大嵜直人のブログ

たいせつな何かをなくした心に、ともしびを。

確定申告の思い出と、自立の功罪について。

あれは22歳か、23歳の頃だっただろうか。

 

当時の私は、社会人1年目だった。

父と母を立て続けに亡くしたことで、誰もいない土地で一人暮らしをしていた私は、ワーカホリックに働いていた。

 

4月に入社してから働き始めて、ちょうど一年くらい経ったころ。

確定申告とやらの時期がやってきた。

 

状況的に確定申告をしなくてはいけないと聞いてはいたが、なにしろ当時の仕事は秋の催事からお歳暮、クリスマス、年末商戦、初商、バレンタイン、ホワイトデーと、切れ目なく続くイベントで、下半期全部が繁忙期のようだった。

親しい人を亡くし、深い傷を負った私は、仕事以外に時間を潰す術を知らず、ホワイトな企業でブラックな働き方をしていた。

たまに休みがあっても、ほんの少し家事をするくらいで、あとはベッドから起き上がれなかった気がする。

 

そんな状態で、確定申告のことなど、手が回るはずもない。

 

ホワイトデーの3月14日が終わるころ、ようやく、ぼんやりと「やらなくては」とよぎり、澱のように疲れ切った身体に鞭を打って、どうしたものかと考え始めた。

 

確定申告の締め切りは、3月15日である。

 

 

当時の私は、家と職場を往復するだけの暮らしだった。

気軽に会える友だちも、ほとんどいなかったように思う。

 

Uターン就職をしたこともあり、学生時代の友人は皆東京にいて、なかなか会えない。

さらに、シフト制の仕事だったため、カレンダー通りの仕事をしている友人と休みが合わない。

職場には近い世代の先輩もいたが、これまた休みは交替で取るため、合わない。

 

そんなこともあり、当時の私は、職場の近くのフリー雀荘にたまに顔を出していた。

 

雀荘には、「セット」と「フリー」という2種類がある。

「セット」は4人そろった状態で入り、雀卓と場所を借りる形で、「フリー」は一人で入り、他の客とお店のルールで麻雀を打つ。

一人でふらっと入り、牌と対話していればいいフリー雀荘は、当時の私の生活形態に合っていた。

 

週中のド平日の夜中など、よくわからない時間帯でも、卓が立っていることも普通で、世の中にはいろんな人種がいるものだな、と思わされた。

時間を持て余した学生や、年金生活と思われる年配の方、新しい汚れが付いたままの作業服の方、職業を聞いてはいけなそうなコワモテの方、近くのクラブのママ、物静かだが激烈に強い男性…ほとんど会話することもないが、雀力も打ち回しも、それぞれ個性があった。

 

私が通っていたフリー雀荘の、そんな客層の中に、ある男性がいた。

その男性を、仮にカトウさんとする。

年は40代半ばだろうか、少しやせぎみの体格で、いつもスーツにネクタイをしていた。

 

カトウさんは公認会計士なんだ、と雀荘の店主か誰かから聞いたことがあった。

 

 

確定申告を翌日に控えた私は、ヘドロの様に疲れた足を引きずって家に帰ったが、どうしたらいいか分からない。

スマートフォンもなく、ネット環境も整っていなかった時代だ。

 

税務署に行くか、本屋の確定申告コーナーに走るかしかないだろう。

しかし、時間は夜中だ。

 

進退窮まった私は、カトウさんのことを思い出した。

公認会計士のカトウさんに聞けば、教えてもらえるのかもしれない。

カトウさんの連絡先を知らなかった私は、一縷の望みを託して、いつもの雀荘に電話をした。

 

カトウさん、いま、来てますか?

 

電話に出た店主は「いや、今日は来てないよ」と答えた。

カラカラと、雀卓が牌を混ぜる音が、受話器の向こうから響いていた。

 

いる。

 

なぜか、私はカトウさんがいると確信した。

店主の、返答までの一瞬の間が、不自然だったのかもしれない。

 

そこで押し問答をしても仕方がない。

 

私は、その雀荘へ、向かった。

終電も無かったので、タクシーを捕まえた気がする。

 

果たして、カトウさんは、いた。

 

扉を開けて一瞬目が合った私に、軽く会釈をして、あとは平然と打ち続けていた。

来てしまった手前、私もとりあえず麻雀を打った。

 

カトウさんに、ボコボコにされた気がする。

 

確定申告のことも切り出せず、私はここに何をしにきたのか、よく分からなくなった。

雀荘を出た際の、徹夜明けの黄色い陽射しが、ただ、眩しかった。

 

 

私は、その足で本屋に向かい、確定申告の手引きみたいな本を何冊か買った。

3月15日に買うバカもいないだろうと思いながら。

税務署に寄って申告書類をもらい、うんうんと唸りながら、申告書を埋めていった。

パソコンで作成すれば、自動計算などない時代である。

 

ただ、そこで出てくる住所や数字を見ると、悲しくなった。

父と母と生きた思い出が、無機質な数字に置き換えられた気がするから。

 

何とか作成した書類を、夜中に郵便局に持っていった。

 

間違いはなかったのだろうか、これでよかったのだろうか。

それも、よく分からず、私はまた仕事へと向かい、ハードワークを続けた。

 

 

店主は、なぜ「いない」と答えたのだろう。

 

客同士の無用なトラブルを避けようと思ったのかもしれない。

あるいは、カトウさんからそう言うように、言われたのかもしれない。

 

それは、よく分からない。

 

けれど、確定申告にまつわる、その日の出来事が、確実に私の自立、あるいは孤立を強めたのは間違いがない気がする。

 

私が困ったときに、誰も助けてくれない。

私には、味方がいない。

だから、一人で頑張らないといけない。

 

カトウさんからすれば、はた迷惑な話だろう。

 

けれど、ろくに会話をしたこともない雀荘の客に頼らなくてはいけないほど、当時の私は孤立していた。

そして、頼る先とタイミング、頼り方を間違えた。

まあ、仕方のない話であるけれど。

 

その思い込みは強く、抱え込み癖はなかなか治らない。

いつも一人で頑張ろうとする。

 

人は、一人では生きられないのに。

 

もともと、つながっているはずなのに。

 

 

けれど、その自立あるいは孤立も、裏側にはメリットがあって。

 

その時に詰め込んだおかげで、確定申告の概略は何となく理解できた。

 

一人でやろうとする自立とは、一人でできるだけの能力を育んでくれる。

何でも一人でやりたがる時期を経て、子どもは成長するように。

 

自立も抱え込みも、悪いばかりでもない。

 

そして、もしも。

もしも、当時の疲れ切った私と同じように。

助けを求める人がいたら。

 

その人に、手を貸すこともできる。

それは、自立せずに、ずっと誰かの手を借り続けていたら、できないことだ。

 

自立を経て、助ける、そして与えることができるのかもしれない。

 

確定申告の文字を見ると、そんなことを思い出す。