライターの平松さとし氏がその意味を問うと、二人に報告をしたと武騎手は語ったそうだ。
一人は、前年夏に逝去した父、武邦彦さん。
そしてもう一人は、キタサンブラックの新馬戦の手綱を取った、後藤浩輝騎手。
キタサンブラックのデビュー戦を勝利に導いたその翌月、後藤騎手は突然に鬼籍に入ってしまった。
有終の美を飾ったキタサンブラックがあるのも、後藤騎手がいたからこそ。
キタサンブラックを通して、共にいる。
武騎手の何気ないその仕草は、そんなメッセージを込めた美しい祈りだった。
どうもキタサンブラックには思い入れがたくさんあり、つらつらといろんなことを書いてしまうけれど、書きながらそのどれが欠けてもキタサンブラックがキタサンブラックでなくなるような気がしている。
あのハードな調教に耐える強靭な馬体、ヤナガワ牧場、オーナー北島三郎さん、清水久詞調教師、調教パートナーだった黒岩悠騎手、デビュー戦の手綱を取った後藤浩輝騎手、菊花賞で見事なエスコートを見せた北村宏司騎手、そして武豊騎手。
人の繋がりも、そしてその足どりも。
史上最多タイのG1・7勝だけでなく、大敗したダービーも、惜敗した4歳時の有馬記念も、馬群に沈んだ5歳時の宝塚記念も。
どれもこれもキタサンブラックを彩る大切な要素だった。
きっと、どの要素が欠けても、キタサンブラックの魅力がなくなるように思う。
同じように、あなたが持っている資質、性格、人のつながり、血のつながり、歩んできた道、成功と挫折の歴史、外見・・・
そのすべてがあなたを彩る要素であり、どの要素が欠けてもあなたの魅力は失われてしまうのかもしれない。
きっと、欠点も黒歴史も、才能も資質も、血縁も人の縁も全てがあなたの魅力なんだ。