何をもって「問題」とするのかは、その人の価値観、人生観、センス、パーソナリティに依るものです。
それゆえ、なかなか解決しない「問題」ほど、自分自身の才能のありかを教えてくれるといえます。
1.「癒し」をもたらすのは他者と問題
昨日の記事では、「癒し」は他者と問題が運んでくる、というテーマでお伝えしました。
「癒し」とは、ものごとの見方がポジティブに変わることを指すが、それは問題と他者が運んでくる。 - 大嵜直人のブログ
「癒し」という語には、さまざまなニュアンスがあります。
心理学において、「癒し」とは「ものごとの見方が、その人にとってポジティブに変わること」を指します。
その人にとって、というところがポイントで、その人、そのタイミングによって「癒し」の意味も変わります。
「自分の力を信じて、自分でやってみる」という変化が「癒し」になる場合もあれば、
「周り人を信じて、任せて委ねてみる」という変化の場合もあるのでしょう。
そして「癒し」とは、他者と問題が運んできてくれるものです。
ものごとの見方や価値観というのは、もう無意識に持っているものですから、なかなか自分一人で変えようと思っても、難しいものです。
だから、他人の視点や、つながりが「癒し」には必要なものです。
また、「問題」が起こると、私たちは変わらざるを得なくなります。
自分にとって大きな問題ほど、根源的な変化を求められるものです。
「癒し」とは、ものごとの見方がポジティブに変わること。
そして、それは他者と問題が運んできてくれるというのが、昨日のテーマでした。
2.解決しない「問題」の意味
さて、今日はその「癒し」をもたらす、「問題」について、もう少し考えてみたいと思います。
私たちが生きる中で出会う「問題」。
どうしようもない生きづらさであったり、
対人関係の問題であったり、
仕事が続かないという悩みであったり、
パートナーとの葛藤であったり、
ままならないお金の問題であったり。
いろんな「問題」があり、それは人によって異なるのでしょう。
そうした「問題」に出会ったとき、私たちは「どうしたら、この問題を解決できるのだろう?」と考えます。
もちろん、そう考えるのは自然なことです。
そこで考えた答えで、その「問題」が解決できれば、それに越したことはありません。
けれども、私たちにとって手に余る「問題」とは、そうした解決策では何ともならないことが多いものです。
だからこそ、その「問題」に悩む時間が長くなったりもします。
そうしたとき、問いの方向性を変えてみることは、とても大切なことです。
たとえば、「この問題が私に教えてくれるものは、なんだろう?」という問いに、変えてみる。
そうすることで、見えてくるものを変えることができます。
3.「問題」は自分自身の才能を教えてくれる
「問題」が教えてくれるもの。
特に、なかなか解決しない「問題」や、自分の手に余る「問題」は、何を教えてくれるのでしょうか。
いろんな答えがあると思いますが、一つ確実にあるのは、自分の「才能」です。
自分自身の「才能」を受けとれていなかったり、むしろそれを欠点のように扱っていることが、その「問題」をつくりだしていることがあります。
そもそも、ある人にとっての「問題」とは、別の人にとっては「問題」ではありません。
何をもって「問題」とするかは、その人の価値観やパーソナリティと、深くかかわっています。
それは言い換えると、その人が何を大切にしているかという感性と、深く結びついているわけです。
人を愛すること。
自由であること。
心と心のつながり。
生きようとする意志。
何かを与えられること。
それらはまさに、その人の「才能」でもあります。
自由であることを何よりも大切にする人は、自分や誰かが自由でないことに、強烈なストレスを覚えます。
そのことを、何よりも大きな「問題」であるように感じるのでしょう。
でもそれは、その人が「自由」というものを理解していて、その価値を知っているからなんです。
ちょっと抽象的なたとえだったかもしれませんが、「問題」はその人の持つ「才能」を教えてくれるものでもあります。
さて、あなたがなかなか解決しないと思っている「問題」は、なんでしょうか。
「問題」が、その人の才能を教えてくれるのだとしたら。
その「問題」は、あなたのどんな才能を教えてくれているのでしょうか。
少し時間をとって、考えてみる価値のある問いだと思います。
今日は、解決しない「問題」ほど、自分自身の才能のありかを教えてくれる、というテーマでお伝えしました。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
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