いらっしゃいませ、ようこそお越しくださいました。
今日は、最近私が気づいて愕然とした単純な事実に寄せた記事です。
誰しもが一番自分の望んだ道を歩いている。
だから他人の目を気にして、好きなことを好きと言ったり、あるいは好きなことをするのを躊躇してしまうのは、ある意味で傲慢だとも言えると思うのです。
他人の目が気になって、自分の好きな選択ややりたいことを我慢してしまったり、私だけいいのかな、と思ってしまうとき。
「自分の好きなことをすることに罪悪感を覚えてしまう」という状態ですね。
好きなことを好きと言えない、
周りのみんなが忙しそうにしているのに旅行なんて行けない、
平日の昼間からエステに行くのに躊躇してしまう・・・
そんなときはちょっと立ちどまってみて、その我慢や犠牲がどこから来ているのか、を振り返って考えてみるといいのかもしれません。
もしかしたら、そこには周りも我慢してるんだから自分も我慢しないといけない、そして自分が我慢するんだから周りも我慢するべきだ、と思っているのかもしれません。
しかし、本当にそうでしょうか?
考えてみると、いまの自分とその周りの世界をつくっているのは、これまでの過去の選択の積み重ねです。
昨日友人と交わした何気ない会話から、夕飯のメニューに何を選ぶか、あるいは進路を決めたあの日の夜・・・
全ての選択の積み重ねが、いま私の目の前にある世界をつくっています。
そう考えると、朝目覚める家、私の目に入るもの、口にする食べもの、歩く道、今日会って会話する人、乗っている電車・・・
それらはすべて、自分が望んで選択してきたものです。
ええ、いま私の目に映る世界は愕然とするくらいに寸分の狂いもなく、私自身が選んできたものなんです。
それは自己啓発でよく言われる、
「思考は現実化する」ということなのかもしれませんし、
あるいは精神世界で言われる、
「引き寄せの法則」なのかもしれませんし、
もしくは量子力学で言われるところの、
「観測者の認識が物質に影響する」ということと関連付けられるかもしれませんし、
あるいは人の思い込みの力を証明する、
「プラシーボ効果」で説明されるかもしれませんし、
または仏教の経典における、
「末那識・阿頼耶識」の領域がまさにそれだと言えるかもしれませんし、
はたまた、
思考には気をつけなさい、それはいつか言葉になるから
言葉には気をつけなさい、それはいつか行動になるから
行動には気をつけなさい、それはいつか習慣になるから
習慣には気をつけなさい、それはいつか性格になるから
性格には気をつけなさい、それはいつか運命になるから
というマザー・テレサの聖句がそれを表しているのかもしれません。
私たちは、自分でいま目の前の世界を選んだのです。
そんなことはない、選んでなんかいない、私の人生を決めたのは〇〇なんだ!と思う人ももちろんいます。
〇〇には、生まれた土地、持病、家族構成、身長体重から始まる身体的特徴、あるいは毒親としか思えない親、突然起こった天災、実家の経済事情・・・といった、とても選んできたとは思えないものが入るのでしょう。
しかし、それでもなお、です。
そのとても選んできたとは思えない、どうにもならない領域の事象が横たわっていたとしても、私たちが生きる上で選べるものは少なくありません。むしろたくさんあるはずなのです。
人はどんな状況でも不幸になりえるし、反対にどんな状況でも幸せを感じることができます。
鎖につながれた奴隷でも、眩い朝日の中に神の加護を感じることもできるし、
傍から見れば自由きわまりない社会の中でも、絶望的な孤独に死の誘惑を思えることもあります。
それは選ぶことができるし、現実に私たちは毎日選んでいると思うのです。
それは、私もそうなのですが、いまこの同時代を生きる誰しもが、自らの人生を選んで生きています。
これに気づいたとき、私は愕然としました。
自分も自分の周りの人たちも、みな同じで自らの人生を自らが選んで生きている。
それに対して、良いだの、悪いだの、かわいそうだの、みっともないだの、私がとやかく言うことではない。
私ができることは、私の毎日のいろんな選択を自分の好きなものを選んでいく、ということだけです。
周りに気を遣って我慢や犠牲をするのは、結局周りの人も自分の好きな道を選んでいないんだろう、だから私もそうしてあげる、というある種の傲慢なんだと思うようになりました。
そんなふうに我慢や犠牲をするより、
周りの目を気にせず、好きなものを好きと言い、美味しいものは美味しいと言い、綺麗なものは綺麗だと感動し、嫌なことはイヤと言うこと。
それこそが、周りの大切な人を最も尊重してあげることだと思うのです。
もしも、お客さまが周りの方を大切にしたいのならば、
好きなことは好きと言いましょう。
好きなことを重ねていきましょう。
ぜひお客さまの好きなこと、大切にしてくださいね。
今日もお越し頂き、ありがとうございました。
もう2月も終わりですね。早いものです。
どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。