大嵜直人のブログ

文筆家・心理カウンセラー。死別や失恋、挫折といった喪失感から、つながりと安心感を取り戻すお手伝いをしております。

「依存」とは、愛する存在に尽くすチャンスを与えてあげるもの。

「自立」的な人ほど、「依存」を嫌います。

しかし「依存」とは、愛する存在に尽くすチャンスを与えてあげるもの、という視点から見ることもできます。

1.「依存」を認めるという強さ

昨日の記事では、「依存」を認めることは、強さであるというテーマでお伝えしました。

自分のなかに「依存」があることを認めることは、強さである。 - 大嵜直人のブログ

私たちの心は、「依存」、「自立」、「相互依存」というプロセスを経て成長していきます。

最初は、誰かになんとかしてほしい「依存」の状態からはじまります。

しかし、その「依存」の状態は主導権がなくしんどいので、私たちはなんでも自分一人でやろうとする「自立」へと向かいます。

そのため、「自立」的な人ほど、「依存」を嫌います。

「依存」的な相手もそうですし、自分のなかにある「依存」的な感情もそうです。

「助けてほしい」

「もっとかまってほしい」

「こっちを見てほしい」

自らの内にあるそういった感情を、見て見ぬふりをしたり、そもそもなかったことにしたりしようとします。

しかし、感情とは3歳児と同じようなもので、こちらを向いてくれなければ、もっと大きな声で「こっちを見てよ!」と騒ぐものです。

それをさらに抑えつけようとすると、膨大なエネルギーを要してしまい、それがもとで「自立」が進むと無気力、無感動な状態になってしまったりもします。

昨日の記事では、「依存」を感じないようにしたり、「依存」しないようにすることが強さではない、というテーマをお伝えしました。

すなわち、自分のなかにある「依存」を認めることこそが、強さであるということでした。

これは、「依存」に限らず、感情全般に言えることでもあります。

2.「依存」を嫌う心理

さて、「自立」的な人が嫌う「依存」の心理。

なぜ、そんなにも嫌うのでしょうか。

二つの点から、考えてみたいと思います。

もう二度と傷つきたくないから

一つ目は、そもそも人が「自立」するのは、「依存」時代に傷ついたがゆえに、という点です。

「依存」の時代に、欲しい愛が、欲しいタイミングでもらえなかった。

そうした傷ついた経験から、「もう二度とこんなつらい想いはしたくない」と、他人に期待することをやめ、自分でなんでもやろうとするわけです。

だから、もし自分のなかにある「依存」を認めてしまったら、またそれが満たされなくて傷つくかもしれない。

そういった怖れから、「依存」を嫌うという心理があります。

「どうせ頼っても、助けてくれないんでしょ?」

「だって、与えてくれなかったじゃないか!」

「依存」を嫌う心理の裏には、そんな想いが横たわっていることがあります。

もう二度と傷つけたくないから

「自立」的な人が、「依存」を嫌う心理。

もう一つ考えられるものとして、「依存」することで、誰かに迷惑をかけたり、傷つけたりしたくない、と考えている可能性があります。

たとえば、自分の仕事が手一杯で、同僚にヘルプを求めたとします。

その同僚は、手を貸してくれたのですが、ものすごく不機嫌な態度を取りながら、手伝っていた。

あるいは、その同僚のおかげで自分の仕事はなんとかなったのですが、その同僚の仕事にミスが出てしまった。

こんなケースの場合、「ヘルプを求めた」ことに対して、ものすごく悪いことをした、同僚に迷惑をかけた、と感じたりするものです。

似たようなことを、「依存」の時代に経験したのかもしれません。

自分のなかの「依存」は、誰かに迷惑をかける、傷つけてしまう。

だから、「依存」を嫌う。

こうして書いていて、とても切ない心理ではあります。

3.愛する存在に尽くすという喜び

今日は、このうちの二つ目の心理について、考えてみたいと思います。

自分のなかの「依存」は、誰かを傷つける。

だから、「依存」はよくない。

「依存」しないように、生きていかないといけない。

私は、その想いが間違っているとも思えません。

その想いは、誰かを傷つけたくないという、かけがえのないやさしさからきているものですから。

しかし、そのやさしさゆえに、誰かに頼ることができないとしたら、それはしんどいものです。

もしそうだとしたら、少し違った角度から、「依存」を考えてみてもいいのかもしれません。

「依存」をし続けるのは、お互いにとってよくない結果を生みます。

「共依存」という言葉なんかも、あったりしますよね。

けれど、誰かに「依存」されて、何かを与えられることは、ある意味で喜びではないでしょうか。

愛する存在に尽くすということは、喜びではないでしょうか。

「受けとる」ということは、一見すると受動的に見えますが、「与えさせてあげる」と見ることもできます。

「依存」することは、誰かに与えさせてあげる機会を与えていると見ることはできませんでしょうか。

同じことの繰り返しになってしまいますが、愛する存在に尽くせるということは、この上ない喜びです。

「依存」とは、その機会を与えてくれるものでもあります。

それが、自分のできないことで、相手ができることであれば、なおさらそうではないでしょうか。

それは、「自立」の先にある「相互依存」への入口といえます。

 

今日は、「自立」的な人が「依存」を嫌う心理と、「依存」の意味と価値を見る視点について、お伝えしました。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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