大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

自分の価値を信じた分だけ、「与えさせてあげる」という意識を持てるもの。

受けとることは、見方を変えれば「与えさせてあげる」という能動的な行為です。

もしも、この「あげる」という部分に抵抗を感じるときは、自分の価値を見つめ直すチャンスといえます。

1.与えさせてあげるという視点で見る「依存」

昨日の記事では、「依存」という役割についてというテーマでお伝えしました。

「依存」とは、愛する存在に尽くすチャンスを与えてあげるもの。 - 大嵜直人のブログ

「自立」的な人ほど、「依存」を嫌います。

それは、誰かの「依存」的な態度もそうですし、自分のなかの「依存」的な感情もそうです。

とかく、自分のなかの「依存」的な部分については、それを外に出すことどころか、感じることさえも強烈に禁じていたりします。

「弱音を吐いてはいけない」

「誰かに助けを求めてはいけない」

「自分のことは自分でなんとかする」

「自立」的な人は、そんな言葉を、後生大事にしていたりします。

しかし、少し視点を変えてみると、「依存」の形もまた変わって見えます。

「依存」とはすなわち、誰かに何かしてもらわないといけない状態です。

それは、与えてもらう役割といえます。

みんながみんな、「自立」して一人で頑張れればいいのかもしれませんが、その状態だと、誰もが「与える」役割になってしまい、受けとる人がいなくなってしまいます。

受けとる、あるいは、受けとってあげる、というのも、一つの大切な役割といえます。

何より、自分が愛する存在に与えることができるチャンスというのは、ありがたいものです。

自分ができないことは、相手に与えさせてあげるチャンス。

それは、「自立」の先にある「相互依存」への入口でもある、というのが昨日のテーマでした。

2.「与えさせてあげる」という意識

この、「与えさせてあげる」というのが、一つのポイントなのでしょう。

「〇〇してあげる」というと、どこか上から目線のように聞こえるかもしれませんが、決してそうではありません。

ほんとうに「依存」的になってしまった状態だと、私たちは相手のことを考えてはいません。

自分のなかにある、「ほしい、もっとほしい」という感情に振り回されてしまうものです。

そんなとき、相手の状態や、相手が何を考えているか、何を感じているかを推し量ることができず、「与えてくれるか、くれないか」という点だけで、相手を見てしまうものです。

はい、実にあるあるな、耳の痛い話ではありますが笑

その一方で、「与えさせてあげる」という意識は、相手のことも考えることができているといえます。

自分が受けとることで、相手もまた、喜びを感じられる。

「与えさせてあげる」とは、そういった意識のあらわれです。

「ほしい、もっとほしい」と、「与えさせてあげる」。

何が違うのかといえば、やはり自分の心のなかの余裕であり、スペースがあるかどうか、という点です。

その余裕というのは、自分自身にしかつくることができません。

そういった意味で、「与えさせてあげる」という意識は、「自立」することで得られるものといえます。

「依存」から「自立」、そして「相互依存」という順番は、不変なものです。

3.自分の価値を信じた分だけ、受けとれる

「与えさせてあげる」という意識。

その裏返しである、「受けとってもらう」という意識。

真に受けとるとき、それは同時に与えることにもなります。

そして与えるとき、同時に受けとることが生まれます。

それが、「相互依存」の世界の一端です。

しかし、なかなか分かってはいても、「与えさせてあげる」と意識を持とうとしても、「いやいや…」と感じてしまうかもしれません。

そんなときは、自分自身の価値を、もっと見つめ直すときでもあります。

与えさせてあげるだけ、私には価値がある。

それだけの、素晴らしい価値が、私にはある。

そう信じられた分だけ、相手に与えてもらうことに、そして受けとることに、抵抗が少なくなっていきます。

「与えさせてあげる」

その意識に抵抗があるときは、自分が自分をどう見ているか、少し見つめ直してみるチャンスといえます。

 

今日は、「与えさせてあげる」という意識と、自己価値の関係について、お伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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