さて、断酒してから674日目である。
月数にすると約22か月目、もう少しで丸2年になる。
2年ということで、思い出す話がある。
以前に知人の方から聞いた話なのだが、その知人の仕事上の付き合いのあった方が酒豪だったそうだ。
仮にその方を「マサさん」としておく。
マサさんは、地方では知られた企業の重職に就いていたらしく、付き合いも多く、よく飲んでいたらしい。
だが、50歳を超えたある日突然、マサさんは酒をやめると言い出した。
やめた理由は?と聞くと、マサさん本人からは、なんともはっきりしない答えが返ってくる。
どこかで聞いた話だ。
もちろん、本人のことは本人しか分からないので、マサさんが酒をやめた理由は、健康上のやむを得ないものなのか、あるいは別の理由なのか、それは分からない。
座れば朝まで鯨飲していたマサさんが、そんなことを言い出すのだから、周りは訝しがったそうだ。
けれど、その知人曰く、その後のマサさんは酒席に顔を出すのだが、上機嫌で話を聞いているだけで、一滴の酒すら口にしなくなったという。
ますます、どこかで聞いた話だ。
だが、この話には続きがある。
その知人曰く、断酒から丸2年が過ぎたころ、マサさんは何の前触れもなく飲酒を再開したそうだ。
しかも、以前にもまして元気に鯨飲しているらしい。
突然再開した理由を尋ねても、やめた時と同じように、要領を得ない答えが返ってくるだけ。
周りは首をかしげながら、それでも楽しい酒席をマサさんと囲んでいると聞く。
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マサさんがなぜ断酒したのか、そしてなぜ再開したのか、本人にしか分からない。
また、お酒にまつわる話は、依存症など非常にセンシティブな部分を含むので、ここではそれが良い/悪いといった、何かの基準に沿った価値判断をすることは控えたい。
もちろんそれは、お酒に限った話ではないのだけれど。
けれど、マサさんの選択は、マサさんが選んでそうしているのだから、それでいいのだろう。
どんな選択であれ、「そうしないといけない」、あるいは「それをしてはいけない」という縛りは、やはり窮屈になり、心を痛めることもあろう。
ほんとうのところ、私たちが体験したいのは「それをしても大丈夫」という感覚なのかもしれない。
断酒するのも、前言撤回で再開するのも、それでも大丈夫なのだ。
その大丈夫を受け取る度に、世界はまた一つ優しくなる。
いつだって、その優しさを拒否しているのは、私たち自身でしかない。
どの道を選んでも、結局は、それに気づくだけの旅。