出会いと別れの、春。
競馬界においても、2月の終わりは別れの時期だ。
家業を継ぐために勇退される角居勝彦調教師、定年を迎える石坂正調教師や松田国英調教師など、今年は8名の調教師が引退となった。
そして騎手では、蛯名正義騎手が鞭を置いた。
昨年、調教師試験に合格し、今後は騎手とは違った立場からターフを沸かせることになる。
だが、歴代4位のJRA通算2541勝を積み重ねた、トップジョッキーの引退には、やはり寂寥感がある。
鬼才・二ノ宮敬宇調教師とエルコンドルパサーを駆って、長期フランス遠征。
「チーム・エルコンドル」の挑戦、初めての凱旋門賞2着は日本競馬史上に残り続ける偉業だ。
怪物・グラスワンダーを差し切ったエアジハードの安田記念、そしてマイルチャンピオンシップでの春秋マイルGⅠ制覇。
大観衆をあっと言わせたマツリダゴッホの有馬記念。
サンデーサイレンス産駒きっての長距離砲・マンハッタンカフェとの絵になるコンビ。
大舞台で負けないアパパネの牝馬三冠は、蛯名騎手の手綱があってこそだったのだろう。
宿願の日本ダービー、届かなかったフェノーメノのハナ差。
そして、二ノ宮調教師とのコンビで、ナカヤマフェスタと再度挑んだ凱旋門賞。
どのレース、どの優駿とのコンビも印象に残っているが、ベストを挙げろと言われたら、1996年天皇賞・秋のバブルガムフェローになるだろうか。
それまで主戦だった岡部幸雄騎手が、アメリカのブリーダーズカップに挑戦するタイキブリザードに騎乗することで回ってきた、代打騎乗だった。
骨折により春のクラシック戦線を棒に振ったが、菊花賞に向かわず、距離適性を考慮して天皇賞に向かうという、当時としては異例の挑戦。
負ければ、「だから菊花賞に出ておけば」という批判を受けることも十分に考えられる中、藤澤師はその手綱を蛯名騎手に託した。
その期待に蛯名騎手は、当時の古馬三強と称されていたサクラローレル、マヤノトップガン、マーベラスサンデーを、早め先頭の強気の競馬で抑えきる会心の騎乗で応えた。
蛯名騎手の、GⅠ初勝利が、この天皇賞だった。
マヤノトップガンの追撃を振り切ったゴールの瞬間、右手を振り下ろしたガッツポーズは、一つの絵画のように私のこころに残っている。
「これからは、ファンの皆さんに愛される馬を育てていきたい」
無観客での開催のため、YoutubeLiveにて中継された今日の引退式で、蛯名騎手はそう語っていた。
明日からは、調教師という立場から、またターフを大いに沸かせてほしい。
蛯名騎手、おつかれさまでした。
そして、ありがとうございました。