「人生を変えようと思って断酒をしても、なかなか変わらない」
けれど、
「ポジティブな決断をし続けられるなら、断酒に限らず勝手に人生は変わっていく」
断酒というツールがそれを後押しするわけではなく、「変える」と決める決断が人生を変える。
至極、当たり前の話なのだが、他の多くのことに応用できる話であるように思う。
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私が断酒を始めて、179日目である。
昨年の11月に断酒を始めてから、約半年が過ぎた。
あのときはちょうど立冬の頃だったのだが、それが風薫る新緑の季節になっているのだから、時が流れるのは早い。
断酒して1ヵ月あたりが過ぎた頃からか、「断酒している」という意識もなくなって、飲まないのが平常のようになった。
それがここのところ、気の置けない友人との酒席や、ふとした瞬間(おもに執筆の仕事が終わったときが多い)に、
「いま飲んだら、きっと美味しいんだろうなぁ…」
という思いが出てくることが多くなった。
不思議なものである。
だから断酒が辛い、という訳でもなく、この先一年、二年とお酒を飲まないでいることによる変化と恩恵にも惹かれるのだ。
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断酒をし始めた頃に、よく見ていた体験談のサイトには、よく「断酒をすると人生が変わる」という記述があった。
それは、半分嘘で半分ほんとうなのだろうと思う。
嘘の部分というのは、「人生を変えようと思って断酒をしても、なかなか変わらない」と思うからだ。
これは、多くのことに通じる話だと思うのだが、ネガティブな動機からする行動は、なかなか継続するモチベーションを保つことができないし、また継続できたとしても、新たなネガティブな想いを招くことが多い。
断酒について考えてみても、
「肝臓をはじめとして、身体に負担をかける」
「お財布にやさしくない」
「酔うと他のことができないし、二日酔いで一日半無駄にする」
「酔っ払ってトラブルを起こす」
というようなネガティブな動機で断酒を継続できるのは、ごく少数のように思う。
それを分かっているのに断酒ができなくて、苦しんでおられる方が綴られた体験談は、悲痛なまでに胸が痛い。
まず向き合わなくてはならないのは、「そこまでしてまで飲まざるを得ない心理」であり、「なぜお酒に頼らなくてはならないのか」という心の隙間やぽっかり空いた穴ではないかと思う。
それは、お酒に限らず、ワーカホリック、ギャンブル、買い物、不倫、セックスといったアンダーグラウンドなもの全般に言えることではあるが。
その反対に、ポジティブな理由とは、無限のモチベーションをその行動に与える。
断酒にしてみれば、
「お酒に充てていた時間とお金で、別の楽しみができる」
「楽しい会食の席に、車でも大丈夫」
「二日酔いのない世界が広がっている」
というポジティブな動機で断酒をするのであれば、それは継続しやすいように思う。
どうやったら断酒できるか?という方法を勝手に調べ、それが成功できるまで試すようになるからだ。
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このように考えると、上に述べた「半分ほんとうで、半分嘘」が分かりやすいと思う。
先に述べたように、
「人生を変えようと思って断酒をしても、なかなか変わらない」
けれど、
「ポジティブな決断をし続けられるなら、断酒に限らず勝手に人生は変わっていく」
からだ。
飲んでも楽しいけれど、飲まなくても楽しい。
その上で、飲まないという決断をポジティブに選び「続ける」こと。
心理学的には「コミットメント」と呼ばれるその心理に至ると、心は晴れやかになり、未来への希望と、それを実現するための方法に頭をめぐらせはじめる。
これは、お酒との関係に限らず、すべてのものごととの関係において言えることだ。
仕事、パートナー、住む場所、食べるもの、お金…
この場所に住まなくても、どこでもやっていける。
けれど、ここが好きだから、ここに住み続ける。
もし別れたとしても、自分も彼女も幸せに生きていける。
その上で、彼女と一緒にいたい。
この会社ではなくても、どこでも大丈夫。
けれど、ここで勤めることを選ぶ。
…などなど、「コミットメント」することは、自分をより自由にし、自分らしく生きることを後押ししてくれる。
もちろん、そこに至るまでに一通り経験する、
「解雇されたらどうしよう」
「絶対にフラれたくない」
「お金がなくなったら困る」
という執着は、なかなかに苦しいものだけれども。
それでも、一つずつそうした制限を外していく、という意思を持つだけで、大きく一歩目を踏み出したと言えるのではないだろうか。
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お酒のことからずいぶんと話が広がってしまったが、いろんなことに共通点が見いだせると、書いていて感じた。
さて、これから断酒に「コミットメント」するかどうかは、そのときの気分で決めよう。
より楽しそうな方の選択を、選んでいこうと思う。