大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

からすみ餅の大群と過去の自分に出会った日

よくも悪くも他人のことはよく分かるのに、人は自分のことを自分が一番分かっていない。

だからこそ、他人がいるとも言えるのだが。

そして、一番分かっていないのは、過去の自分のことなのかもしれない。

さて、断酒も400日を越えた。

世間は師走の忘年会シーズンと年末年始で、アルコールの摂取量が上がる時節だが、相変わらず断酒は続いている。

そんな師走の日、旧知の方たちと忘年会のような会食の時間があった。

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普段はひとりで伺うところも、人数が多いと見慣れないお皿の絶景が。

冬は、お魚が美味しくていいものだ。

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からすみ餅の大群を前に、お米からお餅とお酒がつくられるのは、奇跡だなぁ…と思いながら、ゆっくりとした時間が流れる。

ご一緒させて頂いた知人たちは、私がワーカホリックに働いていた時代の知人たち。

振り返ってみても、よく、働いていたように思う。

時間的、物理的にもそうだったし、精神的にもそうだった。

親しい人間を亡くした寂しさを忘れるためには、ワーカホリックというアンダーグラウンドが必要だったのだろう。

逆に、いまのような「働き方改革」と言われて、そのような働き方ができなかったら、私は何に依存していたのだろうか、と考えることがある。

それに気づいたのは、十数年もあとのことだった。

その寂しさを癒しはじめるのに、それだけの時間がかかったとも言える。

けれど、知人の中の一人が、「こんなつながりをありがとうございます」と仰っていた。

大事な人に言われる言葉ほど、人は素直に受け取ることができないものだ。

とたんに私の「ウケトラナイモード」が発動する。

いや、そんなことないです…

いや、あんなに仕事しかしてなかったですから…

いや、もっと周りの好意を受け取れていたら…

いや、もっと恩返しができてたはずだから…

いや、もっと素直になれていたら…

そんなせんない想いが去来する。

このモードに入ったことを自覚できるだけ、成長したということにしておこう。

そうかもしれない。

けれど、そうじゃないかもしれない。

どちらでも、いいのかもしれない。

その知人と仕事をしていた過去の自分が、まぶたの裏に浮かんだような気がした。

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目の前では穴子と鮪の頬肉が、ぱちぱちと音を立てていた。

炭火は、この焼けの遅さがたまらなくいいものだ。

未来のことはよく分からないけれど、過去は変えられる。

感情を切って、ワーカホリックに働いていたのかもしれない。

けれど、周りから見ればそうでもなかったのかもしれない。

それは、どちらでもいいのだとも思う。

いまの自分が、選びたい方が選べば、よいのだとも。

とりあえず、その十数年前のある日の私も、今日の私も、「よくがんばった」、それでいいのだと思う。

師走の週末の終電前らしく、地下鉄はすし詰めだった。

その揺れに身体を預けながら、私は絶品だったからすみ餅の味を思い出していた。