早いもので、断酒してからもう早や2か月になる。
11月から断酒をはじめて、忘年会、帰省、お節料理、お屠蘇・・・おそらく、日本で最もアルコールの消費量が増えるであろう年末年始をノンアルコールで乗り切ることができた。
まあそうは言っても、忘年会自体がごく身内のものが1件と、一人忘年会というわけのわからないものが1件と、ほとんどなかったのではあるが。
せっかくこのブログのネタにしているので、何かと紆余曲折があった方が書き易いのだが、淡々と継続できてしまっている。
20年近く付き合ってきたお酒と、2か月も離れるのも初めてのことだったのだが、やってしまえば何のことはない。
それがないだけの世界が広がっていた。
そして、そこに恩恵と少しの寂しさがあるだけだった。
それでも、せっかくのエントリーなので思うことを綴ってみようと思う。
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断酒というものの難しさは、精神力や意志の強さのようなものが有る/無いで左右されるわけではないように思う。
たまたま私の場合は断酒が続いているが、だからといって精神力や意志が強いとも思わないし、
断酒に惹かれるけれどなかなかできない人が、意志薄弱だとも思わない。
そこに違いがあるとすれば、「楽しみ」や「喜び」といったものがお酒以外にあるかどうか、ということのように思う。
お酒以外の「楽しみ」の選択肢が多ければ多いほど、そしてその選択肢の「喜び」が強ければ強いほど、お酒へかける時間、お金、労力のプライオリティ(優先順位)が下がってくる。
その逆に、お酒以外の「楽しみ」「喜び」がなければ、なかなかお酒を飲まないという選択肢を選ぶことはできない。
至極当たり前の話しであるのだが、人生の選択肢の話しであると思うのだ。
そしてお酒への選択の順位がある一定の度合いを越えてしまうと、依存症になってしまい「生理的に」抜け出すことが難しくなるようだ。
それは、とてもとても悲しいことに。
おそらく、いまの私はお酒以外への優先順位が高いために、断酒できているのであろうと思う。
それはこれからも同じ優先順位かどうか分からないし、それが変わったときはそのとき考えればいい。
お酒を飲む/飲まないという選択肢に限らず、私たちは人生において何を選ぶのか(=それはとりもなおさず、何を捨てるのか、ということと同義だ)という決断を迫られている。
それは無意識に行っているかもしれないけれど、一度「選んでいるもの」を棚卸ししてみるのは、とても意義のあることのように感じるのである。
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さて、なかなか波風の立たない私の断酒ネタをここまで膨らませてみたが、一つだけ悩みがある。
私は居酒屋や割烹が好きなのだが、なかなか飲まない人間が「一人」では入りづらいのである。
誰かと飲む人と一緒に行って、自分だけ飲まないのは普通に大丈夫なのだが、なかなか居酒屋に行って飲みものを頼まないのも、利益率が低くて悪いように思うし、何より絵にならないのである。
昨年末の一人忘年会も、通い慣れたお店で「飲まないけど、一人で食事する」というわがままを聞いてもらった。
炭焼きでひいかとあなごを炙っても、ノンアルコール。
宝石箱のような刺し盛りを前にしても、ノンアルコール。
金目鯛、平目縁側、鰆、鰤、鰹、本鮪、白海老と雲丹。
漢字で書くとなかなかすごい。
一人黙々とぶりをしゃぶっても、ノンアルコール。
水菜、ごぼう、にら、といった野菜を巻いて、ポン酢をつけて。
真鯛のあら炊きも、温かいお茶で。
鍋物のメインが〆の雑炊やうどんであるように、このあら炊きの本体は旨味を吸い尽くしたごぼうのような気がする。
お酒を飲まないと、最後まで酔っ払わずに味の感動が継続するのがいい。
・・・ということで、目下断酒中ですが、居酒屋、割烹、その他、気にせず酒席へお誘いください。