モンゴル800の「小さな恋のうた」を聴いたのは、 20代半ばの頃だっただろうか。
久しぶりに会った友人の車で、オーディオから流れていた。
「いいんだよ、この歌。ノレる」
そう言って、鼻歌でサビを歌っていた友人を思い出す。
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当時の私はといえば、両親との突然の別れの傷を押し殺し、ハードワークに勤しんでいた。
地元に帰って来るはずが、気付けば見知らぬ土地で、一人暮らしていた。
ただ、そんな私を、仕事だけが社会的につなぎとめてくれたのかもしれない。
その仕事で、成果を出さないといけない。
もし、その仕事から、同僚から、取引先から、必要とされなくなったら。
ハードワーカーになるもの、必然だった。
誰もいない自宅と、会社を地下鉄で往復するだけの日々。
楽しみ、喜びといったものから、無意識的に自分を遠ざけ、仕事以外の情報からは疎くなっていくばかりだった。
週末が休みでないシフト制の仕事は、私には有難かったのかもしれない。
ただ、どれだけ仕事に精を出しても、満たされることはなかった。
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少し遅れた夏休みだった気がする。
何もやることがない私は、学生時代の友人に会いに上京した。
その環境を続けるのは、限界だったのかもしれない。
久々に会った友人は、派手なアロハシャツとサングラスをして、軽自動車に乗って現れた。
夏を満喫するような雰囲気の友人に、私は軽く嫉妬を覚えた。
若者のすべてが、私にないものすべてが、そこにあったような気がしたからだ。
男の嫉妬ほど、見苦しいものはない。
軽く覚えたその嫉妬を、私は激しく否定した。
否定する、ということは、在る、ということなのだろう。
そして、嫉妬とは、私もそうなりたいのに、というサインでしかない。
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「いいんだよ、この歌。ノレる」
そんなモヤモヤとした私に、友人が語ったのが、冒頭の台詞だった。
流行りの歌を聴くなど、何年ぶりだろう。
久しぶりに聴く「音楽」は、乾いた私の心に沁みわたるようだった。
その友人の言う通り、いい、曲だった。
それ以来、「小さな恋のうた」は私の好きな曲だ。
サビに至る歌詞がいい。
やさしい歌は 世界を変える。
確かに、その通りだ。