仙台の友人を訪ねて行ったことがあった。
仮にその友人をナカタとする。
あれは、たしか9月に入った長い夏休みの終わり際だったと思う。
学生だった当時、神奈川県に下宿していた私は、同郷で仙台に下宿していたナカタを訪ねて行った。
予定もなく、暇だったのだろうか。
青春18きっぷを握りしめ、鈍行に揺られて、仙台に向かった。
いま考えるとなぜかよく分からないのだが、ナカタにアポイントを取る前に私は出発していた。
ナカタと私は、同じ高校で同じ部活をしていた。
「落ち着いたら、仙台に遊びに来いよ」
いつか聞いたナカタのそんな台詞を、どこまでも信じていたのかもしれない。
けれど、当時ようやく普及し始めた携帯電話で、行きの道中に電話、メールで連絡を取ろうとするも、ナカタはつかまらない。
仙台が近づくころには、あたりは夕闇に包まれていった。
人の気配のほとんどしない駅を一つ、また一つと通り過ぎるにつれ、私は不安になっていった。
なぜ、ナカタは電話に出ず、メールの一つも返さないのだろう。
やがて、電車は仙台に着いた。
あたりはすでにどっぷりと暮れ、街の灯りがまぶしかった。
どうしようかと思い、とりあえずターミナル駅の居酒屋に入った。
不安はあれど、仙台の風を、感じたかった。
ビールを2,3杯、つまみをつつきながら、ほろ酔い加減になっていると、ナカタから着信が入った。
「いま、仙台に来てるんだけど」
家から後生大事に抱えてきたその台詞に、ナカタは呆れたように答えた。
「は?俺はいま名古屋だけど」
なんと、ナカタは帰省しており、仙台にいなかった。
まあ何とかなるだろう、という私の目論見は見事に外れた。
アテが外れた私は、もう少し飲んでから宿を探し始めたが、目に映る宿に当日の空きを聞くも、ことごとく満室。
今ならスマートフォンで探すこともできるのだろうが、当時はそんなこともできず、足が棒のようになった。
やがて冷たい雨が降り始め、心細さは増していくばかり。
そのうちに、いわゆる「連れ込み宿」が並ぶ道に差し掛かり、扇情的な写真が貼ってある建物が並んでいた。
「いいコ呼べるよ」
いつの間にかそこにいた男性に声をかけられ、私は狼狽した。
初心な私は、気恥ずかしくなり、足早にその道を抜けた。
結局、その後も散々歩いて、なんとか宿を見つけることができた。
ナカタくらいしか仙台に知り合いのいなかった私は、翌日、一人で市バスに揺られて青葉城を見て、牛タン定食を食べて帰路についた。
帰りの鈍行は、いつまで経っても東京に着かなかった。
なぜ、そんな無計画な旅に出たのだろう。
今考えても、不思議だ。
旅情に誘われた、というくらいのものなのだろう。
けれど、ナカタにフラれたことも含めて、いまとなってはいい思い出である。
あのときにしか、できない旅だったように思う。
先日、無敗の牝馬三冠という偉業を達成したデアリングタクトのエントリーでも、同じようなことを書いた。
後から振り返ってみれば、どの景色も深くこころに刻まれている。
結局のところ、後になって残るのは、「体験」だけなのかもしれない。
どこに行ったか。
誰と行ったか。
何をしたか。
どんな味がしたか。
どんな音を聴いたのか。
そのために、という訳ではないけれど。
こころの趣くところに行き、味わい、話し、聴き、触れること。
こころを、遊ばせよう。
曇り空の、北の大地。