大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

美しさは、悲しみの際に

孤独とは、その人の置かれている社会的な状況を指すのではなく、「私は孤独です。寂しいです。」ということが言えない心理状態を指す。

どれだけ多くの人とつながっていようと、自らの抱えている心の闇を吐き出すことができなければ、人は孤独感に苛まれる。

その意味では、いまから十数年ほど前、私は孤独だった。

学生時代を過ごした東京から故郷に帰って就職することを選んだ私は、その働き出す直前に母親を失った。

その前年に父親を亡くして、実家で一人寂しそうに暮らす母親のためにUターン就職を決めた私にとっては、その時点で帰省した意味も働く意味も失った。

精神的・社会的に自立する前に「親」というものを失うと、人は糸の切れた凧のようにふらふらと漂うようになってしまうことがある。

見知らぬ土地で誰も親類も親しい友人もいない中で、かろうじて働く会社があることで、私はその切れた糸をつなぎとめようとしていた。

よく働いた、と思う。

心身のバランスを崩して、休んだりする周りの同僚たちも見る中で、真面目によく働いたと思う。

この身の一部が無理やり引きちぎられるような別離を経験した後では、バランスなどというよりも心はすでに壊れていたのかもしれない。

不器用ながら仕事を一通り覚えたあとは、ワーカホリックになった。

それは、一種の麻酔だった。

だから休みを取るよりも、サービス残業だろうが無給だろうが休日出勤していた方が都合がよかったのだ。

顧客からの苦情なり、山積する事務仕事だったり、休めない理由はいくらでもみつけてきた。

会社に忠誠を誓っていたわけでも何でもなく、それはただ麻酔を打ちに行っていただけだった。

休日は、麻酔が切れる。

鳴り止まない仕事のPHSとは裏腹に、ほとんど鳴らない携帯を横目にベッドから起き上がることができなかった。

起きているのか、寝ているのか、死んでいるのか分からない状態だった。

腹が減ってどうしようもなくなると、コンビニへ出かけて食料を買って帰って、またっベッドに横になる。

やがて夕暮れがきて部屋にオレンジの光が差し込み、夜が訪れる。

灯りをつけて明るくなっても、しんとした部屋はなおのこと寒々しい。

一筋、涙が頬をつたった。

ふとベッドの脇にあったコンビニのレジ袋を手に取り、私は頭からかぶった。

このまま窒息して死ぬことができたら、楽だろうな。

そんなどうしようもないことを考えながら、夜は更けていく。

やがて朝を迎えると、私はシャワーを浴びてまた麻酔を打ちに出かけて行った。

もっと強い麻酔を打って、いまにも溢れ出そうな寂しさや悲しさに蓋をしなくてはならなかった。

いま考えると「孤独」だったのだろう、と思う。

周りには先輩や同期、後輩、取引先・・・素晴らしすぎる人たちに囲まれていながら、やはり私は「孤独」だったのだろう、と思う。

「孤独」とは、社会的なつながりの有無を指すのではない。

心が閉じていることこそが、「孤独」なのだろうと思う。

そしてその毒は、徐々にではあるが、確実に心身を蝕んでいく。

 

それから十数年が経って、私は地下鉄のホームにいた。

その日もよく呑んだ私は、気分よく酔っ払っていた。

恩人ののある方を美味しいお店にお連れする。

そんな以前描いた夢は、いつの間にか叶っていた。

その日は、美味しいおでんだった。

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仲間と一緒に、夕方の5時から優に5時間以上は話していただろうか。

よく呑み、よく食べ、よく笑った。

酔っ払ってところどころ覚えていない会話を反芻しながら、私は地下鉄のホームで電車を待っていた。

日曜日の終電近く、人はまばらだった。

やがて、アナウンスとともに線路の先の闇の中から光が差し、電車が入ってきた。

銀色の車体ではなく、地下鉄と相互乗り入れをしている私鉄の赤い色の車体だった。

それを眺めていると、私の心には不思議な感情が浮かんだ。

もう、十分すぎる。

まだやりたいことはいくらでもあるし、解決したいことや成し遂げないことは山積みだし、まだ傷付いた私も癒されていない私もいるし、大切なことなのに伝えられていないことはたくさんある。

それでも、もう、今で十分すぎる。

このままホームドアのない地下鉄の線路に足を滑らせても、いいんじゃないか。

もしそれでも、いい人生だったと満足できる。

それは、本当に不思議な感覚だった。

以前は「孤独」という毒に苛まれて、その誘惑に駆られたと思っていた。

それが「もう今が十分すぎる」と思えたら、同じように誘惑に駆られるとは。

真の美しさというものが悲しみの際にこそあるように、

生きることもまた死ぬことの際に在るのかもしれない。

酔った私はそんなことを思いながら、赤い電車に乗った。

かつて父の愛した、赤い電車だった。